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「迷ってるでしょ?」
ぎくっ、とした。史緒のその言葉に。
同時に腹が立った。
どうしてこの相手は、人の心を見透かしたような物言いをするのだろう。同じちからを、持っているわけでもないのに。
祥子は、自分が比較的感情が表に出やすいタイプだということを自覚していない。
そしてそれ以上に、阿達史緒が無神経なわりに、他人の性格を掴む能力に優れていることを気づいていなかった。
「───ねぇ。こういうのはどう?」
「え?」
「私たちの足下、升目があるでしょう?」
と、広い面積を持つ広場を手で示す。
都心のなかにはあると思えないくらい広大な面積を持つこの公園は、一級河川のすぐ隣に位置し、土手を利用して坪数が確保されている。芝とコンクリートが地面を占めるが、その一画、ちょうど祥子たちが立っているところは隙間なくタイルが敷き詰められた広場になっていた。正方形のタイルは白とグレーからなり、その並びには何ら法則性が無いようだが、広い面積を埋め尽くすタイルはどこか幾何学的な模様にも見えた。
そのタイルの上を、遠く人々が通り過ぎてゆく。散歩途中の子供を連れた女性、スーツを着て早歩きで去るサラリーマン、学生や老人など、たぶん格好の近道になっているのだろう。祥子は一通りそれらを見渡した。
「それが?」
視線を戻すと、史緒はついてこいという仕草をして歩き始めた。その意図がわからないまま、祥子は史緒の後を追う。10メートル程移動したところで史緒は足を止めた。祥子はわかった。史緒はタイルが敷き詰められている枠の外に出たのだ。それに背を向ける方向に体を向ける。
「私の後ろ、白と黒の升目があるわけだけど、三高さんが指定した位置のタイルが何色か、私が当てるの。それが当たったら、三高さんはウチに入る。はずれたら、私が諦める。あなたを追うのはやめるわ」
「───」
祥子は史緒の提案したことを理解するのに、少し時間がかかった。
史緒は賭けを持ち出したのだ。祥子はすぐに反対した。
「そんなの、のれるわけないでしょ。どうせ、このマスの模様をおぼえてるんじゃないの?」
「三高さんは、これが何かの模様に見えるわけ? 私はどう見ても無秩序にしか見えないけど」
「…」
「このタイルの敷地、どう見ても30メートル四方はあるわ。ひとつの桝目が50センチだとしても、3千6百個はあるのよ? 例え模様があってそれをおぼえてたとしても、ピンポイントの色はわからないでしょう?」
祥子は史緒の背後にひろがる敷地に目をやった。確かに、これだけの数のタイルの並びを覚えろと言われても、どんな手段を使うおうかすぐには思いつかない。史緒がそれを可能にしているようにも見えない。
ただ、だからこそ、阿達史緒が勝算のない賭けをするとは、祥子は思えないのだ。
しかしこの自信ありそうな表情はなんだろう。
「やる? やらない? どちらでもいいけど、三高さんが逃げ続けるつもりなら私は追い続けるから。それこそ、学校に乗り込んでもね」
それこそさっきの「言いふらす」発言が本当になってしまう。祥子は震え上がった。
でも逆に言えば、この賭けに勝てばもう追い回される心配はない。それは史緒自身が保証している。
三高さんのそのちから、役に立つと思ったから───その言葉が頭に浮かんだがすぐに消えた。今現在、目の前の人物が発する嫌悪感を取り除くほうが大事だ。
「…ひとつ確認させて。ズルする気はないよね」
これは重要な質問だった。その反応いかんで、祥子は史緒の本心を見抜くことができる。
「ないわ」
と、あっさりと頷く。嘘はついていなかった。
「はずれたら追うのはやめるって言ったよね」
「ええ」
「その言葉、忘れないでよ」
祥子は史緒の言い分に賛同し、この賭けにのることを承知した。
祥子は史緒の正面に立った。史緒の肩越しに白とグレーの広場が見える。史緒は少し首を傾け静かに笑っていた。祥子はたじろぎそうになったが、どうにかそれを押し隠すことができた。
本当は、祥子が先に答えを知るためにタイルを見に行ってから決めても良かったのだが、あえて祥子は自分も答えを知らない状態で勝負した。史緒から目を離して、不審な動きをされる恐れもあったからだ。
祥子は一度、史緒の肩越しにタイルが広がる広場を見て、そして言った。
「私から向かって左から16個目。手前から17個目」
これはまったくでたらめな数字で、思いついた数を口にしただけのものだ。ただ、キリの良い数字は避けた。そんなはずはないのだが、何となく、当てやすい気がして。
祥子がその指定を口にしたとき、史緒は顎をひき、目をつむっていた。少しうつむき加減。
でもすぐに顔をあげる。
「!」
その自信満々な表情を見て、祥子は喉の奥が乾くのを感じた。
史緒はまっすぐに祥子の瞳を見つめ、笑う。
「───白よ」
あまりの即答に祥子は一瞬言葉を失った。
「え…」
「なに慌ててるの? どうせ2つに1つしかないんだから、時間かけて考えてもしょうがないでしょう」
「それは…そうだけど」
と、口ごもる祥子に、史緒は自分の背後を指さした。
「じゃ、結果は三高さんが見てきて」
いまだ、不敵な笑みを浮かべながら。
自分でひとつひとつのタイルを踏みながら数え、該当部分のタイルの色を見る。
祥子は信じられず、5回ほど同じことを繰り返した。それでも確たる気持ちになれなくて、6回目、数えたあと、ようやく祥子は口にした。
「白…───だ」
結果は史緒の言った通りだった。
その史緒は平然と、
「そう。じゃあ私の勝ち。私が当てたら三高さんはウチに入るって言ったこと、忘れてないわよね」
と、言う。まるで初めから賭けなんてどうでもよかったかのように。
「…イカサマじゃないでしょうね」
苦し紛れに祥子がそんなことを言うと、史緒は睨み返してきた。
「そんなものが通用する程度の能力なら、あなたなんかいらないわよ」
「…っ」
鋭い視線を向けられて言葉を失い、祥子はかなり酷いことは言われたのに気づかなかった。何も言い返せなかった。
でも、本当に。
史緒は何もしなかった。外界からの情報に頼らず、史緒の頭のなかだけで答えを出していた。2分の1の賭けに、史緒は勝ったのだ。それは恐らく史緒本人の次に、祥子が判っている。そんな「感覚器官」が、祥子にはある。史緒が言った通り、イカサマを見抜けないような能力ではないのだ。
たかが2分の1。されど2分の1。
いや、実際は2分の1ではない。白と黒の数が等しいとは限らない。そんなあやふやな条件のままでの賭けだった。
白。その判定を、史緒はどのようにして下したのだろう。迷いのなかった張り。もし賭けに負けて祥子から手を引く結果になったら史緒はどんな顔をしただろう。それとも、あっさりと引き下がっただろうか。
「これで、私は正式にあなたのちからを利用できるわけね」
と、まるで宣言するかのようにはっきりと口にする。
「…待って、 気に入らないわ、その言い方」
今までの祥子にはなかったような反論だ。この相手には言いたいことを言っておかないと自分が保たないと悟った。言い返さなきゃ、痛めつけられるだけだ。
史緒は祥子の言い分が面白かったかのように顎を反らして目を細めて笑う。
「祥子の気に入るように言い換えてほしい? 私に嘘をつけって言うなら、やってあげてもいいけど」
「呼び捨てもやめてっ。あなた年下でしょっ?」
「私は祥子の上司になるのよ。…そうね、“三高”でもいいけど?」
「それだけは絶対にダメっ」
「じゃ、やっぱり“祥子”。いいでしょ?」
「あなた、すべてが自分の思い通りになると思ってるでしょう?」
祥子にとって最大級の皮肉のつもりだった。自分の口から、こんな台詞が出てくるとは思わなかった。でも本気だった。
この言葉で、少しでも阿達史緒が傷つけばいい。そう、思ってしまった。そう思える自分に素直に驚いた。
しかし、史緒は祥子から一瞬たりとも目を離さないまま、口の端を持ち上げ、頷く。
「ええ。少なくとも今は、私の思い通りになっているもの」
「───っ!」
叫びかけた。
やめた。
それを押しとどめたのには、ちゃんと理由がある。
きっと通じない。そんな気がする。
祥子は機嫌だけでなく、気分が悪くなるのを感じていた。
「今度の土曜日、午前10時に事務所へ来て。他のメンバーを紹介するから」
何事もなかったかのような業務連絡。
祥子は両手を握り締めることで、胸から込み上げるものに、耐えた。
「…わかってるわ。入るからには、やることはやるわよ」
低く、それと分かるほどに震えている声を絞り出す。
そして、祥子は勢いよく顔を上げると、最後の言葉を、阿達史緒にぶつけた。
「でも、あんたのことは嫌いだから」
はっきりとそんな言葉を吐いたのに、史緒は口の端を持ち上げて、目を細めて笑っていた。祥子は完璧に気分が最悪な状態になって、それを振り切るように踵を返す。この人間と長い間相対するのは無理だ。そう思った。これからも顔を合わせることになるかと思うとうんざりする。
「祥子っ」
背後からやっぱりその呼称で呼び付けられたので、
「なによっ」
と、こちらもムキになって振り返った。
史緒はまっすぐにこちらを見ていた。
「あなたのちからを活かせるのよ。それを忘れないで」
「利用しようとしてるんでしょう? さっきそう言ったじゃないっ」
祥子にしては小気味良い皮肉を返す。史緒は正面から茶化さずそれを受け止めると、
「同じことよ」
悪びれもせず言う。そして笑った。
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