キ/GM/21-30/22
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アメリカへ渡ったとき、私は19歳だった。
大学を休学して日本を飛び出した理由は…まあ色々ある。
あの頃は本当に色々なことがあって、突然、何もかもいらなくなった。家族のこと、恋人のこと、友人のこと。それらすべて、無性に捨てたくなって、すべて失いたくなって、出発日を誰にも告げないまま飛行機に乗ってた。
今思い返すと、馬鹿みたいって思うけど、若かったんだ。私。
アメリカの大学では、持ち前の社交性と培った言語力で友達もすぐにできた。日本に居た頃は不器用さばかり目立った私だけど、実は要領がいいのかもって気付いたのはこの頃。課題は毎日、分厚い本1冊。講義では容赦なく置いていかれるし、些細ないざこざは沢山あった。だけど、気の良い先生と友達に囲まれて、優秀な成績を修めることができた。
逃げるようにここへ来たけど、勉強だけはしっかりしようって誓ってた。自分ひとりの足で立つには、何かひとつのことを修めなきゃいけないって、いつも思ってた。
その意志をもって私は成し遂げてきたし、将来の目的を決め迷いなく突き進んでいた。
「あの子」の噂を聞いたのは、半年も経った頃。
小さな日本人の聴講生がいる、と。───それだけなら何も珍しくないけど(何せ、学年に2、3人は天才少年少女がいる)、どうやら性格のほうが問題だったみたい。
私は別に興味無かったんだけど、ある友達の口から「日本人ってみんなああなの?」と言われてから、日本のイメージ悪くしてる奴は誰だぁって奮起して、堂々と会いに行った。
いつも同じ席に座っていると聞いていたのですぐにわかった。
東洋人が幼く見られるのは常だけど、それは噂の子にも当てはまったみたい。噂で聞いてたよりは大人だった。といっても、多分14、15歳といったところ。黒髪を背中までのばして、地見めな洋服を着ていた。印象的だったのは、その瞳。いつも何かを睨んでいるような厳しい目つき、周囲の人間は眼中にないような排他的な雰囲気だった。
「ねぇ。ちょっと話さない? 同郷の誼、仲良くしようよ」
「私はここへ学問をしに来てるんであって、あなたと仲良くなる必要性は感じないわ」
阿達史緒が、日本の大企業の社長令嬢であることや、留学の直前に母親を亡くしていることなどは後の噂で知った。
私といえば、そんな噂とは関係なく史緒のことは気に入らなかったから、暇さえあれば「しぃちゃん」と連呼して史緒にまとわりついていた。まぁ、軽い嫌がらせだ。ほとんどは無視されてたけど。
経済学部の生徒達の間でも阿達史緒は有名人だったらしく、賛否両論な噂が流れてきた。経済学部の留学生でありながらMBA(経営管理学修士号)を目指しているわけではなく短期在籍だということ。親切心から話し掛けたクラスメイトが無視されたので言葉が通じないのかと思っていたら、講師相手に流暢な英語で弁舌していたらしい。うちの学科のテストでは散々だったけど、どうやら本籍のほうは優秀だったみたい。
一年後、史緒は日本に帰って行った。
挨拶にも来やがらなかった。
私はといえば、そのまま順調に卒業して、関連機関で助手を務めている。給料はぺーぺー、扱いは下っ端だけど、それなりに遣り甲斐を感じてる。不満はない。
あるとき、休学していた日本の大学からお呼びがかかった。このまま在学期間終わらせる気なら講演でもしろーって。忙しいからパスって断わってたんだけど、少しばかりの恩もあるし、スケジュールの調整つけてこうして凱旋を果たしたというワケ。
そして3日間の日程をこなして、帰路───成田空港に立っている。
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