キ/GM/11-20/15
≪6/8≫
平日の午前10時。
どういうわけか、史緒は秋葉原の片隅で、歩道のガードレールに腰掛けていた。
目の前を行き交う人に絶え間は無い。この寒いのに…と史緒は皮肉めいた事を考えつつも、今こんな所でガードレールに腰かけている自分も自分だ、と呆れた。1月半ば。昨日、都内でも初雪が降った。歩道の片隅にはまだ少し雪が残っている。
これから2月末まで、ぱらつく程度の雪が何回か見れるだろうし、一回くらいは雪かきをしなければならないような雪もあるだろう。
それを考えると史緒はうんざりした。
寒い中じっとしていたから、体が芯から冷えて、史緒はコートの襟を直す。
「暇なら付き合え。荷物持ちだ」
と、今朝になって唐突に、ほぼ強制的に宣言した三佳。篤志が事務所の留守番をしてくれるというので史緒はこうして付いて来てみたが、三佳の魂胆は見えてる。
ずっと事務所の中で考え込んでいる史緒に、気晴らしをさせたかったのだろう。
三佳の気遣いを分かっていたから、史緒は大人しく付いて来ているのだ。
TIA本部の事件はまだ解決していなかった。バックアップとの照合で結果が得られなかった日、あの後、まりえと桟宮は御園調査事務所に本陣を移し、次の手を打っているようだった。自信は無いけれど、手応えはある、とまりえは言っていた。
(見つかったとしてもどうするのかしら)
犯人はどこの誰? 本部の役員の様子では例え犯人が外国人でも、乗り込んで行きそうな勢いである。捕まったら犯人はどうなるだろう? 日本か相手国の警察に処分を頼むのだろうか。もしくはあの連中のことだ、裏の人間に処分を頼む気かもしれない。どちらにしろ史緒には関係ないけれど。
でも、思うことがある。
(勿体無い、って思うのは浅ましいかしら)
それだけの技術を持っている人間を消してしまうことを、誰も何とも思わないのだろうか。
それとも犯罪者に対して、こんな風に考える自分がおかしいのだろうか。いや、単に、あれだ。史緒は最近、コンピュータに詳しい人材を探しているから、こんな気持ちになるのだ。
史緒は、外注で頼んでいたまりえを頼るのはやめて、本部への情報交換もA.CO.でやりたいと考え始めていた。それにはある程度コンピュータに詳しい人間が必要になる。都内に住んでいて、情報業をやっていくモラルと覚悟のある人間、そしてこんな小娘に従える人間…。
史緒は考えるのをやめて、深々と溜め息をついた。
(難しい、か)
気長に考えようとは思っているけれど。
昨日、篤志に相談したら、探すにしても時間がかかるだろう、という意見が返ってきた。
史緒だって、ゆっくり探すつもりではいる。
「あの…っ」
すぐ近くから声をかけられた。
こんな所で知人に会うとは思えない。史緒は咄嗟に今日の自分の格好を眺め、端からどんな風に見られているのか推測して、それ相応の表情で、少し驚いた様子をしてみせた。
「はい?」
そこには意外なことに詰め襟学生服を着た高校生の男が立っていた。多分学校指定の黒いコートを着て、白い息を吐いている。学生鞄には派手なステッカー、短すぎない短髪、流行りのスニーカー、まぁ普通の高校生と言えるだろう。その遥か後方には同じ制服を着た一団も見えた。
今は平日の午前中だ。すると彼らは学校をサボっているのだろうか。話かけられた意図が分からないので、史緒はとりあえずよそ行きの笑顔を見せている。
「えーと…その。あ、誰か待ってんの?」
あまり洗練されていない台詞に史緒は興醒めした。(ただのナンパか…)
「…ええ、まあ」
どうやって追い返そうか、それとも少しからかってみようか、そんな二択を考えたけれど、条件反射的によくある感じの不審げな態度を取ってしまう。
史緒には、キツい言葉で追い返すことも、気取ってからかってみることも可能だけど、どちらも本当の自分ではないことは、分かる。
「この間もここで見かけたけど、何やってる人なわけ?」
(この間…?)
確かに、三佳に付き合ってここへ来るのは始めてではないけれど。
「あ、別にナンパとかじゃないから」
と、男は言う。史緒は笑いそうになってしまった。その言い訳は面白かった。
ナンパじゃなければ何だと言うのだ。結局、彼の言いたいことはよく分からなかった。
そうこうしているうちに、史緒は男の背後に見知った人影を見つけた。
「あっ…」
「え?」
つられて、男が振り返る。
三佳が荷物を抱えて、そこに立っていた。
「待たせたな。誰だ? こいつ」
と、相変わらずの口調で言う。史緒は一度息を吐いて、座っていたガードレールから腰を上げた。三佳が戻って来たなら、ここにいる必要はない。
一方、男は史緒が待ちあわせをしていた相手の年齢に驚いているようだった。
「えぇっ!?」
と、感情を隠そうとしない声を上げた。根本的に素直な人間なのだろう。
史緒は三佳に歩み寄り、彼女が両手に抱えている荷物を引き受けた。
「おまえも、変なのに引っかかるんじゃない」
「そんなんじゃないわよ。寒いから早く帰ろう」
三佳はちらりと史緒の顔を覗う。ナンパ男に対して演技している史緒に、三佳は気付いただろう。史緒は心の中で、軽く舌を出した。
けれどもう帰る。気の毒だが男のことは無視だ。
「それともどこか寄ってく?」
「そんなに寒いなら一緒に来ればいいんだ」
「遠慮しとく。あの店の匂い、気持ち悪くなるんだもん」
「じゃ、今度の荷物持ちには篤志でも連れてくるか。───それから」
三佳は突然振り返り、学生服の男を睨んだ。男はびっくりした様子を見せて、
「は?」
と、三佳に目をやった。
史緒はその男に同情さえしてしまう。きっと彼は、三佳のような年頃の子供にガンを付けられたのは初めてのことだろう。
「ナンパするならほかを当たったほうがいい。こいつは手に負えないぞ。それに世間知らずだ」
史緒は少しだけむっとして、三佳の名を呼んだ。男のほうも弁解めいたものを出してくる。
「なっ、ナンパなんかじゃないっ」
「じゃ、なんだ?」
「それはっ」
勿論、答えられない。
三佳は勝ち誇ったような表情を男に見せて、踵を返した。
史緒は本当に気の毒に思いながらも、三佳の後に続く。一度だけ振り返ると、さっきの男は、仲間たちと一緒に何か言い合っている様子だった。
「史緒」
「なに?」
言葉が出るより先に、三佳の携帯電話が鳴った。ちなみに史緒は携帯電話を持ち歩く習慣が無い。
何回かのコールの後、三佳は通話ボタンを押した。
「もしもし」
───電話はA.CO.の事務所からだった。史緒への伝言を篤志が伝える。
TIA本部から招集連絡があった、と。
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