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 真奈美は軽くスキップをしながら、アスファルトの歩道に降りた。
 伸びをする。すると袖がつっぱって、スーツの息苦しさを改めて感じた。
「ちょ、ちょっと大塚さんっ!」
 律義に車を端につけハザードを点滅させ、吉川が追ってきた。彼もスーツを着ているが、かなり着古した感がある。
「さーて。こんな街中を歩くのも久しぶりだわぁ」
 わざとらしく真奈美は言って、吉川から逃げるように歩き始めた。大通りから一歩入った静かな道で、高い建物もなく、東京タワーがよく見えた。吉川はすぐに追いついたが、真奈美が一向に足を止める気配がないので口で説得するしかない。
「大塚さんっ! ほんとにマズいですよっ。また後でつれてきてあげますから」
「今日行きたいのよ。私、3日間しか日本にいられないのよ? その間、こんな天気の良い日は他にないかもしれないじゃない」
「講演会も今日と明日しかないんですぅ〜」
「んー、まぁ何て言うか、その講演会もギャラ安いしね。はははっ」
「頼みますよぉ、大塚さーん」
 ビシッと、説得力のある言葉で叱責されれば、真奈美は嫌々ながらも従っただろう。けれどそんなスマートさより、吉川のような自分の立場に同情させるような口振りのほうが好みではある。相手の良心に賭けるほうが、よりスリリングだから。結局、それって、甘えてるってことなんだけど、嫌いじゃないのよ。
「あら、こんなところに喫茶店がある。ねぇ、ちょっと入ってみない?」
 住宅街と呼ぶか商店街と呼ぶか微妙な道通りの洒落た佇まいの店に、真奈美は足を止める。
「大塚さん!」
 勿論、真奈美は吉川の訴えを無視して、ベルつきのドアをひいた。
 ちりりん
「いらっしゃいませ」
 なかなかステキな青年が渋い声で挨拶をした。青年、と称したがそれは真奈美の希望的贔屓目で、実際は青年か中年か、微妙な年齢だった。
「こんにちはーっ、いいお天気ですね。2人なんですけど、席、空いてますか?」
 明るすぎる真奈美の問い掛けに動じる様子はなく、青年はさわやかに、
「こちらの席へどうぞ」
 と、物腰静かに店内へと2人を案内した。真奈美は頷きながらも、(やるわね、このマスター)などと思っていた。
 仲間内や恩師に言わせれば、真奈美は性格が悪い、ということになる。でもその性格の悪さが、他人から嫌われる要因にならない、とも。
 真奈美はその人その人によって、一番やっかいな性格を演じることができる。
 演じたいのだ。
 困らせてあげる、たじろがせてあげる。私はそれを観察するだけ。
 動揺したときこそ、本当のその人がよく見えるから。
 何気ない表情、瞬きの数、眉のひそめ方、指先の癖、足の揃え方。身だしなみの気の遣い方、粗雑さ、歩き方座り方。
 気付いてないでしょう? そんな風に見られてるなんて。
 表面の笑い方。内面の笑い方。
 研究対象はヒト。日常のことなの。
「大塚さーん。僕の立場も考えてくださいよぉ。心理学者なんでしょお?」
 吉川がまだ泣き言を言ってる。読みに反して諦めは悪いのかもしれない。(おかしいなぁ)
 そこで真奈美は初めて振り返ってやった。
「ほらほら、店の中では静かに。大人しく観念したら? 奢るわよ?」
 窓際の席に腰を下ろす。少しばかりパニックを起こした後、吉川は結局、向かいの席に座った。
「お茶したら、大学のほうへ向かってくださいね、いいですねっ」
 と、強い押しを見せた。真奈美は「はいはい」と笑って見せる。
 仕方ない、こちらも公費で来日しているわけだし、東京タワーはまた今度かなぁ。とほほ。
 真奈美は窓の外の景色を見た。アスファルトの乾いた地面に人通りは少ない。今日は土曜日であるにもかかわらず、だ。日本の休日ってどんなだったっけ? そんなことを思う。
 次に店内へと視線を向けた。明るすぎない店内は落ち着いた色調で、BGMは流れているけど静かな雰囲気だった。客は真奈美たちの他は、カウンターで読書中の老人と、奥でたむろしている5、6人の若者だけ。
 真奈美は自然と、その若者の集団に目をやった。男女入り混じって、仲良さそうに談笑している。一部、仲悪そうだけど、それはそれ。気を許し合った仲間なのだろう。
 そういう風景を見て、少しだけ羨ましく思ったりするのは、自分が年をとったせいだろうか。青春してるねぇ、と内心で冷やかしているのも、…同上。
「何、見てるんですか? 大塚さん」
「ん? ちょっと、向こうのワカゾーたちをね」
「自分だって若いじゃないですか」
「あら、吉川くん、お世辞も言えたのね」
 吉川は何か言いかけたが、そのまま言葉を飲み込んでしまった。表情からすると、もしかしたらお世辞じゃなかったのかもしれない。無神経なことを言ってしまったかな?
 それでも特にフォローはせず、真奈美は再び視線を店内奥の若者パーティへと移した。
(それにしてもおもしろいなぁ)
 男の子が3人、年齢は10代後半から20代前半だろう。おもしろいのは皆それぞれタイプが違うことだ。女の子は4人。ひとりは小学生だった。
 一際、真奈美の目を惹いた子がいた。女の子。ミドルティーン。
 その、どこに惹かれたのか、真奈美はすぐに分からなかった。
 パーティの中、中心となる席に座っているけど、会話の中心ではない。何を話しているのか聞こえはしないが、それは判った。ほとんど喋っていないからだ。大人しく他の人達の会話に耳を傾けている。時折、かたちばかりの相づち。目立たないけどさり気ない動作。周囲に気付かれないよう、動く視線。
 それを見て、真奈美は軽く目を見張った。
(…なに、あの子ぉ)
 真奈美はびっくりした。
 同類に会えばすぐに分かる、という自負はあった。まさしく今がそれだ。
 他の人間の一挙手一投足、表情、仕種を───見ていた。周囲に気付かれないまま。
 彼女は、「観察」する目を持っていた。
 その目は見ている。何気ない表情、瞬きの数、眉のひそめ方、指先の癖、足の揃え方。身だしなみの気の遣い方、粗雑さ、歩き方座り方…。
 真奈美と同じ、すでに癖になっている瞳。
 多分、彼女は真奈美と同じ。言葉で相手をコントロールする術を持ってる。計算高く、つまらない知識をいっぱい持ってる。そしてそのつまらないことを、自分の生き様に反映させようとしている。
 そんな、人間。
 まさか十代の女の子に、同類を見つけられるとは思わなかった。
 片肘ついて、「観察」してしまう。
 さり気ないけど、意識されたタイミングでの発言。
 仲間の反応をひとつも見過ごさない視線の配り方。
(…あ)
 それから、真奈美は見てしまった。
 彼女の、周囲に気付かれないように、静かに表した、無意識下の内面の笑顔。
 一瞬でしまわれてしまった笑顔───だけど、その表情が表していた思いまで、真奈美は見た。
 ぎこちない表情だったのはきっと彼女が笑うことに慣れていないからで、すぐに表情が戻ったのは、自分の本心を見せたくないからだ。
 でも確かに彼女は笑った。
 多分、きっと、その瞬間の、真奈美以外見ることのなかったその笑顔。それを見た後、ふと真奈美は自分自身に失笑する。
 私ほど、性悪じゃない、か。
 先程まで穿った見方をしていた自分に、反省する。
(ごめんね)
 勝手に同類視してしまったことに、真奈美は心の中で謝った。
 そのとき、ふと、突然、真奈美の胸のなかに、懐かしい風景が思い浮かんだ。
「────えっ」
 びっくりした。突然浮んだ、その思い出に。もうさっぱりと忘れかけていたことに。
 あ。と、すぐに思い付く。
似ている、気がしたんだ。
 彼女が、昔の知り合いに。
(あーびっくりした、何で突然思い出したのかと思っちゃった)
 真奈美はすっきりして深々と息を吐いた。
 似ている人物を見た。それは確かな原因だから。
 原因や要因のない既視感なんて、気持ち悪いだけだ。どこかに必ず原因はあるはずだから。
 真奈美はそれをはっきりさせずにはいられない。
 ちらり、と。また彼女のほうへと目をやる。
(でも…)
 昔の知り合いに、確かに彼女は似ているけれど、別人だと言い切ることができる。
 だって、「あの子」はあんな笑い方する子じゃなかった。
 あんな風に、仲間といることに幸せを感じて笑うような子じゃなかった。
 同一人物だったら、それはそれで楽しい。確かに年齢も合う。何が「あの子」を変化させたのだろう、と。何が、変えてくれたのだろう、と、興味深いかもしれない。
 そんな劇的な再会を期待しないでもないけど、それを願うほど、真奈美もお気楽じゃない。
「あー、もう、やめやめっ」
 自分の空想を取り払うように独りごちて、真奈美はお茶を口に含んだ。
 そのとき、若者パーティの中の一人が、他の誰かの名前を呼ぶのが聞こえてきた。
「!」
 その名前が、彼女のものとは限らない。───でも、こんな偶然も、あるのかもしれない。
「───…うそぉ…っ」
 次の瞬間、真奈美は叫んでいた。

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