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 都立佐城高等学校、卒業式───。

 校風が自由な為、普段、私服登校が多い生徒達もこの日ばかりは全員制服着用になる。見慣れたはずの風景が、少し新鮮に感じるのは、そのせいだ。黒の学生服と、紺のセーラー服。3年生が体育館へ移動する時間、廊下は黒と紺の生徒達で埋まり、長い列ができていた。
 高校生活最後の日、皆どこか明るいのは気が昂ぶっているからで、まだ式の前だし、別れの悲しみをうまく表に出せないからだ。写真を撮り合ったり、小突いたり肩を叩くというようなスキンシップも、その反動だと言える。
 大河原太郎はそんな光景のなかをとくに感慨もなく歩いていたとき、後ろから声をかけられた。
「大河原くん」
「おう」
 と、気軽に振り返ってから、大河原は目を見開いた。自分を呼び止めたのが三高祥子だったからだ。彼女とは2年間同じクラスだったが、これが初めての経験だった。
「ちょっと、いい?」
 と、遠慮がちに首を傾げるので、大河原はにやりと笑うと、わずかに腰を屈めおどけて言った。
「では体育館までご一緒しましょうか、姫」
 本当は手を差し出したかったが、祥子は対応に困ってしまうだろう。(ジョークが通じなそう)進行方向を手で示すに留める。
 三高祥子と廊下を歩くのも、ちょっと良い気分かもしれない。



「あの後、健太郎から何か訊いた?」
 と、大河原に尋ねた。
 祥子にとって、この廊下を誰かと並んで歩くなんて初めてのことである。周囲の目を気にして緊張してしまうのは、自意識過剰だろうか。
「あー…」
 大河原は気持ち上を向いて、言葉を選ぶために少し間を置いた。
「三高が健とどんな付き合いかは知らないけど」と、言う。「あいつのことは信用してもいーぜ? 自分が持ってる情報、安く売る奴じゃねーから」
 笑ってはいるが真剣な表情を祥子に向けた。
 祥子はその言葉を理解するのに少しだけ時間が要った。大河原の発言は決して素直ではないが、つまりは祥子が懸念しているような心配はない、ということだ。
 でも大河原と健太郎の付き合いは祥子の知らないところで続くだろうし、その際に共通の知人である祥子の話題が出ないとも限らない。その話題を禁止できないこともわかってる。でもひとつだけ。
 口止めしておきたいことがあった。
「2年の夏のことは、言わないで欲しいの」
「───」
 息を止めたのがわかった。
「…やっぱり、気にしてたんだ?」
 隣りを歩く大河原に顔を覗き込まれ、祥子は目を伏せた。
 すぐに理解してくれてよかった。なんだっけ、などと尋ねられていたら、祥子のほうが返答に詰まっただろう。その名を口にすることはまだできないから。
 大河原は深く息を吸うと、窓の外に目をやり、言った。
「俺、報道志望なんだけど、あのときのことは話題にできないな、情けないけど」
「大河原くん…」
「クラスの中には、直前に仲良くしてた三高について変な噂してる奴らもいるけど、あんまり気にすんな。あいつが三高のこと気に入ってたのは知ってるから」
「…」
 祥子は大河原の言葉を耳に入れないように気を払った。彼女のことを思い出したくなかった。
 そのとき。
「ずるーいっ、タロちゃん! なに、三高さんと喋ってるのっ」
 どーん、と大河原の背中に突進してきた集団があった。
 見ると、クラスメイトの女子数名が大河原と祥子を睨んでいる。
「ちょっと、秘密の話を」
 と、大河原は笑ってみせた。
「なにそれっ」
「ちょっとぉ、それより言うことがあったでしょ」
「あ、そーか。…三高さん!」
 突然、名を呼ばれてびっくりする。
「え…っ、ぁ…はい」
 動揺しているのが丸わかりな返事をした。
 目の前のクラスメイトは、いくつか言葉に迷って、結局照れくさいような表情で目を逸らして言う。
「明日ね、有志で結歌のお墓参りに行こうと思ってるの。……三高さんも、行かない?」
 意外な申し出に祥子は瞬きを忘れた。大河原は目を伏せた。
 他の人はそういう行動を思い付くんだという新鮮な驚きと、どうして私を誘うんだろうという疑問とが行き交いする。
 答えは決まってる。
「まだ、行く気持ちにはなれない。…ごめんなさい」
 でも、誘ってくれたこと、素直に嬉しい。
 祥子が苦い笑顔を見せると、クラスメイトは堪り兼ねたように叫んだ。
「同窓会するからっ! 来てねっ!」
「ありがとう」
 明確な返事はせずに、祥子はお礼だけを言った。
(ほんとに、ありがとう)
 自分の胸に留まり続けるこの記憶は、もう時間との戦いになる。どこまで続くのか、いつ終わるのか、自分にもわからない。でもきっと、それが終わるまで同窓会へも行くなんてできない。だから返事ができなかった。
 祥子のお礼の言葉が意外だったのか、女生徒は目を丸くして、次に照れたように笑った。
「じゃ、抜け駆けしてたタロちゃんは置いて、私たちと一緒に行こ?」
「あ、こら、おまえらー」
「なによ、秘密の話とやらは終わったんでしょ?」
 そんな風に、祥子は強引に腕を引かれて、体育館まで向かうことになった。

 …本当に些細なことだけど。
 他人と語れること。
 笑い合えること。
 涙を見せられること。
 わかり合えること。
 そんな幸せを、私は知ってしまった。
〈昔の史緒さんは孤立してて、誰ともお話しない人でした〉
〈史緒さん、変わったんです…っ。祥子さんや、三佳さんに会ってから〉
〈あのプライドが、すべてを支えている〉
〈そうまでして、史緒が目指すものは何?〉
 ゆっくりと息を吐いて、ゆっくりと息を吸う。
(史緒が今、あの場所を守っているのは、その為なんだ)
(同じ幸せを、史緒も感じているんだ)
 …ああ、そうか。
(史緒も、…蘭の優しさに甘えていただけなんだ)
 そこまで考えるともうどうしようもなくて、祥子は式中、一人、静かに泣いた。

 私を初めて受け入れてくれたのは、2年の夏、一人のクラスメイト。
 次は半年後、街中で思わず声をかけてしまった他人。そしてその仲間たち。
 それから一年、ほとんど一緒にいた。そんな風に誰かと付き合っていたなんて、生まれてから18年、初めてのことだった。
 笑い合えたこと。涙を見せられたこと。伝えられない悔しさに、あんなにまで怒りをぶつけたこと。
 初めてだった。
(…言うだけ言っておこう)
 卒業式終わったら、すぐに。
 史緒のところへ行って、ちゃんと言わなきゃ。自分の気持ち。
 A.CO.に戻れなくても。もう一緒に居られなくても。
 同じ幸せを感じているのに、それなのに無神経で鈍感で他人の気持ちを計れないあの馬鹿に、解らせてやりたくて。本当にもう、殴ってでも伝えたくて。
 伝えたくて。
「あの…、三高先輩っ!」
 卒業式も恙無く終わり、卒業生は退場、廊下で解散になったときのことだった。
「え…?」
 呼ばれ慣れない呼称で呼び止められ、祥子は無意識に振り返る。
 そこには2人の女生徒が並んで立っていた。2人、突つき合いながら、うずうずしていて落ち着きが無い。
「…えっと、…なに?」
 戸惑いながら祥子が尋ねると、片方の女生徒が思い切ったように言った。
「校門のところに、花が来てます」

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