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 その車には4人の人物が乗っていた。
 ひとりは当然、運転手。某会社社長のお抱えで、15年のキャリアを持つ。制服と帽子、白い手袋をはめた手でハンドルを握っている。主である社長とその秘書を、今朝から数えて3番目の目的地から4番目の目的地へ送る途中だった。
 運転席のすぐ後ろには、潟Aダチの代表取締役社長・阿達政徳。アダチグループは戦後急成長した会社で、株式を分けたいくつかの会社からなる。その経営範囲は電機・貿易・銀行と多岐にわたり、今日では日本の産業を支える柱のうちのひとつだ。そのトップに立つ阿達政徳は一代で成功を収めた功績者として経済誌などにも顔が載る有名人だった。
 左隣には彼の第一秘書である梶正樹。阿達政徳と同年で、阿達が社長を務めたのと同じ年月だけ秘書を務めている。次の目的地の事前資料を渡し、車内での打ち合わせも終わらせると、梶は余計な雑談はせず背筋を正して前を向いていた。
 最後に、助手席に座るのは第二秘書の一条和成。彼の立場はアダチグループ本社秘書課内においてかなり特殊で、今日みたいに社長に着いて歩くこともあれば、そうでないときもあった。
 後部席で行われていた打ち合わせに耳を傾けつつ、一条は膝の上のノートパソコンを操作しながらそれが終わるのを待っていた。
「社長、いくつか連絡が入ってます」
 一条がそう言うと、阿達政徳は低く深い声で「ああ」とだけ答えた。
「2点あります。ひとつめは本社秘書室から。入江産業の会長がアポを取りたいそうです。こちらの都合に合わせると言ってます」
「梶」
「来月の7日、16時からなら少し時間がありますが」
「いいだろう」
「では、そのように伝えておきます。───ふたつめは、本社の海外開発部部長…海藤さんですね。予算案が上がったので至急、承認が欲しいとのことですが」
「梶にメールするように言え。暗号化するのも忘れないように」
「了解しました。現在入っている連絡は以上です」
 一条はすぐにパソコンからメールを打った。30秒で2つの宛先にメールを終わらせると、軽く息をつき、前方に目をやった。しばらくして、一条はあるものに目をとめた。
「社長」
「なんだ」
「左の歩道」
 車はちょうど信号待ちで速度を落とした。一条が目をとめたのは、歩道を歩くふたつの人影だった。
「司さんです。珍しいことに史緒さん以外の、女性同伴ですね」


*  *  *


「らん?」
 島田三佳は買い物袋を片手に首を傾げた。もう片方の手は隣を歩く七瀬司とつないでいる。
 ふたりは街中の歩道をゆっくりと歩いていた。三佳の買い物の帰りで、司は付き添いだ。三佳と行動するようになってからよく外出するようになった。司は自分の行動の変化を自覚している。今日は慣れない道の歩行なので、サングラスを掛け、白い杖を突いて歩く。
 会話の端に口にしたある人物の名前について、司は補足した。
「そう。僕らを招待した子。ほら、三佳にも招待状来てただろ?」
「もらったけど…、一度も面識ないぞ。何者なんだ?」
 10日前、三佳のもとに招待状が届いた。来週───7月1日に行われるパーティの招待だ。同様のものが、司と、阿達史緒、関谷篤志のところにも届いている。
 差出人は「蓮蘭々」。
 三佳は一度も会ったことがない。その名前から日本人ではないということと、性別は女という推測はできたが。
「僕にとっては…う〜ん、友人であり恩人ってとこ。それから、史緒の昔馴染み」
「…史緒の昔馴染み?」
 三佳は眉間に皺を寄せて司の台詞を繰り返した。
 史緒は三佳の同居人だ。同居を始めてまだ一月、史緒の性格を把握したとは、例え見栄を張っても言えない。しかし、その性格の一端に触れただけの三佳でも、史緒の昔馴染みなる人物がいることは意外に思えた。
「っていうより、素直に友達って言えばいいかな」
「史緒の友達〜?」
 今度ははっきりと訝しい思いが込められた声だった。
「史緒とは全然違うタイプだよ。すごく、明るい子。三佳も気に入ると思うな」
「待って。あまり先入観を与えないでくれ、混乱してきた」
「じゃあ、追い討ちをかけるけど」と、司は楽しそうに言う。
「彼女、篤志のことが好きなんだ」
 三佳は短い悲鳴をあげた。

「雲が」
 高い建物が途切れて視界が拓けたとき、三佳は無意識に空を仰いだ。
 そして言葉を発しかけて、止めた。
 雲が面白い形になっていることを指摘したかったのだが、ここで司にそれを言っても、司は見ることができない。司とまだ付き合いが浅い三佳は、この発言は失礼になるかもと思って言葉を止めた。
 しかし、三佳のそれらの心情を、司はすべて見抜いていた。
「雲がなに? 教えてよ」
 と、やわらかく言う。なんとなく、三佳は嬉しくなった。
 嬉しくなったと同時に考え込んだ。「雲がおもしろい形をしている」と言ったところで、どうおもしろいのか、司には全く伝わらないだろう。
 三佳はもう一度、空を仰いだ。青い空に、白い積雲が細長くいくつかに分かれ横切っている。それをどう伝えればよいだろうか。「雲が」「うん?」
「肋骨みたいだ」
「ぶっ」
 突然、司は咳き込んだ。「あははははっ」と腹を抱えて笑い出す。
「司?」
「いや…ほんと、連想ゲームは感性が表れるよね…。肋骨? 史緒だってそんなこと言わないよ」
「笑いすぎだ!」
「ごめんごめん。悪気はなし」
 台詞の端々で笑いを噛み殺しながら、司は苦しそうに、やっぱり笑っていた。
 彼のこういう突発的な笑い声を聞いたのは2回目で、意外と笑い上戸なのかもしれない。───と、思ったことを史緒に言ったら酷く驚いていた。両眼を見開き、大袈裟なほどに。
 「それはないと思う」と断言したものの、信じられないといった表情で史緒は首を捻っていた。

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