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 適当に暇を潰していろと新居は言ったけど、祥子はそういったことが苦手だった。新居の会社の中をうろつきまわるわけにもいかないし、暗い夜道を散歩するのも気が引ける。結局、そわそわしながらソファに座っているだけで時間をやり過ごした。
(こういうの、蘭と篤志は得意なのよね…)
 得意、というより、アレだ。
 こういう状況を楽しめる性格。
 蘭と篤志は例え1時間待たされても苦痛を感じないだろう。人間観察が楽しいらしく、飽きもせず周囲の風景を見ている。祥子ならイライラしてしまうところを、あの2人は嬉々として時間を過ごすに違いない。
(健太郎は大抵、持参してるし)
 彼はどこへ行くにも、何かしら暇つぶしの道具を持って出かける。主にパソコン関係の雑誌だが、たまにオートバイのカタログや数字系のパズル本を持っている。
(三佳と司は思考遊び…)
 別々に行動するほうが少ない2人だが、この2人は一緒にいても言葉数が少ないときがある。無言の相席のときに、何考えてるの? と訊いたら、三佳は「このコーヒーに何を注入したら無害のまま青くできるか」と答えた。司の回答は「東京タワーから発せられる電波は、最低いくつの中継局を介せば地球を一周できるか」。これは意味不明なことを言って祥子をからかっているのだ。しかし、そうかというと、ある時など2人でしりとりをしているのを聞いたことがある。祥子はその思考回転にとても付いて行けそうにない。
(史緒は…)
 そこで祥子は悩んでしまった。史緒はどのタイプになるのか、咄嗟に思い付かなかったのだ。思考遊びタイプに当てはめてしまいがちだが、史緒はそういう無駄な…というか、実務実益に伴なわないことはしない気がする。
 う〜ん、とそんなことを考えていたら40分時間が過ぎた。
「失礼」
 と、後ろから声をかけられた。「え?」と祥子は振り返る。
「新居社長と面会中なのは貴女だと伺ったのですが、同席よろしいですか?」
 そこに立っていたのは20代後半と思われる青年だった。
 すらりとした長身に(と言っても篤志よりは低い)濃紺のスーツ、黒の革靴、ネクタイも落ち着いた色で。黒髪短髪、前髪を下ろしている。
「え、…ぁ、はい」
「ありがとうございます」
 返事をすると、青年は祥子に笑顔を向けて下座に腰を降ろした。新居社長が来ることをわかっているのだろう。
(この人が…、新居さんが呼び出した人?)
 若いのに穏やかな雰囲気。でも、場慣れしていると言うか何と言うか、姿勢を崩さない、隙を見せない人だ。
(そして、史緒をよく知っている人…?)
 思わず祥子はその横顔をまじまじと見てしまった。その視線に気付き、青年は祥子に顔を向けた。
 一瞬、目が合う。
「ああ、…三高祥子さんですね」
 と、青年は合点がいったように、ぽん、と手を叩いた。祥子は虚を突かれた。
「はぁ!?」
 どうしてこちらの名前を知っているのだろう。祥子はすっとんきょうな声を上げてしまった。
「はじめまして。一条和成といいます」
 と、そこで初めて、青年の名を知ることができた。名前を聞いても、祥子の記憶に当てはまるものはない。見覚えもない。いやいや、はじめまして、ということは、やはり面識は無いのだろう。
 そのとき、杖の音を響かせて新居誠志郎が現れた。
「やあ、来たね。久しぶり」
 と、青年───一条和成に話し掛ける。一条は即座に立ち上がり、深く頭を下げた。
「お久しぶりです。突然のお呼び出し、感激で涙が出ますよ」
(……)
 この台詞は祥子にも解った。
「皮肉は後で受け付ける。紹介が先だ」
 新居は軽く流した。
 祥子はさらに解らなくなる。この2人はどういう関係なのだろう。
「祥子、こちらは一条和成。アダチグループ総帥の第二秘書だ」
「…は?」
 祥子はまず「アダチグループ」という言葉を理解するのに時間が要った。テレビでたまに耳にすることがある。企業の名前だ、と気付くと、次は「アダチグループ」と「阿達史緒」をつなげるのに、さらに時間が必要になった。…史緒が社長令嬢であることは解っていたつもりだったのに。
 アダチグループ総帥は史緒の父親で、すると一条和成は史緒の父親の秘書ということになる。秘書、というものが具体的にどういった役割を持つのか祥子には想像できなかった。
「一条、彼女は…」
「存じてますよ。三高祥子さん。A.CO.の一人ですね」
 と、一条は新居の言葉を継いだ。新居はニヤリと笑うと冷やかすように言う。
「さすが、阿達のことになると抜け目が無いね」
「誤解を招きそうですから、その発言は撤回してください」
 微かな笑みで言うが、目は笑ってない。険悪になるほどではないが、一条和成はどうやら穏やかなだけではないようだ。新居は嘆息する。
「祥子」
「は…はい」
「一条は昔、阿達の教育係をしていたんだ」
 ぱちくり、と祥子はまばたきをする。教育係? その単語の意味も理解しかねるが、祥子は咄嗟に思いついたことを、そのままはっきりと口にしていた。
「えっ、じゃあ、史緒のあの性格の悪さはあなたのせいなんですかっ」
「───」
 今度は一条が目を丸くする。新居は口端で微少する。少しの沈黙が生まれる。
(あ…)
 祥子はハッと我に返って、災いの元となりそうな口を両手で押さえた。後悔先に立たず。
「す…すみません」
 しかし、一条は視線を反らしたかと思うと、口元を押さえ、くすくすと笑い出した。
 はじめは肩と息だけで笑っていたが、堪えられなかったのか、一条は声を上げて笑い出した。
「あははは、はははは。…それは、司さんや篤志くんからでは聞けない言葉ですね」
 一条が笑ったことにも驚いたが、司と篤志の名前が出たことにも驚いた。司と篤志、そして史緒が、A.CO.設立以前からの知り合いだということは聞いてる。篤志は史緒の遠縁だということも聞いたことがある。しかしだからといって彼らと一条和成がどう繋がってくるのか、祥子は解らないでいた。
「一条」
「はい」
「彼女は今、A.CO.を辞めようかどうかで悩んでいる。その判断材料として阿達のことを訊きたいそうだ。許す範囲で答えてやってくれないか」
「…了解しました」
 その後、どこで話をするかという相談になり、和成が知っている店を紹介すると申し出た。しかし説明を聞いてると高級レストランかバーにでも連れて行かれそうな雰囲気だったので、祥子は丁重かつ迅速に断わった。結局、新居の案で、祥子の家まで一条の車で送ってもらい、その道中に話をすることに決まった。
 新居と別れる際、祥子は改まってもう一つだけ、新居に質問をした。
「新居さんって…史緒とどういう関係なんですか?」
 ただの取引相手ではない、他にもっと別の関係があると祥子は気付いていた。
「いい質問だ」
 ぴん、と人差し指を立たせ、新居は笑う。
 祥子が自分の進路を決めたとき教えるよ、と新居は笑った。
 それが祥子には歯痒い。
(知らないことばかりなんだ、私は)


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