キ/GM/11-20/19
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声色を変える名人とは聞いたことがなかった。
しかし史緒はこれが目の前の出来事でなかったら、それが高雄の声であることを信じられなかっただろう。
「所長を預かった。返して欲しかったら、ここまで来い」
何をするのか、だいたい聞いてはいたけど、それでも史緒は吹き出しそうになった。
ちょっと一緒に遊んでくれないか?
この台詞の後、高雄は史緒を連れ出した。
A.CO.事務所の屋上へ。
晴天だった。史緒は扉を開けたとき受けた風に、初めてそれに気づいた。
(……いい天気)
日の眩しさに手をかざして空を仰いだ。
後ろを振り返ると、高雄が携帯電話を相手に声色を変えて奮闘している。
『どこにいるんですか、高雄さん』
七瀬司の声は史緒にも聞こえた。
「もうバレた」
高雄は振り返って笑った。
司の能力を知る史緒はこうなることをある程度予測していた。意図的に黙っていたから、こういう結果になっても高雄には苦笑を返すほかない。
ちょっと待てっ!! 篤志の怒鳴り声に、高雄は煩そうに携帯電話を耳から離す。
「なんだー。もうバレちゃったか。さすがにウチの馬鹿息子とは違うね。司くん、篤志に代わってくれ」
『お父さん! 何やってるんですかっ!』
「何って、誘拐だよ」
篤志をからかうように、心底面白そうな声で答えた。
昔からのことだが、この親子は仲が良いのか悪いのかわからないところがある。史緒が知っているところでも、関谷家では高雄と篤志の兄弟のような喧嘩を、篤志の母親である和代が力ずくで終わらせるという展開が何度かあった。関谷篤志が大切にしている家族はそういうところだった。
「早くここに来ないと、お前の二番目の秘密をバラすよ」
『え…、ちょっと! お父さんっ!』
唐突な高雄の脅しに篤志は付いて行けなかった。その後の篤志の文句を無視して、高雄は史緒に携帯電話を差し出した。
「何か喋る? ゲームを降りる気がないなら、分かりやすいヒントは避けてほしいけど」
(………)
史緒は少し考えて、高雄の手から電話を受け取った。耳に付けると、篤志がまだ何か言ってる。
「もしもし」
『史緒っ? 今どこにいるんだっ。無理にその人に付き合うことないぞ』
(…二番目の秘密って、そんなに後ろめたいことなのかしら)
篤志の必死な焦りように、いたずら心でそんなことを考える。
「篤志」
『なんだっ』
その慌てようがなんだか楽しくて、史緒は声に出さずに笑った。そして落ち着いた声で言う。
「いい天気ね。風が強いけど。……すごい音」
なに和んでんだよっ!! 篤志の声を遠くに聞いて、電話を高雄に返した。
史緒が伝えたメッセージに、高雄も首をひねる。そんな高雄に、史緒は満足そうに頷いて返した。
ま、いいか。という表情を見せて、高雄は電話に最後の言葉を告げる。
「それでは愛しい我が息子よ。二番目の秘密をバラされたくなかったらせいぜい頭を使えよ。それじゃ」
ぶちっ。と、無情にも電話は切れた。というより切られた。
「どうして二番目なんですか?」
「一番目は、あいつは死んでも口にしないから」
答えになっていないような気がする。
高雄は本当に楽しそうに電話をポケットに戻す。空を仰ぐと伸びをして、史緒を振り返った。
「毎日、穴蔵生活だからね。たまに外に出なきゃ体が鈍るよ」
それは篤志を脅していることの理由になるのか分からなかったが、とりあえず一つ、史緒は分かっていることを確認する。
「高雄さん、相変わらず篤志が可愛いんですね」
「やっぱ分かる?」
「本人も分かってるんじゃないですか?」
「それは可愛くないな」
高雄が真剣な顔で言うので、史緒は堪えきれずにくすくすと笑いだした。
「相変わらずですね、高雄さん」
「人間、そう簡単には変わらないよ。───…君の父親もね」
すっと真顔に戻り、史緒は刺すような視線で高雄を見据えた。
「この間、政徳がうちに来たよ」
「!」
今日はそのことを言いにいたんだ、と高雄は言った。
史緒が一番苦手とするネタであることは知っていた。
「まぁ、察しは付いただろうけど、例の話」
「ご迷惑おかけして……申し訳有りません」
史緒は押さえつけるような声で、深々と頭を下げた。
まったく、と高雄は嘆息する。
これが17の少女の姿だろうか。
「今の状況を見ると、君が三人兄弟の末っ子だなんて信じられないよな」
一見、この場に関係の無い内容に聞こえる発言だが、核心を突かれたかのように史緒は黙り込んでしまった。
「……」
「櫻と亨か。…司くんも篤志も、『亨』という名前さえ知らないんだよな。史緒ちゃんは二人兄弟だと思い込んでるんだろ」
「ええ。たぶん」
「意図的に隠してたりする?」
「わざわざ話す必要もないでしょう。今は居ない人のことなんて」
「確かに」
史緒の母親・阿達咲子には子供が3人いた。一人は昔、幼くして事故で亡くなり、数年後に咲子は病死した。そして二年前───阿達櫻も死んだ。
それぞれに、史緒は様々な受け止め方をしてきた。篤志や司に支えられてきた。ただあの2人にさえ、史緒はもう一人の兄のことを話したことは一度もなかった。
史緒の両親と同世代であり縁戚である高雄が知っているのは当然だが、高雄が篤志に教えていないのは意外だ。
「あの双子はもういない。残ったのは君だけだ」
高雄はそんなことを言う。史緒は眉をしかめた。
瞬間的な怒りを、必死に堪えた。
「……だから、父の言う通りにしろっていうんですか」
高雄は振り返り、困ったような表情で苦笑した。
「違うよ。だからこそ君は、幸せにならなきゃいけないってことさ」
「───…」
反射的に顔を上げ、史緒は高雄に目を向ける。
高雄はその視線を受け止め、言葉を続けた。
「ただ逃げたい、というのは理由にならないよ。君は君のやりたいことを実行する為に、あの家から逃げなければね」
目的がすり替わってはいないか。見失ってはいないか。
本当に自分の目的を理解しているか、また、その手段を考えているか。
高雄はいつも笑顔で、重い課題を平然と押し付けてくる。
史緒はそれが少し苦手だ。ご進言承っておきます、と口走りそうになったが留まることができた。浅はかな嫌味は自分を陥れるだけだ。
代わりに思い付いたことを訊いた。自分らしくない質問だと、分かっていたけど。
「高雄さんは、いつ頃から作家になりたいと思ってたんですか?」
史緒の台詞が意外だったのか、高雄は目を丸くした。少しの間の後、苦笑して、
「俺の昔の夢は作家じゃなかったな」
と、言った。
「じゃあ…」
「じゃあ、史緒ちゃんは、お嫁さんになりたいと思わなかった?」
高雄は真顔だった。史緒は即答することができる。
「考えたこともありません」
「俺は思ったよ。大人になったら、好きな女性と恋愛して、結婚して、子供を育てたかった」
「……」
史緒は不可解な視線を、そのまま高雄に向けてしまった。
高雄は目を合わせていなかったが史緒がどんな表情をしているか想像はつく。
多分、史緒には理解できないだろう。そういう思想があることさえ、受け止めるのに時間が必要なのではないだろうか。
(このへんは、昔の史緒ちゃんと変わってないなぁ)
あの馬鹿息子は何をやってるんだ。
高雄は楽しそうに笑った。
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