キ/GM/11-20/12
≪3/14≫
同日、深夜。
事務所で仕事の残処理をしていた史緒のところに三佳が現われた。
「あら、まだ起きてたの」
パソコンのキーを叩く手を止め、眼鏡を外して顔を上げる。
時間は日付を変えていた。三佳は着替えてもいない。史緒の事務机から一番近い、応接用のソファに腰を下ろし、足を組んだ。
「忘れてないと思いたいが、私は受験生だ。そんなに早く寝てどーする」
「無理しなくても受からないわけじゃないんでしょう? 受験の為の勉強なんてほどほどにしておけば? 無駄な努力ほど無駄なものはないわよ」
「受験戦争を体験したことの無い人間が言っても現実味が無いな」
三佳の皮肉を、史緒は笑顔で躱した。
三佳の言う通り、史緒は過去に受験戦争というものをしたことがない。史緒の学歴はかなり特殊だが、あっても一個人で入学試験を受けただけだ。三佳の言葉に否定はできない。
「それに、どうせ試験を受けるなら上位成績を目指してるんでね。心配するな、その為に志望のレベルを下げるような馬鹿はしてない」
「つまらない意地」
「主観の違いだ」
「私の父も、そういうのは気にしないと思うけど」
ぐっ、と三佳は言葉を飲みこんだ。
「…見抜かれてたか」
と、照れたような気まずい表情を見せる。
本音を、史緒が見抜いているとは思わなかった。
島田三佳の後見人は事実上、阿達政徳───史緒の父親である。三佳がそれを必要としたときに阿達史緒が未成年だったせいもある。
数年前の取り決めから、島田三佳が大学を卒業するまでの学費は、阿達政徳が出資するよう約されていた。史緒は父親の世話になるのを快く思っていなかったが、何より三佳がそれを望んでいたので何も言えなかった。
三佳にしてみれば、結果のみを報告しなければならない後見人に、恩からくる意地を見せたいのだろう。
「───祥子のことだが」
三佳が何か話をしに、事務所へ来たことは分かっていた。それが祥子の事というのは少々意外だったけれど。
「あれはかなり参ってるわね」
「本当に単なる痴話喧嘩なら、ここで他人が心配してても意味ないだろうが」
「まだ喧嘩できるような仲じゃないと思うわ。祥子も、あまり自分のこと話してないようだし」
「話しても、付き合っていられるような男なのか?」
それが問題だ。
「見込みはあると思ったんだけど。日阪さんは祥子に好意を持っていて、祥子もそれを分かってて何度も会ってるわけだから、満更じゃないとは、思う」
「祥子のこと、調べるのか?」
「どうかしら。この状況が長く続くようなら、日阪さんに聞いてみようとは思うけど。…でも、いい加減、自分で解決するくらいの手腕は見せてもらいたいわね。祥子にも」
「よく言う。散々甘やかしてきたくせに」
三佳は冷やかすように笑った。
2-2
都内D大学、理工学部情報電子工学科。
木崎健太郎は構内片隅のサークル室でパソコンと向き合っている最中だった。
卒論制作中…と言いたいところだが、その合間にやっていたはずの自作プログラム制作時間のほうが幅を利かせてきていて、卒論はそっちのけという状況だった。
プロトコルを簡単にまとめたノートから、コーディング(言語打ち込み)をしている。アルファベッドと数字が羅列する画面が休みなく流れて行き、見る人が見ればその頭の回転の速さに驚嘆したことだろう。
「木崎っ! ケータイ鳴ってっぞ」
そう言われて初めて、健太郎は手元の携帯電話が着信しているのに気がついた。液晶のバックライトが煩いほどの色の多さで点滅し、「北酒場(細川タシカ)」を奏でている。パソコン画面に集中する余り、着信音が耳に入らなかったのだ。
集中、転じて熱中していたところを邪魔されて、少しだけ不機嫌になりつつも通話ボタンを押した。
「はい、木崎」
『私だけど』
健太郎は器用に頬と肩で携帯電話を挟んで、両手はパソコンのキーボードへと戻し、打ち込みを再開させた。
「誰だよ、私って」
とは言っても、電話を受ける前に名前を確認してある。意地悪で言ったのだ。向こうもそれを察しているようで、尖った声が返った。
『祥子よっ』
「何か用か?」
『今、パソコンの前にいる? 調べて欲しいことがあるの。検索でひっかけるだけでいいから』
ははあ、と健太郎は目を細めた。この、祥子の頼み事は、かなり都合の良い頼み事だ。
祥子の言うレベルの調べ事なら、事務所や図書館のパソコンで簡単にできる。自分でやれ、と言い返すこともできるが、健太郎の場合「まぁいいか。大した手間じゃないし」というように思考が働く。
「キーワードは?」
問うと同時にパソコンのブラウザソフトを開く。インターネットにアクセスし、健太郎はまずディレクトリ型検索エンジンサイトを開いた。
電話の向こうで祥子が短く呟く。
『“中村結歌”』
ナカムラユカ。
健太郎はすぐに打ち込もうとしたが、その手が止まった。
「何それ? 名前? ナカムラは中の村だよな? ユカは?」
『結ぶ、歌』
カタカタとキーボードに指を走らせる。検索ボタンを押す。
ややあって、検索結果が表示された。「該当件数0件」。
まあ、これは予想していた。ディレクトリ型検索において、氏名がひっかかるのは著名人くらいだ。
健太郎はすぐに、ロボット型検索エンジンサイトへとアクセスする。
同様にキーワードを打ち込み、検索ボタンを押した。さっきより少し長い間があって結果が表示される。「該当件数0件」。ロボット型の場合、同姓同名の他人がひっかかっても良さそうなものだが、珍しい名前なのでそれも無いのだろう。
「祥子、中村結歌というキーワードでは、ヒット無しだ」
『…ごめん、じゃあ、もう一つ。“1987年12月”と、AND検索で“コンクール”で、お願い』
今度はすぐに打ち込むことができた。
AND検索とは、1つ以上のキーワードを同時に検索するときに使用する。A AND Bで「AとBという単語が使われているサイト」を検索するわけだ。同じくOR検索があって、A OR Bで「AもしくはBという単語が使われているサイト」ということになる。大抵の検索エンジンでは、キーワード同士をスペースなどで区切ることが多い。
ディレクトリ型検索(日本で最大手はYahoo!JAPAN)は、登録希望のサイトを募りジャンル別にスタッフが整理して手作業で登録されている検索エンジンのこと。手作業で登録が行なわれる為に情報数はロボット型検索に比べると少ないが、ホームページの内容は濃い。公式のホームページや人気のホームページを探すにはこれ。
ロボット型検索(日本で最大手はgoo)は、ネット上のホームページから機械を使って情報を収集して自動的に登録されている検索エンジンのこと。自動登録の為に情報量は膨大。ただ情報が膨大な為に自分の必要な情報を探すのに苦労する事がある。
2回目に祥子が言ったキーワードでも該当件数は0。健太郎はその旨を祥子に伝えた。
その後も祥子はいくつかのキーワードを提示したが、思わしい結果は得られなかった。
何をどんな目的て調べているのか教えてくれたら、他の調べ方の適切なアドバイスができる。健太郎がそう申し出たところ、祥子は回答を拒否した。調べている内容を知られたくないのだ。
祥子との電話を切った後、健太郎はそのままA.CO.の事務所へと電話をかけた。
きっちり3回のコールの後、案の定、阿達史緒が出る。
…祥子にバレたら裏切り者扱いされるかもしれないが、口止めしなかった祥子のツメが甘いのだ。
「俺、木崎。祥子が何か嗅ぎまわってるけど…」
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