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2.阿達家T
「長男の櫻と、長女の史緒」
 15歳と10歳。
 和成さんの声を、僕はただ黙って聞いているしかなかった。その、阿達社長の子供だという2人を前にして。
 よろしく、と男の声(長男? 櫻?)が返った。
 その声がどんな風に響いたかは覚えてない。
 女の声(史緒?)は返らない。
 どこかで、猫の鳴き声がした。


「僕は大学生だよ」と、和成さんは言う。「居候させてもらってるんだ。今年で20だから、本当はもう堂々と居座れない立場なんだけど」
 彼がどんな理由でこの家に居候しているのか、それを疑問に尋ねるくらいの興味はなかった。
「後で直接話があると思うけど」さらに話を続ける。「君が20歳になるまで、阿達社長───阿達政徳氏が君の後見人になる」
「後見人って?」
「簡単に言えば…親代わり、かな」
「僕の親はお父さんとお母さんだ」
「う〜ん、もっと簡単に、生活を助けてくれる人…くらいで考えるとちょうどいいかもしれない」
 余計なお世話だと思う。
 でもこんな体でひとりで生活はできない、と漠然と思い知らされている。いろいろと諦めなきゃいけないことがあると思うと腹が立ってきた。
 他に、この家には雇いの家政婦さんが通っていること、実は社長夫人もいるが別の場所で暮らしていることを聞いた。
 この家の間取りをひとつひとつ丁寧に教えてくれたのも和成さんだ。社長宅という割に想像していたより広くはなかった。中流の一戸建てみたいなものだと思う。家族3人でアパート暮らしをしていた頃に比べれば勿論広いけど、この家の部屋数などはごく普通だと思う。
 櫻と和成さんの部屋は1階、史緒の部屋は2階にあった。
「司くんの部屋は2階でいい? 階段とかに慣れろって医者が言ってたよ」
「え」
 と、小さく、しかし強い声。僕じゃない。女の子の声。
 その、文字通り一言の発言は批判的に聞こえた。…気のせいだろうか。
「…史緒」
 和成さんが苦笑する。ああ、さっきの声が史緒なんだ。
「和くんが。上に来て」
 注意しなければ聞こえないくらい小さな声だった。声帯を通らずに息だけで発音しているような声で、史緒は途切れ途切れに喋る。
「手間だよ。時間もかかるし」
 と、和成さんが史緒を宥めた。
「でも…、───」
 続く言葉は無い。その後、史緒は喋らなかった。
 僕はというと、史緒の言葉はとても不愉快だった。
 歓迎されてるとは思ってないけど、あんな風に避けられては気分が悪い。
 阿達史緒に対する第一印象はこんな感じだった。


 何日もかけてやっと、壁を伝って、家の中を自由に行き来できるようになった。
 阿達家に来ても、毎日、病院へ通う生活で、その間にも何度か手術があった。包帯はまだ取れない。
 その間、阿達家のことも少しずつ分かってきた。
 まず史緒。驚いたことに彼女は学校へ通ってない。それどころか一歩も外へ出ず、いつも部屋に閉じこもっていた。隣の部屋なのに、物音ひとつしないくらい静かだった。居間を通りかかるときもあるが、足音しか聞こえないので、誰だか分からない。とりあえず僕は、足音だけの場合は史緒なのだと判断することにした。
 史緒と和成さんが一緒にいるところを通り掛かったことがある。そのとき史緒は口数が少ないながらも、ちゃんと会話が成立していて少し驚いた。僕はそのときはじめてまともに史緒の声を聞いた。(なんだ、普通に喋れるんじゃないか)
 その和成さんは大学生で、普通に通っている様子。家にいるときは、史緒に勉強を教えているようだった。

「おはようございます、司さん」
 ダイニングに入ると、マキさんが明るい声をかけて、僕の席まで手を引いてくれた。
 マキさんは通いの家政婦さんで、31歳の普通のおばさんだ。朝早くから夕方までこの家にいる。
 日曜の今日も、朝ごはんを作ってくれていた。「食べるときは、ネコは床にやってください」というマキさんの声を聞いて(あ、史緒もいるんだ。めずらし)いつもは起きてこないくせに。逆に、朝ごはんは一緒になる櫻が、今はいないようだ。
 すぐ後ろの引き戸が開いた。和成さんは出かけているので、今、ここにいない人物、櫻が来たのだろう。
 ガタンッと大きな音が響いた。「史緒さん…っ」マキさんの声。少しの間の後、パタパタと足音がして、それが僕の隣を通り過ぎた。(史緒…?)
 そのまま史緒はダイニングを出て、廊下を走り抜け、階段を上り、自分の部屋へ戻ってしまったようだ。
 突然のことに僕はわけがわからなかった。
 おはようマキさん、と櫻が何事もなかったかのように言う。
「お、おはようございます。…珍しいですね、櫻さんがお休みの日に早起きするなんて」
 マキさんは苦笑混じりに答える。櫻は無言で自分の席に座った。
「史緒さんは櫻さんのことが苦手なんです」
 と、後になってマキさんがこっそり教えてくれた。僕は一人っ子なので兄妹仲が普通はどういうものなのか、よくわからない。

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