/GM/11-20/15
7/8

「犯人が分かりました」
 TIA本部。会議室。37代表を前にして、まりえは悠然と声を響かせた。
 犯行日時は1月8日。それから10日後のことだった。
 ざわっ、と。驚きを含んだ動揺が伝わっていく。それは目に見えないにも関わらず波のように広がっていくのが分かった。
「誰だっ!」
「犯人はどこの誰だっ?」
「被害状況は!」
 案の定、代表達の質問が飛んでくる。壇上にいるまりえは背筋を伸ばし、顎をわずかに上げて構えている。彼女はクールに見えて、実はこういった目立つことが好きだ。
 室内は騒然となった。数々の質問がまりえに投げられる。数日前、データベースの照合により結果が得られなかったときはここぞとばかりに非難していたのに現金なものだ。この騒々しい中では何を言っても無駄だということはまりえも分かっていて、役員方を焦らさせる意味も込めて、まりえは沈黙していた。
「まりえさん。判明している事実を教えてもらえませんか」
 立ち上がり、そう発言したのは阿達史緒だった。
 まりえは微かに笑った。まりえは、結果を急がず順序立てて物事を把握しようとする阿達史緒の考え方を気に入っている。
 彼女が動いたので、一同は静かになった。
「では、阿達さんのおっしゃった通り、今現在分かっている情報をお知らせ致します」
 会議室にはマイクもあったが、まりえはそれを使わなかった。
「今のところ、こちらで掴んでいる内容は次の通りです。犯行日時、犯行場所、犯人、犯人の身元、被害内容。それから次は推測によるものですが、犯行動機。以上です」
 即座に質問しようとする代表を抑えるように、史緒は立ち上がった。
「3日前、データベースのバックアップとの照合は失敗しましたね。その後、どうやってそれらの情報を得ることができたのですか」
 他の代表が立ちあがった。
「そんなことより犯人は誰だっ!」
 何人かがそれに同調し、同様のことを叫ぶ。騒ぎが大きくなってきたので、まりえはマイクのスイッチを入れた。
「では質問します。犯人が分かったところで、あなたたちはどうするおつもりなんですか」
 スピーカから響いた声は全員を黙らせた。こういう場では声の大きい者が発言権を得るものだ。
 誰かがヒステリックに大声をあげる。
「捕まえるに決まってるだろう!」
「どうやって?」
 まりえは予測していた通りの言い分に挑発的に答え、続けた。
「今回のような事件の犯人は外国人である可能性が高いのです。各国の法律が違うなど諸事情により日本の警察を動かすのは困難です。相手の国の警察を動かしますか? TIAにそれだけの力が? …それにどうやって、相手の犯行を説明するおつもりのですか。コンピュータに侵入されました、とでもお言いになるのですか? それが言えるのですか? 失態を明かすのですか?」
 誰も答えられなかった。
「犯人の処理…この問題は最後まで残ると思われます。初めから説明させていただきますので、皆さん、その間にご考察お願い致します」
 まりえは史緒と視線を合わせて微笑した。初めから説明するということは、史緒の質問の回答にもなる。
 史緒も硬い表情を崩して、まりえに向かって軽く会釈し、椅子に座り直した。


「まず、皆さんご存知かと思われますが、侵入されたデータベースとバックアップとの差分はゼロでした。つまり、犯人はデータベースを傷つけなかったということになります。しかし一方で、犯行時刻にファイルが削除された履歴が残っていました。これは矛盾していることだと、お分かりいただいていると思います」
 ドーナツ型のテーブルの周りをコツコツと歩きながら、まりえは語り始めた。テーブルに着いている37代表は皆、腕を組んだり、目を瞑ったりして、まりえの話に耳を傾けている。桟宮も部屋の隅でそれを聞いていた。
「そこで私、思いましたの。もしかしたらバックアップからも、同じデータが削除されてしまったのではないかって。そうすればこの現象は説明がつきます。…ええ、お察しします。バックアップは犯人の見える位置には置いてなかったのですもの。バックアップに偽りがあるはずありません。───…ですけど、こういうことも考えられます。犯人はTIAのコンピュータにも侵入できてしまうような人間…、勿論、素人ではありません。簡単なプログラムくらい組める人間です。つまり、犯人はファイルを削除しただけではなく、あるものを置いていったのではないかと思いました。多分、犯人は予測したでしょう、私たちがバックアップと差分をとることを。…バックアップとの照合が行われた場合、バックアップの同じファイルを削除するという実行ファイルを置いていったとしたらどうでしょう」
「罠を仕掛けられていたということか。そんなこと可能なのか?」
「簡単ですよ。桟宮さんなら、10分かからないでしょう。私も可能です」
「コンピュータウィルスというやつか?」
「いいえ。コンピュータウィルスの定義として、自己繁殖能力があることが上げられます。今回のものはその危険性は無いものでした。…あら、言ってしまいましたね。そうです、データベースを調べた結果、その罠は仕掛けられてしました」
「その後はどうやって調べたんですか?」
 史緒だった。まりえは頷いた。
「皆さん、お忘れかもしれませんけど、バックアップは一つではありません。データベースの情報をコピーする権限を持っている各グループは少なからず本部と同等のデータを保有しているはずです。御薗調査事務所のサーバにも、いくつか本部のコピーがあります。その中で、私が目を付けたのはハッカーのブラックリストでした」
 この場合のハッカーというのは、正しい意味の通り、コンピュータに詳しい人間のリストである。クラッカー予備軍、とも言う。
「桟宮さんにお願いして、本部コンピュータのブラックリストのテキスト情報だけを持ちかえらせていただきました。これは犯人の仕掛けた罠までも持って帰ることがないようにです。事務所へ持ち帰り、細心の注意を払ってブラックリストだけ照合しましたら、ヒットしました。一件だけ」
「何?」
「犯人は、ブラックリストの中から自分の名前だけを削除しました。それだけです。それが、被害内容の全てです。そして削除されたレコードの人物、それが犯人です」
 まりえは侵入されたコンピュータの、犯人が残した罠を調べた。解析した結果、犯人が罠をしかけたのはこの情報だけだったことが分かった。イコール、犯人が手を出した情報、ということになる。
「…犯人は誰だ」
 唸るように、本部役員が呟いた。今度はまりえはあっさりと口にする。
「驚くべきことに日本人でした。しかも東京です」
 ご近所さんだったというわけですね、とまりえはおどけて見せた。
 だんっ! 誰かがテーブルを叩く。まぁこれだけ人間が集まれば、短気な人間もいるだろう。
「名前はっ?」
「木崎健太郎」
 またも、さらり、と答える。
「裏の人間か? プロか? まさか普通の会社員とか言わないだろうな」
 それはごく一般的な想像である。
「…事実は小説より奇なり、です」
 しん、と静まり返った部屋に、まりえの声が響き渡った。
「木崎健太郎は17歳、学生です」
「なんだと…っ!」
 誰かが叫んだのがきっかけだった。
 信じられない事実への驚愕が部屋全体を満たしていく。
「本部リストには無く、私のところのリストには、その名前が残っています。それが証拠です」
 それこそが差分、つまりハッカーに削除されたファイル。
 そう、証拠を突き付けられても、すぐに信じられるものではなかった。
 そして驚いているのは高齢者ばかりではない。
「17…っ?」
 文隆も目を見開いて声を荒げた。
「史緒と同い年だね」
 まりえからあらかじめ聞いていた真琴が隣で呟いた。
 史緒も信じられないというように、発言したまりえを凝視している。
「犯行動機を推測したと言ったなっ? その木崎とかいう高校生がこの組織のデータベースに何の用があったと言うんだ、わざわざ自分の名前を消す為だけかっ?」
 珍しくまともな意見が飛び交った。まだ周囲のざわめきは収まらないままだったが、まりえはそのまま答えた。
「ええ。ここで言うことができる犯行動機は私の推測でしかありません。…しかし、限りなく事実に近いものと思われます」
「何だ」
「技術的興味、です」
「…?」
 まりえは手元に持っていた資料をめくった。
「木崎健太郎の身元を調べました。彼は、都内の私立高校情報処理学科の2年生、パソコン研究部に所属しています。性格は社交的、コンピュータの知識は教師を凌ぐようです。それから木崎健太郎は学校のパソコンから、よく外部のコンピュータに侵入しているようです。それこそ、遊びのように」
 子供のイタズラ。
 今のところ、彼の犯行による被害報告はどこからも出されていない。どうやら本当に、侵入するだけのようだ。今回、たまたま選ばれてしまったTIAのコンピュータでは、自分の名前がリストアップされていることに驚いて(面白がったのかもしれない)、ファイルを削除してみた、というところが真実なのだろう。
 組合役員はまだ信じられない様子で、ひそひそと話し合っている。すぐに決断が下るとはまりえも思っていない。ゆっくり待つつもりだった。
 しかし。
「はい」
 と、高く通る声が響き、その声の主が右手をまっすぐに上げた。
 阿達史緒だった。
 突然の、発言権を得るための行為に、場を仕切っていたまりえは少しだけ驚いた。史緒は何を発言するというのだろう。
「どうぞ、阿達さん」
 まりえがそう言うと、史緒は立ち上がって、一言一句はっきりと、発音による聞き返しを求められまいと、大きな声で言った。
「この件、A.CO.に任せていただけませんか」

7/8
/GM/11-20/15