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 恐いのは、静寂と騒音。

 激しい頭痛に襲われる。
 とくにこんな夜。豪雨と雷鳴。他には何も聞こえない。

 うるさすぎて、何も聞こえない。
 それでもこの耳は情報を取り入れようとする。そうしないと前に進めないから。足を踏み出せないから。その感覚こそがすべてだから。
 音という情報が途絶えると、この世界から締め出されてしまうから。
 だからこんなときでさえも、身の回りの音を拾おうとする。
 例えるなら、大合唱が響くホールのなか、たった一人の呟きを聞き取ろうと努力するように。
 集中力と聴覚が取り入れる膨大な情報量に、処理能力の限界が頭痛を起こさせる。神経疲労だ。
 豪雨と雷鳴は彼の世界をこんなにも小さくする。
 何があっても耳を塞いではいけない。聞いていなければ。周囲の音を聞かないと、この暗闇に飲み込まれてしまう。 
 こんな天気でもなければ。
 部屋の前の通路を歩く足音を聞き流し、木々のざわめきと、遠くの車の音を耳にする。人の話声が聞こえる。電化製品の微音。家鳴りと床が軋む音。
 聞こえないはずないのに。こんな天気でもなければ。
(頭が痛い)
 汗ばむ額を抑えて、そんなつまらないことを思う。
 七瀬司はベッドの傍らで、膝を折り、頭をかかえてただ待った。
 轟く雲と頭痛が去るのを、ひたすら待ち続けていた。

 恐いのは、静寂と騒音───。
 何の情報も無い静寂。
 全て情報を掻き消す騒音。


 ピンポーン
 雨と風の騒音を二分する人工的な音が鼓膜を通して感覚に入り込んだ。
 何の音かなどと悩む必要は無い。この部屋のドアホンの音だ。
「…っ」
 司は強い苛立ちの表情を見せた。大きく舌打ちする。
 立ち上がり、乱暴な足取りで部屋を横切る。玄関へ向けて足を進めた。
 鍵を回しドアを押した。
 バンッ
「史緒! 来なくていいって言ってるだろッ」
 らしくなく、司は声を張り上げた。
 普段ならこんな風に感情を乱すことはしない。ほら、鼓動が上がってしまった。時間感覚が分からなくなってしまう。
 携帯電話の時報に頼るときもあるが、司は大体自分の鼓動で時間を計っている。そして歩幅で距離を測る。自分の身長や体重、腕の長さ、手のひらの大きさ───自分の体が司の物差しだ。
 時間や距離感覚が狂わないように常に落ち着いていろと、できる限り走るな、むやみに感情を荒げるなと、教えられてきた。
 だから、こんな風に感情を乱すなんてごくたまにしかない。
 声を荒げてしまった後、微かに、息を呑む音が聞こえた。
「…?」予測していた反応と違う。
(史緒じゃない…?)
 そこで初めて司は焦った。史緒を名指ししてしまったけれど、他にも沢山可能性があったはずだ。郵便配達人や同じアパートの住人、勧誘など。
「───誰?」
 ひそめた声で、司は敬語を忘れたことにさえ気付かなかった。
 僅かな間があって、「…私」と呟く声。
「!」
 その声色ではなくその声が発せられた高さから、司は誰がそこにいるのか察した。
「三佳!?」
 途端に、司は感覚が戻ってくるのを感じた。三佳の呼吸や、遠くの車の音、電車の音…情報が流れ込んでくる。風や雨の音もボリュームが下がり、遠く聞くことができた。
「ごめん…史緒が、司の部屋に行けって言うから」
「史緒が?」
「ああ」
 遠慮がちに三佳が答える。史緒に言われて来たものの、司にとってまずいことだったのかと不安になっているようだ。
 司の中では史緒に対する憤りが生まれていたが、それはすぐにしぼんだ。目の前にいるのは三佳だ。八つ当たりなどしたくない。
「こっちこそ、ごめん。怒鳴ったりして」
「都合悪いなら帰るけど」
「え。一緒にいてくれるとありがたいんだけど」
 司が真顔で言った。それが咄嗟の言葉なのかウケ狙いかは分からないが本気の言葉だということを知り、三佳は安心したように笑う。
「おじゃまします」
「どうぞ」
 司も笑った。

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