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目覚めた日の夕暮れが綺麗すぎて、声をあげて泣いた。
5年ぶりの陽の光が痛いほど体を刺したこと。手の届かない天井。この身をおきざりにした、流れゆく雲。
のまれそうな赤い空を、きっと忘れない。
そして。
目覚めた日の夜───。
私たちは2人して薄暗い廊下を歩いていた。
部屋にいるよう言われていたけれど、七瀬司がそっと呼びに来てくれたのだ。「おいで」と手を差し伸べて。
盲目のはずの彼に手をひかれ、ひとつ階下に降りると灯りが漏れるドアがあって、その中から微かな話し声が聞こえた。
司が足を止めて、小声で言った。
「史緒───…って、誰のことかわかる?」
「ああ」
「彼女、ここに住んでるんだけど、どうやら君を引き取るつもりらしいよ。篤志はそれを反対してて、珍しく口論してるんだ。でも僕は、当事者である君を抜きにそんな話を進めるのは不毛だと思って」
と、私を呼びにきた理由を説明した。
「あの2人と違って、僕は三佳の事情はほとんど知らないんだけど」と失笑する。「このままだと三佳は警察病院に連れて行かれる。ほとぼりが冷めた頃、どこかの施設に落ち着くことになると思う。…僕の言ってること、わかる?」
私は小さく頷いた。
頷いてから、ハッとして、「ああ」と言い直した。彼には音声でないと伝わらないのだ。
「どちらにしても、最後には2人とも君の意向を尊重してくれると思う。まぁ、まずはそれぞれの言い分を聞いてみてよ」
司はいたずらっぽく笑い、灯りが漏れるドアのそばに座り込んだ。気付かれないように、立ち聞きしようというのだ。私は彼に倣い、隣に座ることにする。
「簡単に言うけどな、おまえみたいな未成年が子供を引き取って育てるなんて、どれくらい大変かわかってるのか?」
「大変なのはわかってる! 篤志だって、あの子の事情わかってるはずでしょう? …放っておけないわ、私は」
「同情ならやめとけ。三佳を放っておけないのはわかる。けど、おまえと暮らすことは反対だ。きっとお互いのためにならない」
廊下に座ったまま、部屋の中のやりとりの声だけを聞く。その言い合いは真剣で厳しいものだったけど、当事者であるはずの私は他人事のようにそれを聞いていた。隣に座る司が、一連の会話を面白がっているように見えて、私がそれに気を取られていたからだ。
「…なに笑ってるんだ?」
「面白いからだよ」
「どこが?」
「史緒と篤志が言い争ってるなんて、めったに見られないから」
「あの2人、どういう関係なんだ?」
「ただの仕事仲間に見えない?」
「見えないね」
自信満々に答えると、司は笑って、質問に答えてはくれなかった。
「よく考えろ。他人とずっと一緒にいられるのか? 昼も夜も、ひとりになる時間が無くてもやっていけるのか? 俺から見れば、三佳よりおまえのほうが危なっかしい」
「…」
「それにこの3ヶ月、食生活だってまともにできてないじゃないか。そんなおまえが、子供の面倒みられるわけないだろ!」
かちん。
「───司っ」
「なに?」
「私がここにいても迷惑じゃないか?」
訊く相手が違うんじゃない?と笑われそうな気がしたが重要な質問だった。
司は驚いた顔をして少し言葉に迷っていた。
(よかった)いい加減な言葉を即答されるよりずっといい。
司は答える。
「楽しくなると思うよ」
扉を開け放つ。史緒と篤志はその音に驚いて、睨むような目でこちらを振り返った。
「三佳…っ」
史緒は驚いて口元を押さえる。篤志も、一連のやりとりを聞かれていたことにばつが悪いのか、気まずい表情をした。
篤志の台詞にはむかついたけど、篤志に対して悪い印象はない。やつは私を追い出したいんじゃなくて、史緒を心配してるだけだと、会話からうかがえたから。
その篤志に、言わせてもらう。
「私は」ついでに睨みも効かせて。「世話してもらわなきゃ何もできないような子供じゃない!」
でも何でもできるわけじゃない。自分自身に言い返されて一瞬弱気になったが顔には出さない。
今までやってきたことだって無駄じゃない。───あんな結果を招いてしまったけど、でも無駄じゃない。そう思いたい。
立ち直れ。自分の居場所は自分で掴まなきゃいけない。
「自分のことは自分でできる!」
言い切ってみせた。
「そんなに言うなら、おまえが心配してる史緒の面倒くらい、私がみてやってもいいぞ! それなら篤志も安心できるだろ」
しーん。
場が静まり、かなり長い沈黙があった。
「…は?」
「ちょっと三佳! どういう意味っ?」
自分の台詞のおかしさはわかっていた。篤志と史緒の反応は予測通りのものだ。
でも体が熱かった。手足が震えていた。この性格が彼らに受け入れてもらえるか賭だった。
立ち直れ。そのためには動き出さなきゃいけない。いつまでも寝ていられない。
私は目覚めて、新しい世界を目にしたんだから。
「僕は賛成」
司が姿を見せて、その言葉に篤志が驚きの声をあげた。
「司!?」
「史緒ひとりでここに住まわせるのは心配だって、篤志も言ってたじゃないか。確かに史緒は生活能力無いけど、三佳が一緒なら、少なくとも食事を疎かにすることはないんじゃない? それくらいの責任は持つだろうし」
「そりゃそうだが…。まさか司が賛成するとは思わなかったな」
と、篤志は肩をすくめる。そして司が答える。
「うん、まぁ。つまるところ、僕は三佳のこと気に入ったから」
「えーっ!!」
篤志と史緒は同時に叫んで、私は彼らのそのリアクションに驚いた。
当の司はひとり飄々としている。
さきほどまで言い合っていた篤志と史緒は、目を合わせたかと思うと、今度は肩を会わせ、何やら相談を始めた。
状況についていけなくなって呆然としている私に、司が声をかけた。
「よろしく。三佳」
どういう表情をすればいいのか、私は戸惑った。
この3人の中に入っていいのか、少しだけ悩んだ。
でもやっぱり素直に嬉しくて、彼は見えないとわかっていても、私は司に笑顔を向けた。
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