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「これ、パスカード。なくさないでね」
 史緒と健太郎の2人はエレベータで8階へと向かう。史緒は健太郎に磁気テープ付きのプラスチックカードを差し出した。キャッシュカードやクレジットカードのように、直接プラスチックに文字が打ち付けてある。Kentarou-KIZAKIとあった。専用に作られたものらしい。
「組合のフロアに入るには必要なのよ。うちの事務所では私とケンしか持ってないわ」
 8階に着くと、史緒は奥へは進まず、エレベータホールの隅にある自販機の前に健太郎を連れて行った。史緒は自販機にコインを入れて、健太郎にボタンを押すように示す。奢り? という健太郎の視線に、史緒は頷いた。
「ここに入る前に一通り聞いて欲しいの」
 健太郎はアイスコーヒー、史緒はホットにした。簡易テーブルの両脇に座ると、史緒は喋り始めた。
「まず、この組合の説明だけど。名前はTIA…東京情報業管理組合ってところね。興信所や探偵事務所、単なる情報屋や便利屋などが参加していて、現在、参加グループは37あるわ。A.CO.もそのうちの一つ」
「結構、少ないんだな」
「そうね。東京の情報業企業は大小合わせて何千とあるから。…いくつか理由があるけど、まずこの組合に参加するための審査がとても厳しいの。それから、普通、情報業っていうのは守秘義務が絶対でしょう? その情報を管理するような組合があること自体が既に普通じゃないのよ。そういう意味で、TIAが異常視されてるところもあるわ」
「A.CO.が参加している理由は?」
 こういう時、何度か驚かされているが、健太郎は頭の回転が速い。的確な質問が返ってくるのは、状況を理解している証拠で、話している側としても助かるものだ。
「まず、A.CO.を立ち上げる時にTIAに参加するという条件があったこと。それに組合に入ってるっていうのは、仕事の信用にもなるの。この仕事は報酬の定価が無いからぼったくるような所もあるし、その点では組合に入ってるほうが依頼人に安心され易いのよ。それから仕事の斡旋もあるし、それにここのデータベースはやっぱり魅力的よ」
「データベース?」
「そう。これからケンに関わってもらうことになるもの」
「へー」
「データベースは大きく二つあるの。一つは本当の意味で共有している情報。これは些細なことから大きなことまで、…都内の地図から多方面のブラックリストまであるわ。そうそうハッカーのリストもあるわよ」
 史緒は何故かそこで微かに笑った。
「それともう一つ、どのグループが何の情報を持っているか≠ニいうデータベースがあるの。例えばある人物の身辺調査をするにしても、他のグループが事前に同じ依頼を受けていてその情報を持っているかもしれない。また調べ直すなんて、組合から見ると二度手間に見えるでしょう? そういうことがないように、情報を持っているグループを参照して、そこから情報を買えるように交渉するわけ。事情があって売ってくれない場合もあるけどね。それに他グループから情報を買っても、それをそのまま依頼人に渡すわけにはいかないわ。最低限の裏付け調査をして、間違いや内容の更新が無いかを確認する。つまりデータベースに情報そのものが置いてあるわけじゃないの。そういう意味で、情報業としての守秘義務を守っているわけ」
「なるほど」
 カラになった紙コップを弄びながら、健太郎は呟いた。
「…一つ、聞きたいんだけど」
「何?」
「さっきから、後ろを行き来するやつらが、こっちを見ていくのは何で?」
 それは史緒も気になっていた。このフロアを行き来する人間はTIA関連の人物でしかない。エレベータホールにいる2人が注目を浴びる理由を、史緒は分かっていた。
「理由は二つあるわ」
「なに?」
「一つは、学生が何故こんな所に? っていう視線」
 健太郎は自分の格好を見て、それを納得した。本人は別に全く気にしていないが。
「もう一つは?」
「阿達史緒が同年代の男性とお茶してる、って驚いてるのかもしれないわね」
「それがそんなに物珍しいことなのか?」
「物珍しいっていうより、意外なのよ」
「?」
 健太郎は何か言いたそうだったが、史緒はわざと無視した。
「もう一つ、言っておきたいことがあるの」
「まだ、あんの?」
「ケンはここで色々なことに関わることになるけど、ここで見聞きしたことはA.CO.には持ち込まないで欲しいの」
「なんで?」
「理由が必要?」
「勿論。人に禁制を教えるときは理由も教えないと、禁制自体の輪郭が定まらない」
「穿った言い方するのね。分かったわ」
 史緒は椅子から立ちあがり、小声で言った。
「私は皆に、ここの事をあまり知られたくないの」
「何それ」
「理由は個人的な理由。プライベートはケンに話す必要はないわね」
「あのな…」
 つまり、説明する気が無いということだ。
「そろそろ行きましょう」
「はいはい」
 諦めて健太郎も立ち上がる。
「今日ここでネットワークセキュリティの総括者に会って、その人から説明してもらうから。その後は、まりえさんの所に寄って仕事の引継ぎよ」
「まりえ…って、俺が来る前に外注で頼んでたっていう人だっけ?」
「ええ。さっきの真琴くんのところの一人」
 まりえ、という名前は何回か耳にしたことがある。けれど実物出会ったことは一度もなかった。
 ふと、思い立って健太郎はまた質問してみた。
「この組合の仕組みはだいたい分かったけど、的場さんと御園さん…桐生院のほうはどうなってるんだ?」
 ぴたり、と、前を歩いている史緒が立ち止まった。振り返らずに、背中が答える。
「ケン。もう一つ言っておくけど」
「なに?」
「ここではその名前を口にしないで」

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