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 そして30分ほど、前。
 このとき、阿達史緒は都内某所でとある人物と落ち合い、その案内により混雑した街並みを歩いていた。
 仕事だ。
 そう。仕事でもなければ、こんな、おおよそ自分らしくない表情などしないだろう。
 愛想の良い、十人並みの女子高生の役回りなど。
 史緒の最も嫌う類の仕事だが、もちろんそれを口にしたことは無い。責任とプライドがそれを口にさせないのだが、…他のメンバーには簡単に知れられてしまっているようだ。
「いやぁ、最近、不作でさぁ。君みたいな真面目そうな子がウチに来るってあんま無いんだよね。大歓迎だよ、ほんと」
 人間を掴まえて不作も何もないもんだ。黒髪なだけで真面目と評されるなら、こんな便利な仮面もないだろう。
「そうなんですかぁ? ───…」
 つまらない返事をしながら、史緒はちらりと背後をうかがう。
 どこにいるのかは知らないが、篤志がついて来ているはずだ。
 史緒は頭が痛い。
 はっきりいって、これは屈辱である。
 ───桐生院由眞からの仕事。あまり珍しくはないのだが、潜入捜査というかおとり捜査というか…。今回は風俗営業法に反する疑いのある業者の居所を掴んできて欲しい、という内容だった。このような依頼をするのは大抵行政で、市民からの苦情を受けての行動に多い。
 業者の存在が分かっていても、なかなか場所を特定することができず、こうして仕事が回ってきたらしい。
 早い話がハイティーンの女が必要になるわけで、A.CO.所長・阿達史緒にお鉢が回ってきたというわけだ。
 このテの仕事は、的場文隆のところの現役高校生のメンバーへ回ることが多いのだが、現在テスト中とのこと。御薗真琴のところはまりえという美人秘書がいるが、例え年齢不詳の彼女でもさすがに女子高生には見えない。それ以前に、史緒以上にプライドの高いまりえはどんな手を使ってでもこの仕事を他人に振るだろう。
「長く歩かせちゃってゴメンねー、もう少しだから」
 先を歩く男がそう笑いかける。史緒は完璧過ぎない程度の愛想笑いを返した。
 桐生院由眞からの依頼書には、ターゲットとなる業者との接触手段が書かれていた。これは一部の、その気のある女子高生の間で口コミで伝わるもので、これを知るのにも2つの調査機関を経由したらしい。
「ちょっと待っててくれる? タバコ買ってくるからサ」
 史緒はもちろん、普通に頷いた。男がコンビニへ消える。
 ふぅ、と一息ついた。
 そのときだった。
「───…待ってッ!」
 背後に聴いた、高い、声。




*     *     *




 それから40分後。
 落ち合う場所は初めから決まっていた。
 最後から2つ目の角、南側の通りを下って左側、ひとつめの飲食店の前。
 篤志は腕時計を気にしながら、その場所で立っていた。
 時間は午後8時。退勤ラッシュが一段落して、また別の意味で街中が混雑する時間帯。耳をふさぎたくなる程の雑踏のなか、篤志は手持ちぶたさにやはり腕時計を見ながら、秒針に目を落としていた。
 …10分ほど前。史緒はある建物の中へ消えていった。
 業者の場所さえ掴めればこの仕事は終わりだ。あとは史緒が口八丁ですぐに抜け出してくることになっていた。30分経っても戻ってこなかったときは、この仕事は失敗だと判断し篤志がのり込むことになっている。しかしたとえ何かあっても、素人相手にふいをついて逃げてくるぐらいの護身術を、史緒には教えてあった。
「篤志!」
 人波から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。すぐに史緒の姿が見える。ここは少しの胸のつかえが取れて安心すべきなのだろうが───。
「史緒」
 篤志は驚いた。
 史緒が、大声を出して走って来るなんて。
 何か失敗して、まずいことになったのかと、篤志は体を緊張させた。息を削り走ってきた史緒の体を庇うように受けとめる。
「おい」
「篤志、見てた? あの子っ」
 史緒は篤志の顔を見上げて真顔で言った。
「───は?」
「途中、私に話し掛けてきた高校生がいたでしょう?」
 もちろん、史緒のあとを尾けていた篤志は見ていた。
 茶色のコートの下にセーラー服、ウェーブの髪、背丈は史緒と同じくらいだっただろうか。言葉を交わしていたようだが篤志がいた場所からは、内容は聞き取れなかった。史緒を掴まえるように詰寄って、逃げるように去っていった高校生。
 さして重要とも思えず放っておいたのだが。
「ああ。…何だったんだ? あれ」
「どっちへ行ったかわからない?」
 すかさず訊いてくる。篤志が首を横に振ると、史緒は軽く息をついて、
「そうよね」
 と、少し落ち着いたようだった。
 史緒は心の中だけで舌打ちした。本当は篤志に女子高生を追いかけて欲しかった。けれど仕事を放棄してまで、史緒に声をかけただけの彼女を追いかけることなんて篤志はしないだろう。
 史緒は思う。
 このまま放っておく?
 胸が騒いでいるのが判る。
(まさか)
 自然に笑ってしまう。
「そっちの守備はどうなんだ? ───って…おい、史緒!」
 篤志を無視してとっとと歩き出す史緒。
「仕事は済ませたわ。そうでもなければあの子をむざむざ見送った意味がないもの」
 振り返らないまま。史緒の背中はそう答えた。この雑踏のなか、それはかなり聞きづらかった。もしかしたらその台詞は篤志に聞かせるためのものではなく、自分に言い聞かせるためのものだったのかもしれない。

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