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ふと、司が顔を上げた。
「───」
「司?」「シッ」
静かに、という仕草をする。彼が感覚を研いでいるのがわかったので三佳は大人しく黙った。そして司が注意を向けている方向へ、三佳は目を向けた。
車道脇、歩道との間に黒い車が停まっていた。そしてその車の隣に立つ、スーツ姿の2人の男がこちらを見ていた。司が注意を向けているのも、その男たちだ。
(知り合い…?)
三佳は交互に目を向けて、その表情を探った。
ひとりは50代くらいの壮年男性。身長は司と同じくらいで痩せても太ってもいない。顔の皺は濃く、その年季を思わせるが、目の鋭さが現役の会社人間であることを示していた。さして体格が良いわけでもないのに貫禄を感じさせる人物だ。
もうひとりは30歳前後。隣の人物より少しだけ背が高く、黒い髪を撫でつけ、一歩後ろで付き従っている。
車の中には、運転手と、もうひとり後部席に人影が見えた。
2人の男がこちらに近寄ってきたとき、司は彼らにも届く声量で
「おじさん…?」
と言った。呼びかけではなく疑問型であったが、その声色には確信が含まれていた。
それを聞いた壮年男性のほうが僅かに表情を崩して言う。
「相変わらずだな」
低く深い声だった。笑ったのか呆れたのか、判別が難しい表情だ。
さらに司は後ろの人物にも声をかけた。
「和成さんも、お久しぶりです」
「こんにちは」
───ああ、と今更ながら三佳は驚いた。司は足音(気配?)を聞いただけで、彼ら2人を名指ししたのだ。それを冷静に受け止めているあたり、彼らは司のことを良く知る人物なのかもしれない。
「移動中ですか?」
司が尋ねる。
「ああ。君らの姿を見つけたもんでな。…この子だろう? 史緒が引き取ったというのは」
「紹介が遅れてすみません」
三佳の肩に手を添えて、司は彼らに言った。
「島田、三佳さんです。ご存じの通り、今は史緒と一緒に暮らしています」次に三佳に言う。「三佳、こちらは阿達政徳氏。史緒のお父さん、僕がとてもお世話になっている人だよ。それから一条和成さん。おじさんの秘書の人」
ということは、この阿達氏がアダチグループの社長か、と三佳は理解した。大変な大物を前にしているはずなのに落ち着いているのは、社長という肩書きより史緒の父親という肩書きのほうが興味を惹いたからだ。
「はじめまして、島田三佳です。史緒さんには大変お世話になっております」
滅多に口にしない敬語で、三佳は深々と頭を下げた。史緒の父親とその秘書、彼らと直接の関わりは無いが、世話になっているという司の手前、三佳は大人しく挨拶をした。
その挨拶に阿達政徳は目を見開き少しだけ驚いて、次に微笑んだ。
「中々、聡明なお嬢さんのようだ。こちらこそ、娘が世話になっているようで…迷惑を掛けてなければ良いが」
阿達氏のその父親らしい発言は少々意外だった。史緒があまり良く思ってない(と思われる)父親がこんな人だったとは。
一通りの挨拶を済ませた後、阿達氏は司に言った。
「司、何歳になった?」
「17です」
「忘れてないだろうな」
「ええ、勿論」
含みを持たせたわかりにくい問いかけに、司は無表情で即答した。その様子に阿達政徳は鼻白んだようで、目を細め冷たくも見える表情を向けた後、ふいと顔をそらした。
「…和成」
「はい」
「5分で戻れ」
短くそう言った後、最後に三佳に向かって、
「では島田さん、失礼します」
と言い残すと、阿達政徳は車のほうへ戻って行った。
後部席に座りドアが閉まるのを確認した後、残された一条が口調を明るく改めて言う。
「…どうやら、社長は三佳さんを気に入られたようですね」
「だね」
と司も同意する。
「は?」
三佳は2人の発言の意味がわからなかった。答えたのは司だ。
「子供相手にまともに挨拶する人じゃないよ。仕事の移動中にわざわざ車から降りて声を掛けてきたのもらしくない。僕らを見つけたのだって和成さんだろうし」
「あたりです」
下手をすると不敬になりそうな司の台詞を一条は笑顔で受けた。
それならば何故、仕事の移動中という貴重な時間に、阿達政徳は一条をここに残したのだろう。まるで一条を、司と忌憚ない会話をさせるためかのように。
一条が言う。
「どうですか、史緒さんは」
「え?」
「三佳。和成さんは昔、史緒の家庭教師をしてたんだ。というより、この人が史緒を育てたと言っても過言じゃないよ」
「過言でしょう、それは」
司の紹介に一条は苦笑した。
「…どういう育て方したんだ?」
と、三佳はつい真顔で口走ってしまった。びっくりした一条に司が「素はこういう喋りなんだ」と説明した。嫌な顔を見せなかったので続けることにする。
「私が見た限りじゃ、炊事洗濯掃除、どれもまともにできないぞ」
「今じゃ、三佳が史緒の面倒見てるんだよね」
「そのとおり」
三佳の苦言と司の合いの手を目の当たりにして、一条は吹き出して破顔した。
「史緒さんの育て方について、一部甘いところがあったのは認めます」
「でも僕から見ても、うまくやってるように見えるよ」
と、司。
「あなたのようにしっかりした人が史緒さんと一緒に居てくれて安心です」
一条のその誉め言葉を、三佳は素直に受け止めることができた。
何故だろう。嬉しかった。
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