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「へーえ」
 史緒は事務所で仕事をしていた。その手を休めて、健太郎からの電話に耳を傾けた。
 祥子が何か嗅ぎまわってる?
 史緒は含み笑いを漏らした。
 結構。ちゃんと自分から動いてるじゃない。
 今、祥子が健太郎を頼ってまで調べ事をするなんて、それは自分の問題でしかないはずだ。
『何について調べてたか、聞かないのか?』
 健太郎が言った。
「別に。知りたいとも思わないし、…それにケンだって、そこまで教えてくれるつもりはないんでしょう?」
『まーな』
「それから、ケンが祥子に協力するのはいっこうに構わないんだけど」
 史緒は一応、釘を刺しておくことにする。
「必要以上の深入り調査はルール違反よ。大人しく手を引きなさいね」
 A.CO.では、お互い、無断にメンバーのプライベートを探るのは禁止されている。これは入所した時に一番に約束させられたことだ。
 健太郎は少しだけムキになった。
『協力要請してきたのは祥子だぜ? 最後まで調べさせないなんて、こっちも気になるだろ!』
 それは単に好奇心とも言う。
「ルールを承知していて、祥子に協力したのはあなたよ」
『史緒』
「いいわね、手を引きなさい」
 有無を言わせない迫力に、健太郎はしぶしぶ了解するしかない。
 祥子は「後でお礼する」と言っていたが、おもいっきり高く付かせようと、健太郎は心に誓っていた。



「ありがと。後でお礼する」
 祥子は健太郎との電話を終わらせた。駅の改札から、電車に乗るところだった。
 悩みまくっていた夜から一晩明けて、祥子は心機一転していた。
 原因の一つは、慎也からの電話。朝になってから3回かかってきて、祥子は3回とも無視していた。まともに話なんてできないだろう。
 でも、このまま逃げ回っているわけにも行かない。そう、思い立った。
 もうそれは突然で、祥子を行動へと駆り立てた。
(そうよっ!)
 まず、慎也の言う「中村結歌」と、祥子のクラスメイトだった中村結歌が同一人物であるか確かめよう。別人である可能性は低い。それでも、祥子は確認せずにはいられなかった。確証が欲しかった。
 同一人物であるという事実を知ってどうする。慎也に言うのか?
 わからない。
 でも。
 祥子は鼓動が速くなり、手足が熱くなるのを感じた。頭の中が急に澄み渡り、自分が興奮しているのが分かった。
 ───中村結歌のことを知りたい。
 そう思った。
 そうだ、彼女のことを知りたい。
 慎也と祥子が知る中村結歌が同一人物なのか。
 また、そうだとしたら将来を嘱望されていたピアノを何故やめたのか。
 音楽家になりたかったと言っていたこと。
 高校生の彼女が、誰にも言わないで、一人で恐れていた「何か」。
 祥子に聞いて欲しかったという、結歌自身のこと。
 …死んだ理由。
(知りたい)
 今更、何をしても彼女は返らないけれど、彼女のことを知りたいと思った。ううん、知らなきゃいけないと思った。
 今まで目を逸らしていた中村結歌のこと。
 ちゃんと向き合って、解決しなきゃいけない。自分の為に。
 今までずっと考えないようにしてきた彼女のことを、深く調べることになるなんて。

 そういうわけで、手始めに一番手っ取り早いインターネットを使った方法で調べることにしたのだ。健太郎を利用させてもらったのは否定しないけど、後でお礼をすることで自分と健太郎を納得させる。
 けれど収穫ゼロ。
 祥子はまず、慎也の部屋にあった記事と同等の情報を手に入れようとした。かろうじて祥子が覚えていたのはコンクールの日付だけで、その他に「中村結歌」の出身地や生年月日などを知りたかった。
 コンクール主催者のホームページがあって、歴代受賞者の名前が載っていることを期待したのだが甘かったようだ。インターネットが普及する前のクラシックコンクールのホームページなど一つもなかった。かろうじてコンクール名が書かれているのは、音楽家個人のホームページの経歴に載っているくらいだ。もしくは最近の新聞雑誌社のトピックス。
 簡単に見つかるとは思ってなかったけど、期待していなかったと言うと嘘になる。
 祥子は踵を返して改札をくぐった。
 慎也の言う「中村結歌」を調べる手段は、まだ、ある。




 祥子はM区にある、某新聞社へ来ていた。
 一般外来用の受付で必要な手続きを済ませ、縮刷版閲覧室へと向かう。
 ここには、この新聞社が発行した過去1年以上経つ新聞記事が、縮小版として保存されているのだ。
 ある一定のキーワードをもとに記事を探したい場合は、同様に保存されているCD−ROMやマイクロチップなど電子データのほうが有効だが、今回祥子が調べたい記事は日付が限定されている。
 1987年12月13日にあった出来事を調べたいので、1987年12月14日の新聞。
 そういうわけで、電子データではなく縮刷版の閲覧手続きを祥子は取ったのだった。
 ───このあたりの手際はA.CO.の仕事で培ってきたことだ。史緒の下で仕事をしていることに、一瞬だけ感謝した。一瞬だけ。

 1987年12月14日の新聞はすぐに見つかった。
 結歌が出場したというコンクールの記事が載っているとすれば芸能欄だろう。祥子は新聞を手に取り、部屋の隅にあるテーブルの上に広げた。
 この日、1面には大きく飛行機事故が取り上げられていた。千歳発、羽田行きの国内線で墜落事故、生存者不明。この事故は13日に起きたもので、翌日のこの新聞には詳細は載っていなかった。
(…そういえば、こんな事故もあったっけ)
 当時は祥子も7歳だ。ニュースを見ていたわけではないけど、後々の特番などで、この事故のことを知ったような気がする。
 何にせよ、痛ましい事故だ。
 けれど、他の数ある歴史的惨劇と同様に、祥子にとっては遠い出来事でしかない。こんな風に新聞やテレビで映されなければ、思い出すようなこともないことである。
 祥子は芸能欄が27面であることを確認して、新聞をめくった。
(…あったっ!)
 トップニュースに押され、本当に小さい記事だった。
 ささやかな見出しと、コンクールの結果が載っているくらいのものだった。多分、慎也の部屋に貼ってあった詳細な記事は、新聞ではなく音楽雑誌のものなのだろう。

 全国音楽コンクール ピアノ部門C 優勝 中村結歌(G県出身)

 たった、それだけ。
 祥子は拍子抜けした。こんな簡単に見つかってしまうなんて。
 この記事から分かるのは、慎也の言う「中村結歌」の出身地くらいだけど、事実を確認するにはこれで十分だった。
 結歌の生まれがG県であることは予想がついている。死亡現場のG県K市塚原霊園にはG県出身の両親の墓碑があるからだ。
 本当は生年月日や血液型も確認してみたかったが、ここで得られる情報ではない。
(私は何が知りたいんだろう…)
 ふと、祥子は思った。
 慎也の言う「中村結歌」と同一人物であることを確かめたかった。
 …確かにそれもあるけど。
 でも、もっと。…もっと違うこと。
『聞いてほしいの。三高に』
 そう言った彼女の、結局聞くことができなかった真実。
 もう今となっては知ることは不可能かもしれない。調べても無駄かもしれない。
(でも…)
 改めて知りたいと思った。
 中村結歌について。
「………っ」
 結歌の家へ行ってみよう───。祥子は新聞社を飛び出していた。

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