キ/GM/11-20/16
≪3/7≫
3日前。
12月某日。東京都港区。
───その番号は、3回しか鳴らない。それ以上もそれ以下もない。
『はい』
そして名乗らない。いつものように落ち着いた声で女性が、電波を受け取った旨を伝える返事だけをした。
「桐生院さん、お願いできますか」
声を抑えて、阿達史緒は言う。しかしその努力も虚しく、雰囲気を正確に読み取った台詞が返ってきた。
『不機嫌なところ申し訳ありませんが、名乗らない方には取り次がないことになっているのですよ。阿達史緒さん』
「伝わっているなら、問題は無いわ」
初めに名乗らなかったのはそちらのほうだ。…口には出さなかった。
阿達史緒は東京は浜松町、事務所の椅子に座り、電話を左手に、右手には今朝届いたばかりの書類を握り締めていた。
電話の受信側のナンバーはかなり奇特なもので、教えられる人間は数える程度しかいない。その数えられるうちの一人が阿達史緒だが、このナンバーは第三者はもちろん、関係者にも口外は無用だった。とある経済界大物の第一秘書へのホットラインだ。それも当然だろう。
それを考えると、相手が名乗らない理由も納得がいく。万分の一の偶然で、間違い電話がいつ掛かってくるとも分からないから。
『お待ちください』
義務的にそう言うと、回線が切れる音がした。受話器の向こうは沈黙というより静寂が訪れる。保留の音楽は無い。それは待つ側に不安感を与えるが、もしかしたらあの女性はそれを見越しているのかもしれない。主人を有利な位置に立たせる為に。
再度、回線がつながる音がした。
『もしもし』
年配女性の貫禄のある声が聞こえてくる。低すぎず高すぎず、少しだけ遅く感じる言葉回し。史緒は少しだけ緊張する。いやいや。今日、文句を言いたいのはこちらだ。気迫負けなどしていられない。
「依頼書は届きました」
『そ。あれは急いでるの。手早くお願いね』
と、まるでマニキュアを塗りながら片耳でしか聞いてないようにそっけなく言う。もちろん、被害妄想だけど。
「そうじゃなくて! これはどう考えても、A.CO.向きの仕事じゃないと思います」
『弱音? 珍しいわね。文隆のところへは頼めないわよ。あそこのメンバー、今、テスト中らしいから。史緒のところはそういう意味での学生が一人もいないでしょう? 頼むわね』
畳み掛けるような言葉に、史緒は返答が遅れた。
「…藤子は?」
『あの子は別の仕事中。ちょっと地方へ行ってるの。真琴のところは条件に見合う人材がいないし』
「…」
『三佳ちゃんになんかやらせるんじゃないわよ。あなたがやりなさい』
「わかってますっ!」
それこそ悪趣味な冗談だ。史緒は声を荒げた。
『次は結果を聞きたいわ。またね』
がちゃり。
一方的に切られた電話は空しい発信音を残すだけで、受話器を持つ史緒の左手はふるふると震えていた。彼女の後ろには壁を埋める窓があって、その向こうには気持ちの良い青空が広がっていた。
今日の天気とはウラハラの史緒の心情を察してその様子を見ていた3人は痛ましい表情を落とす───はずがなかった。
「所詮、上から来る仕事は選べないってことだよな」
その中で最年長、20歳の関谷篤志がからかい半分で言う。先程の史緒の電話を聞いていたのだ。背が高く長い髪を結んでいる彼は大学生という肩書きも持つが、学業よりこちらの仕事を優先している。
「雇われてる身の辛いところだよね。いくら所長とはいえオーナーには逆らえない、か」
面白そうに笑うのは七瀬司、17歳。実は視力が不自由だが、それを感じさせないほど彼の立ち振る舞いは自然だ。今も、ハードカバーの本を開いていたりする。しかしそこはさすが視覚障害者、点字だった。それは書籍ではなく楽譜だったが、司以外に分かる者はいない。
「自分がやりたくないからって、意見するほうがおかしいだろ。仕事を選べる立場でもないくせに。何か勘違いしてるんじゃないか?」
司の隣で雑誌をめくっているのは島田三佳、9歳。史緒の同居人で家事全般担当。それから間違いなくA.CO.のメンバーの一人。化学に秀でていて五十音より先にメンデレーエフを覚えた過去を持つつわもの。だからというわけではないが、年不相応な喋り方をする。
そして阿達史緒を含む計4名が、A.CO.のメンバーである。現在の、と付け加えておこう。
史緒はゆっくりと受話器を置くと、顔を上げ、苦々しくひきつった笑みを向けた。
「…言いたいことはそれだけかしら、3人とも」
阿達史緒、16歳。彼ら3人の、立場上は上司にあたる。しかしおとなしく使われるような連中でないことは痛いほどよく分かっていた。
史緒は乱暴に椅子に座ると、先程まで握り締めていた書類を手早くまとめ、元どおり封筒に押し込んだ。そして机の引き出しをひき、封筒を滑り込ませる。ばんっ、と引き出しを閉める音が響いた。
一度だけ、溜め息。史緒はいつもの余裕ある表情で、3人に向き直った。
「観念したわ。私がやるわよ」
「当然だろ」
と、すかさず三佳。その隣りで司が三佳をたしなめなかったら、史緒は一言いっていたかもしれない。そして篤志が、
「一応、俺もガードとして付いていくから」
「えっ、いいわよ。一人で平気、というか、付いて来て欲しくない」
史緒の咄嗟の言い分に司が笑った。
「気持ちは分かるけど…」
「却下だ」
強い声で篤志が言い放った。史緒は言い返せなくて、またも溜め息をついて、椅子の背もたれに背を預けた。
最近、ついてないことが多いのかもしれない。
「───史緒、おまえが出かけてる間に電話があった」
「だれ?」
史緒はその呼びかけに反応して、上体を上げ、篤志に報告を要求する。篤志は歯を見せて苦笑して、
「新居さん」
と、言った。史緒は眉をひそめる。
「またぁ? あの話は断わったはずよ」
「無茶な依頼だってことは向こうも判ってるさ。だから『どれだけ時間がかかってもいい』なんて言ってるんだろ」
「……」
史緒は腕を組み、空を見据え、言った。
「一生見つからないわよ。あんな条件の人間なんて」
再び、3日後───。
ドアを閉めるまで安心できなかった。
本当に。心臓が収まらなかった。───胸騒ぎが、止められなかった。
三高祥子は渋谷の繁華街から、駅を挟んで反対側の病院まで一気に走った。追われているような気がして。
<どうしてあなたが知ってるの?>
不吉に笑ったあの子が、その質問の答えをしつこく尋ねてくるような気がして、祥子は病室まで走ってきたのだ。
肩で息をして、ドアノブを押し付けたときに、やっと安心できた。そんな気がした。
はーっ、と大きな溜め息をつく。
「祥子? なにしてるの、騒々しいわね」
凛とよく通る、一本、筋を通したような硬い声。祥子は振り返った。
「…ごめんなさい、お母さん」
6人部屋の病室、その一番奥が彼女のベッドだ。
三高和子、36歳。祥子の実母。親娘とも目鼻立ちがそっくりで、でも実は祥子はそれがコンプレックスだった。商社に通うキャリアウーマンだった和子はいつもきびきびとしていて、びしっと仕事をこなして、人付き合いも巧くさらに家のこともソツ無くこなす人だった。祥子はというと、社会的にどう見てもアウトロー。高校に入ってからは開き直ってはいたものの、母と比べられると、やはり自分の至らなさを痛感してしまう。
7月の朝。そんな和子が突然倒れたのだから、祥子はすっかり動転してしまい、大切な「約束」さえ忘れてしまっていた。
「───何かあったの?」
いつも冷静な和子がわずかに目を見開き、ベッドから肩を浮かせて祥子を見つめた。
ああ…その目は知っている。
和子が何を心配しているのか、祥子には痛いほど分かった。
安心させるために、笑えない笑顔を、和子に向ける。祥子は口を開いた。
「別に、何でもない」
当然といえば当然、和子は祥子の力を知ってる。
一番初めに祥子の能力に気付いたのは母親である和子自身だ。このちからが異質なものであること、むやみに口にしてはいけないことを教えてくれたのも和子である。
祥子のちからを一番理解してくれていると言ってもいい。───そう、だから。中学のときの失敗で3度も転校させてくれたし、理解しているからこそ、和子は、祥子のちからを、嫌った。
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