キ/GM/11-20/15
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桟宮とまりえは、3日前から本部にツメていた。
まず、桟宮は「二つのデータベースを照合し差分を調べるプログラム」を3時間で作った。そして満足なデバッグもしないまま、照合を開始させる。デバッグができなかったとはいえ、桟宮は自分自身が納得するものを作れたので、そのプログラムの確実性は保証していた。大した自信だ。
まりえは本部の近くのビジネスホテルに部屋を取り、仮眠と入浴以外の時間を、桟宮と同じく電算室の中で過ごしていた。照合を始めてしまえば後は機械が勝手にやってくれるのでずっと付いている必要はないのだが、もし差分が見つかった場合、すぐに対応できるようにしているのだ。
睡眠時間が3時間を切っても、まりえはいつもと同じ、スーツと、きっちり化粧をして電算室へ戻ってくる。そしていつも通りソツなく仕事をこなすのだった。
「もう少しラフな格好で来てもいいのに」
と、桟宮が言うと、
「いつ御薗所長が様子を見に来てくださるか分かりませんもの。みっともない格好なんてできません」
と、真剣に答えられてしまった。これには桟宮は笑わなかった。
「ご立派」
と、一言。賞賛の言葉を贈る。
そういうわけで、2人はプログラムが正常に動作しているか確認しつつ、交替で仮眠を取ったりしながら3日を過ごしていた。
「おまえら、狭苦しーから出てけ」
桟宮は、室内の人口密度に悲鳴を上げた。
3日目の今日、何故か、史緒、真琴、文隆の3人は本部の電算室へ集合していた。普通、この部屋へは組合の人間であっても滅多に入室させないのに、この3人に関しては桟宮は自分の調子が狂うことを自覚していた。もっとも、ここで真琴を入れなかったらまりえがヘソを曲げてしまうことは分かっているので、まりえのご機嫌取りの意味もあるけれど。
室内にはコンピュータがひしめき合っていて、人間が通る幅は、人一人しか通れないくらい。そんな室内に、今、5人もいるのだから息苦しくてしょうがない。桟宮は常々、本部役員に「広い部屋をくれ」と直訴しているが、受け入れられる様子はなかった。
「だって、今日、照合が終わるんでしょう? もしかしたら犯人が分かるかもしれない日に、来ないわけにはいかないですよ」
と、答えたのは文隆だった。
「いっつもは本部に来るのを嫌がってるくせに」
「本部に来るのは別に構わないですよ。話の通じない人間に会うのが嫌なだけです」
話の通じない人間というのは、彼らにとって桟宮以外のほとんどの人間を指す。
桟宮にとっては、あつかましいとしか思えない台詞だった。桟宮にとって、この3人は生意気としか思えない。けど、憎めない存在。つまり、やっかいな連中ということになる。桟宮は頭を掻きむしって、目を細めて言った。
「おまえらだって、まさか年齢で人を見るなー、なんて言う気は無ぇんだろ?」
「勿論です。そんなこと、理想にもならないじゃないですか」
意外にも、文隆は素直に認めた。
ただ、と続けた。
「実力は認めてもらいたいと思っています」
「文隆、実力じゃ言葉が悪いよ。実績にしておこうよ」
真琴が横から口を挟む。勝手にしろ、と桟宮は肩を竦めて見せた。
そして今まで黙り込んでいた史緒が、桟宮に尋ねる。
「ネットワークにはダミーを置いてるんですよね、ハッカーは? また来たんですか?」
データベースを照合にかけている間、ネットワークには空のデータベースを置くことにしていた。これはハッカーがまたアタックをかけてくるかどうか、調べる為である。
史緒の質問に、桟宮は首を横に振った。
ハッカーはTIAのデータベースに、もう、見向きもしていないのか、それとも…
桟宮の奥に座っていたまりえが口を開いた。
「桟宮さん。そろそろ終わります」
まりえの前に置かれているパソコンのディスプレイには、いくつかの棒グラフがグラフィックで表示されていて、作業の進行状況を表していた。横向きの棒グラフはもう少しで右側に達しようとしていた。
「…ああ」
まりえの報告に桟宮は頷いただけだった。
「どうしたんですか?」
「いや。…何となく、結果は見えてるから」
桟宮の言葉に、まりえも深く頷いた。どういうことだろう?
史緒たち3人が顔を見合わせると、桟宮は言った。
「3日前からノンストップで照合かけてて、…今までエラーゼロだ」
それがどういうことか、分かるだろうか?
ピ───
まりえのパソコンから、周波数の高いビープ音が鳴った。それは、データベースの照合が終わったことを表す音だった。
この時ばかりは桟宮は機敏に立ち上がり、まりえのパソコンに駆け寄った。マウスで操作して、いくつかのリストを表示させる。それらを本当に読んでいるのか疑わしいような速い速度でスクロールさせて、もう一度確認して、桟宮は深い深い溜め息をついた。
意外な結果が出た。
「オールグリーン。エラー無しだ」
それは手詰まりを意味する。
予定では、この照合によって削除されたデータの内容を突き止め、そのデータの内容から犯人を推測するはずだった。しかし、バックアップとの照合では差分がゼロだという結果が出た。それはつまり、侵入されたデータベースとバックアップは同じ───傷つけられたデータが無かったということになる。これでは手がかりが何も無いことになってしまう。
桟宮の後を追って、リストを眺めていたまりえが言った。
「でも、削除履歴は残ってます」
「それなんだよなー…」
桟宮が構築したセキュリティによると、犯人が侵入の際、何らかのファイルが削除された履歴が残っているのである。そう、これは矛盾だ。
本部きっても技術者である2人は揃って考え込んでしまった。
コンピュータに精通していない他の3人は、余計な口出しをしないで、2人の決断を待っている。
重苦しい沈黙があった。
まりえはパソコンのディスプレイに向かいつつも遠い目をして、桟宮は目をつむり腕と足を組んで眉間に皺を寄せていた。
「講釈たれるつもりはないが…」
ふと、桟宮が語り始めた。
「もともとハッカーというのは、コンピュータに以上に詳しく、犯罪とは関係ない奴を指す。不正侵入やデータ破壊などのの犯罪を行う人間のことは、クラッカーという。最近は欧米なんかじゃ、ブラック・ハッカーなんて言うらしいけどな」
一息ついた。
「どっちにしても、奴等は、自分達が犯罪行為をしているという自覚が足りない奴が多い。それはハッキングの行為そのものが、どんなに遠く離れた国へでも、自分の部屋から攻撃できるからだ。そういう点において、実はクラッカーよりハッカーのほうが質が悪い。好奇心から泥棒するような奴だもんな」
法律に反し悪いと知っていても強盗をする人間より、悪いと思わずに強盗をする人間のほうが桟宮は恐ろしいと思う。無知で、さらに道徳と倫理が無い人間との意思疎通は極めて困難である。それは脅威とも言える。
そこまで考えて、桟宮はふと思い付いた。
データベースの照合で、結果が得られなかったこと。この原因が自分のプログラムのミスだとは思ってない。それだけの自信はある。
では、どういうことか。もしかしたらこれは…。
「…桟宮さん」
まりえが小さな声を出す。思考を中断させて、桟宮は顔を上げた。
「なに?」
「ちょっと思い付いたことがあるのですけど、…任せていただけませんか」
同じことを、2人は考えたかもしれない。
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