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『三高には夢がある? 私は小さい頃、音楽家になりたかった』
『死神に追われてるって言ったら、あんたは笑うかな』
 笑わない。あなたの心が追いつめられてるのは、知ってたから。
『冗談よ…やっぱ変だわ、三高って』
『聞いてほしいの。三高に。…テスト最終日の放課後、屋上に来て』
 いいの? 私で。
『あんたじゃなきゃ言えないわよっ!』
『あっ…いや、そーいうワケじゃなくてぇ…ほら、三高って妙な力あるしぃ…』
 教室には他に誰もいない。夏の晴れた日で、床に映る窓枠の影が色濃かったことを覚えている。
 二人して、笑った。


 目が覚めた。
「………え?」
 ベッドの上、夢から目が覚めた。寝ていたというのに、祥子は自分の心拍数が上がっていることに気付いた。理由は分かってる。理由は簡単で、そう、夢を見たからだ。
 祥子は深く呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻そうとした。
 部屋の中は暗かった。枕元に置いた携帯電話を手探りで引き寄せ、キーを押しバックライトを点灯させる。
 デジタルの表示時間は深夜、2時だった。
「…」
 ズキズキ痛む額を、左手で押さえた。
(久しぶりだなー…)
 こんな風に、あの時のことを夢に見て、夜中に目が覚めるなんて。
 昔はよくあったことだ。でも時が経つにつれ、やがて夢を見る間隔が少しずつ長くなってきていた。そうやって少しずつ忘れていくのだろうとも思っていた。
 けれど、思い出したかのように、夢は繰り返されている。
 6年経った今も。
 数日かけて調べて、分かったことといえば、同一人物という裏付けだけだ。
 結歌が「聞いて欲しい」と言った内容、その以外にも、分からないことだらけ。
(…日阪さんに言わなきゃ)
 祥子はごろんとベッドの上で丸くなる。
 慎也は16年も「中村結歌」を探し続けていた。その演奏を再び聞く為に。ここで祥子が言わなければ慎也は報われないし、祥子も慎也とまっすぐ向き合うことができない。
(でも日阪さん、中村さんはピアノを弾いてなかったよ)
 ピアノをやめた理由。何かを恐れていた、その正体。死神。
 祥子は、目を閉じた。
 聞いてあげられなくて、ごめん。
 コンコン。
「……っ!」
 祥子は飛び上がった。何の音が一瞬分からなかった。
 それはドアをノックする音だった、と思う。
(…気のせい?)
 今は深夜だ。静寂に包まれている室内に耳を澄ましていると、もう一度、ノックが鳴った。
「祥子。…起きてる?」
 史緒の声だった。ドアの向こうから。
「…っ!! な、なによ、こんな夜遅くに」
 非難めいた発言をしながらも、驚きを隠せなかった。
「ちょっと事務所まで来てくれる? 見せたいものがあるの。落ち着いてからでいいわ…三十分後くらいに来て」
「は?」
 うん、とも、やだ、とも言ってないのに、史緒の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
「ちょっと! 史緒っ?」
 ドアの向こうに叫ぶが返事はない。
(見せたいもの?)
 こんな夜中に叩き起こしておいて(いや、起きてたけど)、一体何?。
 仕方なく祥子はベッドから這い出した。服を着替えて、髪は適当に整える。メイクは省略。
 廊下に出ると照明が灯っていた。史緒の気遣いは分かったけど、(電気がもったいない)と反発してしまうのは祥子の可愛くないところだ。
 足音がやたらと響いた。いくら受験生とはいえ三佳はもう寝ているだろう。できるだけ音をたてないように、祥子は階段を降りていった。

「来たわよ。何の用?」
 事務所に入ると、史緒は書類棚を整理しているところだった。深夜にやることでもないだろう、と思ったが、整理していたわけではなく、もしかしたら何か探していたのかもしれない。どちらにしろ、祥子は史緒の業務内容を理解しているわけではなかった。
 祥子がソファに座ると、史緒もいくつかの書類を抱えたまま、合い向かいに座った。
「ありがと。…でもその前に」
 史緒はスゥと息を吸った。
「三佳! あなたは早く寝なさい」
 強い口調に祥子は驚いたが、パタパタパタと廊下に足音が小さくなっていった。どうやらドアの向こうで三佳が立ち聞きしていたらしい。祥子は全く気付かなかった。
 三佳の足音が去ると、史緒は何でもなかったかのように話し始めた。
「まずはこれ。本題とはちょっとずれるんだけど、ざっと目を通してくれる?」
 史緒はピンで留められている書類の束を、ポンと投げてよこした。
 訝りながらもそれを受け取る。何気なくページをめくって、祥子はぎょっとした。
「…これっ」
 2ページ目に表題があった。
 「三高祥子に関する身辺調査報告書」
 目を見開いて、さらにページをめくる。祥子は理解した。
「御薗さんのところの…?」
「そう。5年前の記録。あなたがここに入る時に、調べさせたものよ」
 5年前。祥子がこのA.CO.に入る時(正確には入る前だが)、史緒は同業者の御薗真琴に祥子の身辺調査を依頼したのだ。(当時、木崎健太郎はまだいなかった)5年経つ今まで、祥子はこれを見たことがなかった。こんなものの存在さえ知らなかった。
 そして史緒も、誰にも見せたことがなかった。勿論、メンバーにも。
 史緒は何故今になって、祥子にこれを見せる気になったのだろう。
「……」
 祥子はさらにページをめくった。
 3枚目の左上に、6年前の自分の写真があった。…まだ、髪が長い。
 「三高祥子に関する身辺調査報告書 1998年1月現在」
 三高祥子。都立佐城高等学校2年3組女子15番。部の所属は無し。成績は中の上。社交性、協調性が無し。入学以来誰とも付き合いが無く孤立している…(中略)
 東京都品川区在住。マンションの名義は三高和子(続柄:実母)。三高和子は97年7月から港区R病院に入院している。他に部屋に出入りする人物はなし。…(後略)
「…ほんと、よくもまあ…。御薗さんはどこから調べてくるんだろ」
 祥子は自分のこんな情報が出回っていることに対し、怒りを通り越して呆れた。特に、祥子の学校生活のことなど、これは学校の生徒達に聞き込みしなければ得られない情報だろう。
「あ、7項目を読んでくれる?」
 史緒が口を挟んできた。
(7項目…?)
 ページをいくつか進めた。
 7項目。それは祥子の学校生活の詳細が書かれていた。
 それに目を通すと、祥子は顔を歪ませた。
「……どうして特記事項に中村結歌の名前があるの?」
 自分でも驚く程、低い声だった。そう、その項目には、その名前が書かれていた。
 そして口にしてから祥子は気がついた。ということは、この書類を手にした5年前から、中村結歌の名を史緒は知っていたのだ。
 史緒は諳んじてみせた。
「中村結歌。都立佐城高等学校2年3組女子12番。部の所属は無し。成績は優秀、但し音楽は例外。性格は明るくて人当たりが良くクラスの誰とでも仲良く喋る存在。97年5月頃から三高祥子が執着していた人物。97年7月、故郷であるG県K市の霊園で死亡しているのが発見される。死因は突然死…───」
「やめて」
「夏休み中の葬儀はクラスメイトが全員出席…、───三高祥子を除いて」
「史緒っ!」
 ガタンッ。祥子は勢いよく立ち上がった。睨み付ける祥子の視線を、史緒はまっすぐに受け止めた。

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