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 もうすぐ3月になろうという暖かい日。季節はもう春で、空の青さも風の柔らかさも違う。
 そんなある日に、一人の男が、A.CO.扉を叩いた。
 とんとん。
(…?)
 事務所内で一休みしていたA.CO.所長・阿達史緒は、突然の来客に首を傾げた。
 ここのメンバーの誰かなら扉を叩いてもすぐに入ってくるだろうし、今日は特に依頼のアポもないはずだった。
 不審に思いつつも、史緒は立ち上がって扉に向かう。少しの警戒心を持って、内側から扉を開けた。
 がちゃり。
「え───」
 ノブを回した瞬間、ぐいっ、と引っ張られた。
 扉は史緒の力を無視して勢いよく外側に開く。腕が引かれる力に足が付いて行けず、反動で転びそうになるが史緒の体を受け止めた腕があった。
 史緒よりいくぶん背の高い人影。
「やあ。史緒ちゃん、お久しぶり」
 そんな声が聞こえたかと思うと、むぎゅううぅ、と何の躊躇もない力に抱きしめられた。
「……っ!」
 突然、というか唐突だった。
 史緒は声こそ出さなかったものの、目を丸くして驚いたが、それはその行為にではなく、その人物に対しての驚きであった。
 至近距離にいるせいで相手の顔は見えないが、その台詞だけで史緒は察した。この相手ならば、この行動も納得できなくもない。
「高雄さん……」
 抵抗もせず、史緒は呆れた声で名を呼んだ。
 関谷高雄は抱きしめたままの体勢で、ぽんぽんと史緒の肩を叩いた。
「いやー、史緒ちゃんが出てくれて良かったよ。これでドアを開けたのがうちの馬鹿息子だったりしたら、鳥肌どころじゃすまなかったなぁ」
 男に抱きついたって楽しくもないし、と付け加える。
 やっと体を解放されて、改めて顔を合わせると、目の前にはコートをまとった中年の男が立っていた。
 しばらく会わないうちに白髪が目立つようになった、顔の皺が増えた。しかし史緒がそんな風に評した男はいたずらっ子のように笑っている。つられて史緒も笑顔を見せた。
「本当に、お久しぶりです。高雄さん」
「やっ」
 関谷高雄は5親等は離れた親戚で、関谷篤志が大切にしている家族の一人である。職業は作家。昔からよく面倒を見てくれていて、史緒にとっても父親のような存在だった。
 篤志と知り合って少したった頃、初めて高雄を紹介されたとき、すでに高校生だった篤志の隣で「ま、あんまりいじめないで、うちの愚息と適当に仲良くしてやってください」と言って史緒と司を笑わせたのはこの人だった。
「司くんは?」
「もうすぐ来ると思いますけど。……けど、どうしてそこに篤志の名前が出てこないんですか」
 苦笑して言う史緒に、高雄は肩をすくめて見せた。
「成人した自分の息子なんて面白くないよ。もっとも、篤志とはついこの間会ったんだ」
「そうなんですか? 篤志ったら、何も言わないから」
「あ、何も聞いてない?」
 高雄の表情が曇ったのを敏感に見て取り、史緒は改まった表情で高雄を見据えた。
「…何か、あったんですか?]
「いや、大したことじゃないよ」
「…」
 完璧な笑顔でそんな風に言われてしまうと、こちらは追求のしようがない。嘘をつくような人物ではないので、確かに「大したことじゃない」かもしれないが、その内容は史緒に関係しているものと思われる。
「気になるなら話すよ。篤志は絶対に言わないだろうし」
 嫌味な感じではなく、さらりと言った。
 史緒は簡単に表情を読まれてしまったことを恥ずかしく思った。
「…お茶、いれますね」
「おかまいなく」
 すすめられるままにソファに座ると、高雄は一通り部屋の中を見回した。机の上のパソコンと、本棚とロッカーと…。
 史緒たちの仕事を知ってはいたが、改めてその場にいると奇妙な感動を覚える。(あの子たちがねぇ)と、耽ってしまう。これはささやかな親心。
 ふと、部屋の隅の植物が目に入る。高雄には、それが史緒の趣味でないことがわかった。司でもないし、篤志はこんなところに気を配る性格ではない。……他のメンバーの誰か。
(……)
「史緒ちゃん、一人か? 他の子も見にきたのに」
「一人は秋葉原にある薬の卸でバイト中、他の3人は学校に行ってます」
 と、史緒の背中が答える。
「学校…ねぇ」
 目の前に立つ人物とは、うまく結びつかない単語だ。
 高雄は史緒が留学してちゃんと学校に行っていたことを知っているが、それでも、おおよそ学生らしくない学生生活を送っていたのだろうと想像はつく。
高雄がひっかかった点はもう一つ。
 メンバーのうち3人が学校に行ってる年齢であるということ。話の流れから、これには司と篤志はカウントされていないことがうかがえる(司が学生でないことは知ってる)。
 その3人とバイトの1人と、史緒と司と篤志。これでメンバー数の計算が合う。
(……本当に、若いのが多いんだなぁ)
 篤志から聞いてはいたものの、高雄は改めて驚いた。
 事務所を背景に動き回るしおを見て、目を細めて笑った。この風景の中には、高雄の知らない4人も生活しているのだ。
(あの、人嫌いだった史緒ちゃんが、そばに置く仲間、か)
 篤志と司はさぞかし驚いたことだろう。
 他人を目に入れなかった、自分の世界に入ることを許さなかったころの彼女からは想像もできない。
「どうぞ」
「ありがとう」
 湯気のたつカップを受け取る。向かいの席に史緒は腰を下ろした。
「それで高雄さん。今日はどんな用件でこちらまでいらしたんですか」
「それはもちろん、史緒ちゃんの顔を見るためさ」
 史緒は目を細めて声をたてて笑った。
「光栄です。でも、本当は他のメンバーを見に来るのが目的なんでしょう?」
「そう。野次馬根性でね。もしくは親ばかとも言うのかな」
 A.CO.設立と同時に篤志は横浜にある実家を出た。その時、篤志は「親にも"そろそろ独立しろ"と言われてるし」と言っていた。それは嘘ではないだろうが、実際出て行かれると、高雄としては淋しいのかもしれない。
「でも篤志のことだから、週一回くらいは連絡してるんじゃないですか?」
「電話ではね。…和代は3人揃って顔見せに来いって言ってる」
 和代、というのは高雄の妻であり、篤志の母親の名前で、3人、というのは篤志、司、史緒のことを指す。
「ご無沙汰してます…」
「別に責めてるわけじゃないよ。忙しいのは分かってるさ。ま、和代の場合は不平不満は隠さないだろうけど」
 肩をすくめておどける高雄に、史緒もくすくすと笑った。
「和代さんらしいです」
 高雄は篤志や司の様子、近況などを一通り尋ねた後、さり気なく本当の目的を切り出した。
「そうそう、史緒ちゃん。実はもう一つ目的があったんだ」
 カップを持つ史緒の手が止まる。顔を上げた。
 高雄は思わず笑った。自分が考えて、これから実行する計画に。
「何ですか?」
 首を傾げた史緒に、高雄は不敵な笑みを見せた。
「ちょっと一緒に遊んでくれないか?」

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