キ/GM/31-40/32
≪2/11≫
帰国して最初のうちは病院通いの日々が続いた。またかというか慣れたというか。
2年前に入院していた病院と同じ所で、そこでも僕は2年の変貌ぶりを驚かれた。
医師の勧めもあり養護学校へ通ったりもした。けどすぐに辞めた。障害者同士のコミュニケーション以外に得るものはない。それにこれは僕の差別意識かもしれないけど、障害者同士で馴れ合うのは嫌だった。
ある日、和成に連れられて、知らない場所へ来た。
建物の中へ入ると、静かな、長い廊下を歩いた。途中、何人かとすれ違ったけど、皆、心なしか足取りが重い。
壁に染みついた薬の匂いがした。よく知っている空気だ。
後から和成に聞いた話によると、ここは郊外の療養施設だということらしい。
「咲子さん、連れてきたよ」
そのうちの一室に入るなり、和成は僕の肩を押し、前を歩かせた。
「司くん!?」
部屋に響く高い声。予想してなかった大声に少しだけ驚いた。
細い指先が僕の手に触れる。
「はじめまして、咲子です。櫻と史緒のお母さんで、政徳くんの奥さん。よろしくね」
その女性はベッドの上で上体を起こし、僕に手を伸ばしていた。何か病気に罹っているのだろうけど、それを感じさせない明るいオーラ。細い指だけど、僕の手を握る手は確かな力があった。
「七瀬司です。あの…もしかして史緒はおばさん似?」
「ん? う〜ん、どうかなぁ。和くんはどう思う?」
「造形はあまり似てないでしょ。どちらかといえば櫻が咲子さんに似ていて、史緒はおじさん似じゃないかな」
「ですって。でもどうして?」
「声が似てるから」
「ホント? 嬉しい!」
「…」
演技じゃない咲子のはしゃぎように言葉を失った。
史緒はこんな明るい声で喋らない。でも似てると分かる。確かに母子なのだろう。
ちょっと信じられない。
「あっと、あのね、私のことは“おばさん”じゃなくて、できれば名前で呼んでくれるかな」
「名前?」
「そう。咲子。綺麗な名前でしょう?」
自分で言うか? でも全然嫌みじゃない。
「私ね、子供の頃から病気ばっかりで、友達っていなかったんだ。だから大きくなって結婚したら、子供を沢山産んで、友達みたいな関係になるのが夢だったの」
…まるで子供のように。
咲子は心を躍らせて語る。
こんな「親」もいるんだと、素直に驚いた。
確かに、櫻はこの人のことを「咲子」と呼んでいた。史緒の口からは聞いたことはないが、史緒も同様に名前で呼んでいるのかもしれない。
「施設にも沢山お友達がいるよ。政徳くんや櫻もたまに来てくれるし、マキちゃんも差し入れ持って来てくれるし、和くんも史緒を連れてきてくれる。蘭ちゃんも日本に来たときは必ず顔見せてくれるんだよ」
「……櫻も?」
「うん? そう。最近では一番の常連さん」
くすくすと声を立てて笑う。
(櫻が?)
声には出さないけど、彼の名を強調してしまう。
櫻は母親に対してどういう態度を取っているのだろうか。まさかこの人に対しても酷い言葉をぶつけていたりするのか? でもそれなら咲子の明るい声の説明がつかない。櫻はこの人の前では変わるんだろうか。ちょっとそれは想像できない。
史緒も。この人の前では和成のときと同様、普通に会話するのか? そして阿達のおじさんも。
咲子に会うまでは分かっていたつもりだった阿達家の家族像。それが今日、途端に分からなくなった。
阿達咲子という存在によって。
「司くんも友達になろう」
その本人は、子供相手に諭すでもなく、真剣に提案する。
穏やかに笑いながら。
* * *
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