キ/GM/11-20/19
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その頃、七瀬司は近づく足音を聞いていた。
月曜館の窓際の席に腰を下ろし、アイスティを飲む。その自然な動作のなかでも、司の感覚は足音に集中していた。
誰の足音か、というのはとうに分かっている。
その人物をここに呼んだのは司自身だったからだ。
(あと3歩。…2…1)
ドサッと、向かいの席に体重がかかる音がした。
「よぉ、待たせたな」
「5分ほど」
付き合いの長さを思わせる言葉を司と交わしたのは、同じA.CO.のメンバーの一人、関谷篤志だった。
本当ならばこんなところに呼び出さなくても事務所では毎日会っているし、お互いの住んでいる部屋は100mと離れていないのだから、少し足を向ければ十分事足りる。
わざわざ外に呼び出した理由はひとつだった。
「珍しいな。司が俺を呼び出すなんて」
「まあね」
司と篤志は所長である阿達史緒と並ぶ古参メンバーだが、この2人だけで会うということはあまりない。もし木崎健太郎あたりがここにいたらその事を指摘しただろう。
篤志はふと気付いたことがあった。でもすぐに納得する。
「今日は三佳は一緒じゃないんだな。……バイトか」
「そう」
いつも司の隣にいる島田三佳は今日は不在だ。だからこそ、司は篤志を呼び出した。誰にも聞かれたくない話をするために。
本題を始めるために、司は顔をあげた。
司にとって、まっすぐ前を向いて話す必要性はあまりない。相手の視線で真偽を判断することはできないし、見なくても何をしているのか大体は分かる。けれどそういう些細な演技は、普通の仕種が身に付いている人にとっては有効な手段なのだ。目を見て嘘を言うことがどんなに難しいものか試してみるといい。人の目を見て話すということは、できるだけ真実を吐かせる為の牽制でもあるのだ。
司はそんな風に訓練されてきた。
懇意である篤志にそんな陳腐な演技をする必要はないのだが、既にこの動作は日常的なものになっていた。
「僕が珍しく篤志を呼び出した理由。…察しは付いてるんだろう?」
篤志は大袈裟に息をつきテーブルに両肘を付いて、がりがりがりと頭を掻いた。
「まーな」
苦々しい声で言う。
一方、司の表情はいつも通りだが、それが司なりの不機嫌の表現なのだと、篤志は知っていた。
「法事があるんだ。咲子さんの」
それは阿達政徳から連絡があったことを意味する。
「わかってる。行くよ、行けばいいんだろ?」
自棄になっているように聞こえる。
「僕に言われても」
「悪ィ。…別に、咲子さんの法事に行くのが嫌なわけじゃないんだ」
「分かってるよ」
故人の死から5年経つ今となっては、毎年集まること事態にも少しずつ意味が変わってくる。
阿達咲子とあまり関わりのない関谷篤志が呼ばれるのは、顔見せの意味もあるのだ。
「篤志が跡取りに抜擢されてから、もう2年か」
雰囲気をやわらげるために、からかうように司が言った。
法事にはアダチの幹部も毎年顔を見せている。阿達政徳の一人娘の婚約者に、興味が無いわけ無い人物達である。
意外にも予想していた篤志からの反発は返ってこなかった。篤志? と声をかける。
少しの沈黙の後、篤志はいつもより低い声で言う。
「それって、櫻が死んでから2年経ったってことだよな」
「………」
沈黙を招くと分かっていて、篤志はその名前を口にした。
この場にいない人物について語るのは、あまり気持ちの良くないことだ。悪口でなくてもそれは変わらない。
あの特異な人間性を持つ男のことは二人とも忘れられないでいる。
篤志の台詞は本当に正しくて、櫻がいなくなったからこそ、アダチの跡取りに篤志の名前が挙がったのだ。
司は少し迷ってから言った。
「史緒はまだ、櫻を死なせたのは自分だと思い込んでる」
違うだろ、と篤志は指摘する。
「櫻を殺したのは自分だと思い込んでるんだ」
史緒の実兄である阿達櫻は、現在生きていれば23歳になっていたはずである。しかし彼は二年前に亡くなった。真冬の、寒さの厳しい日に。
事故だった。
海へ落ちた。
最期をみていたのは史緒一人。だから篤志も司も史緒の証言から推察するしかない。その証言が真実だとは、二人とも思いたくないのだけど。
でもただ一つ言えることがある。
史緒は、櫻を憎んでいた。
阿達政徳の子供は史緒一人になったのだ。
* * *
篤志の携帯電話が鳴った。
ポケットから取り出して液晶板を見ると、篤志は眉をひそめた。
「非通知設定」。
携帯電話の番号はごく親しい人間にしか教えていない。大学の連中も知らないはずだ。わざわざ非通知でかけてくる人間に心覚えはないが…。
(誰だ…?)
不審に思うのは当然だろう。
篤志がいつまでも出ないでいるので、司が声をかけた。
「どうかした?」
「いや…、ちょっと悪ぃ」
通話ボタンを押す。
「もしもし」
『所長は預かった』
たった一言。知らない男の声。
篤志は眉をひそめた。
『所長は預かった。返して欲しかったら、ここまで来い』
「…誰だ?」
自然と低くなる声。冗談かとも思ったが、相手の声は篤志が知る誰とも違う。
いつもならこの時間、史緒は事務所にいるはずだ。
篤志の電話から漏れる声を聞いて、司は素早く自分の携帯電話で事務所の短縮ナンバーを押した。篤志もその様子に注意を傾ける。誘拐犯を名乗る男との会話は一時中断された。
しばらくして司は耳から電話を離す。
「誰も出ない」
史緒は事務所にいない、ということだ。
(……本当なのか?)
「おい。どこの誰を預かったのかはっきりしてもらおうか」
思わせぶりないたずらを敬遠して、篤志は言った。
『A.CO.の阿達史緒、と答えればいいのかな? 関谷篤志。そして七瀬司』
「!」
少なくとも、間違い電話じゃないわけだ。と篤志は心の中で皮肉った。
しかし、あの史緒がそう簡単に連れて行かれるとは思わないけど。篤志は未だに半信半疑だった。
「篤志、貸して」
司は携帯電話を渡すように動作で示した。手を差し伸べた。彼は他人の声を分析し記憶することができる。
篤志はその意図を察し、すぐに司の手の上に携帯電話を置いた。
少々緊張した面持ちで、司は無言で耳を傾ける。
『できれば早く来てくれ。こちらもヒマじゃない』
ずいぶんアバウトな誘拐犯だな、と篤志は首をひねった。一方、司は電話口に向かってさらりと言葉を発する。
「どこにいるんですか、高雄さん」
「な…っ」
片肘ついていた篤志は飛び上がった。
篤志は何か言おうとしたが、司がそれを制し、電話に耳を預ける。
その人物は篤志も騙されるほど声色を変えていたけど、司は元の声の輪郭を見抜いていた。
なにより、関谷高雄は篤志の父親だ。篤志は司の言葉を疑いもせず、驚きの余り声を荒げた。
「ちょっと待てっ!」
そして。高雄がこのような馬鹿げた行動に出る理由は一つしか思い当たらない。
…単なる暇つぶしだ。
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