キ/GM/11-20/12
≪6/14≫
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中村結歌が住んでいたマンションは、祥子たちが通っていた高校から歩いて10分の所にある。
当時のクラスメイトのほとんどは、そこを訪れたことがある。中村結歌の葬儀は外の葬儀屋で行われたがその後もマンションの方へ焼香に訪れたからだ。マンションということもあり、一度に大勢で来るのは迷惑になるだろうから、わざわざ数名ずつ日を分けて。
皆に慕われていたことがよく分かる。
けど祥子は一度もここへ訪れたことがなかった。
一部のクラスメイトがそんな祥子を非難していたことは知ってる。生前の数ヶ月、結歌と祥子はつるむことが多く、仲が良いと思われていたからだ。仲が良かったのに葬儀にも現われないで、何事も無かったかのように平然と学校へ通う祥子がそんな風に思われるのも無理はないけど。
でも祥子は、遺影の中で笑う彼女に、手を合わせることなどできなかった。
(…怖かったんだ)
目の前の結果を招いた自分の責任を、頭から否定することができなくて怖かった。
自分にはできることがあった。自分にしかできないことがあった。
彼女の話を聞いてあげて、彼女が持つ「恐れ」から解放してあげることができたかもしれないのに。
自惚れかもしれない。でも誰かにできるとしたら、それは祥子でしかなかったはずだ。
後悔という言葉では表せないほどの、深い深い気持ち。
今まで、ここに足を向けることができずにいた。
そして今日。祥子は初めて、このマンションへ来ていた。
部屋は3階の一番、奥。
祥子はそのドアの前に立っていた。表札は「中村茅子 結歌」とある。結歌の名前は消されてなかった。
さっき一度だけチャイムを押したが応答は無し。腕時計を見ると時間は5時半。この中村茅子が仕事へ出かけているとすると、そろそろ帰ってくるかもしれない。それとも夜遅くかもしれない。…ああ、でも、予約もなく突然押しかけてきた祥子を迎えてくれるとは限らないし、もしかしたら何日も帰らないかもしれない。
(……少しだけ、待ってみよう)
こっちには時間は沢山あるのだ。祥子はドアから通路を挟んで反対側、手摺りの向こうに広がる街並みに目をやった。
この辺りは住宅街で、似たようなマンションがいくつも見受けられる。典型的なベッドタウンというやつだ。そのマンションの間から遠く微かに見える都心のビル群。スモッグで霞んでいる。この時間でも空は明るく、眼下に見える小さな公園には子供たちが遊んでいた。
夏を感じさせる湿った風が吹き込んできた。もう7月も終わりだ。これからぐっと暑くなる。
(…)
ふと、祥子は思った。
中村結歌は毎日のようにこの景色を見ていたのだろう。
振り返ると、結歌が毎日開け閉めしていたはずの、ドア。彼女はいつも遅刻ギリギリで登校していたから、きっとこの通路を走っていたに違いない。
同じ景色を見ている、という不思議な感覚が祥子を包んだ。
「何か御用?」
「え」
出直そうかなと考えていた矢先、すぐ近くから声をかけられた。高く可愛い声で、祥子が振り返ると、いつのまにかそこには髪の長い若い女性が立っていた。タッパーを持っていた。どうやら中身は炒め物のようだ。
誰? と咄嗟に思ったが、この女性が中村茅子でないことは分かった。中村茅子は結歌の伯母にあたる人物だ。親子くらい年齢が離れているはずで、目の前に立つ女性はどう見ても同年代だったから。
女性は愛想良く笑った。
「茅子さんはもうすぐ帰ってくるけど。茅子さんの…うーん、結歌ちゃんのお友達かしら?」
結歌ちゃん、という単語がポンと出たことに、祥子はドキッとした。
「はいっ、私、佐城高校の卒業生で結歌さんとは…」
怪しまれない為に本当のことを言う。しかし最後まで名乗る前に相手のほうが嬉々とした声をあげた。
「結歌ちゃんのクラスメイトの子!? あ、お焼香に来たの? そうかー、あ、茅子さんはほんとにすぐ帰ってくるはずだから、一緒に待ってようよ」
勢いのある陽気さに圧され断わることもできず、祥子はこの女性とご一緒することになった。せっかくここまで来たのだから断わるつもりもない。
「あの、…ご近所の方なんですか?」
「そう。結歌ちゃんとは幼馴染みというヤツよ。年はちょっと上だけど。今日は不摂生な茅子さんに差し入れに来たんだ」
と、持っているタッパーを指差して見せた。
「それにしても結歌ちゃんのお友達が来るなんて久しぶりー。あ、でもそうか。そういう季節だもんね」
そういう季節、というのは、今は夏で、命日が近いという意味だ。
そんな風に言われても、祥子は季節も何も関係なく初めてここに来るのだから、笑顔で適当にごまかす。
祥子の隣で、この女性も眼下の景色を見渡していた。
「結歌ちゃんの、死因って、知ってる?」
快活なこの女性は少しだけしんみりして、祥子に尋ねてきた。
中村結歌の死因。祥子は当時の新聞を読んで知った。
「突然死症候群…って新聞で読みました」
「そう。…でも突然死って、それってつまり原因不明ってことだよね?」
G県の霊園で、両親の墓前で、結歌が倒れているのが発見された。証言によると発見時に既に息はなく、周囲にも人はいなかった。貴重品を盗られた形跡は無し。警察の発表によると、外傷は全く無し。毒も検出されない、とにかく致命傷となるものがなかった。言うなれば心不全。心臓が止まった、ということだ。
「私ね、結歌ちゃんが亡くなる数日前、すぐそこの公園で結歌ちゃんが倒れるところ見ちゃったの。その時は不摂生な生活による貧血かなって勝手に決め付けちゃったんだけど、…どこか、体を悪くしてたのかもしれない、突然死なんてもの、それに至る何か。……あの時ちゃんと病院に連れて行けばよかったのかなって、今もちょっと、後悔してるの」
「……」
女性の、懺悔にも近い言葉を、祥子は黙って聞いていた。
気付かれないようにゆっくりと息を吐いて、空を仰いだ。
(ああ、ここにも…───)
と、思った。
ここにも、中村結歌の死を忘れられずにいる人がいる。
しかし結歌が病気だった、というのはあり得ない気がする。
祥子と関わっていた数ヶ月の中、病を感じさせる言動は無かったし、それにもし病気なら死後行われた解剖で分かるはずだ。
ああ、でも、結歌が言っていた「死神に追われてる」という発言で、もしかしたら「病」を「死神」に例えていたのかも、と考えるのはあまり不自然ではない気がする。そうすると結歌が祥子に言っていた「聞いて欲しいこと」というのは病気のことだろうか。でもそうすると「死神(=病)」のせいでピアノをやめたというのはどういうことだろう?
祥子は結歌の健康体を見てきていることもあり、やはり病気説は考えにくい。
「あ、茅子さん帰ってきた!」
女性が、壁に預けていた背中を持ち上げた。
「おかえりなさーい」
手を振るその先に、エレベーターホールの方から近付いてくる人影があった。
中村茅子、その人である。
祥子とは初対面になる。中村結歌の伯母・茅子の風貌は祥子が想像していたよりずっと老けていた。
「おや、菖蒲ちゃん、いらっしゃい」
顔の節々に皺を寄せて笑う。白髪が混じる髪は丁寧に束ねてあって、化粧はほとんどしてないようだった。祥子が見る限り60歳くらいに見える。…本当は何歳なのだろう。
「この子、結歌ちゃんの同級生だって」
と、その女性(菖蒲、と呼ばれていた)は、中村茅子に祥子を紹介した。祥子は慌てて頭を下げた。
「はじめまして。三高祥子です」
「いらっしゃい、三高さん。よく来てくれたわ。さ、上がって上がって…菖蒲ちゃんは?」
「私は今日は失礼します。茅子さん、はい、コレ。ちゃんと食べてくださいね」
「いつもありがとう」
菖蒲からタッパーを受け取り、茅子は苦笑した。
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