キ/GM/31-40/32
≪3/11≫
阿達家の自分の部屋で本を読んでいた。勿論、点字だ。(少し離れた場所に点字本を多く揃えている病院付属の図書館がある)
日頃、病院へ行けば医者や看護婦、顔見知りの入院患者とそつなく世間話をしたりする僕だけど、阿達家ではそうじゃない。櫻もそうだが史緒とも、あまり関わろうとは思わない。2人の兄妹を比べると櫻のほうがマシだろうか、会話が成り立つという意味において。その櫻とさえすすんで話したいとは思えないので、家にいるときは僕も自分の部屋にいることが多かった。
その本から顔を上げる。
さっきから4度目のことだ。
しおり代わりに、近くにあったカセットテープをページにはさみ、机の上に本を置いて立ち上がる。
(何のつもりだろう)
さっきから、廊下を行ったり来たりする足音があった。気になって本に集中することができない。
僕に対する嫌がらせか?
「史緒」
少し強めの声でドアを開けると、足音がピタリとやみ、息を飲む音が聞こえた。
足音で、既に史緒だと判っていた。
「どうかしたの?」
わざと咎めるように言った。史緒は小さい声で「ぁ…、あの」と口にした。
何か言いたそうだった。けれど「…なんでもない」としまう。
「ふぅん」
僕はまたドアを閉めた。
「うろうろするな」と言ってやればよかった(そんなこと言える立場でもないんだけど)。だいたい、いつもは部屋から出てこないくせに、何をしていたんだろう。
「……」
(おかしいな)
今、1階には櫻がいるはず。和成は出かけている。そんな時に史緒が廊下をうろつく理由があるだろうか。
首を捻りながら机へ戻る。するとまた足音が聞こえ始めた。
(…っなんなんだ)
憤り半分、疑問半分。
やはり、櫻がいる1階へは降りられないのか、階段手前で少しの間があって、足音は戻ってきた。
まるで何かを探しているようだ。
一応、僕に気を遣ったのか、足音を立てないようにしている。けれどそれが余計に気になった。読書を再開できないことは確かだ。
もう一度、ドアを開ける。
ビクッと驚いた気配がして、史緒は消え入りそうな声で「…ごめんなさい」と呟いた。
謝るくらいなら、と言いかけた、しかしその時、ピンときた。
わかった。多分、史緒に部屋の外を歩かせる理由は、和成かコレしかない。
「もしかして、ネコがいないの?」
尋ねると、
「…ッ」
短く、息を吸う音が聞こえた。
やっぱり、史緒の周囲からネコの気配が無い。
「ネコを探してるの?」
「…そ、そう」
もう少し落ち着いて喋れないものだろうか。イライラしてくる。
「あの…、七瀬くんのところには、いない?」
史緒が僕の名前を呼ぶのはこれが初めてだ。少し驚いた。
「こっちには来てないけど」
「そう…」
僕のところにネコがいるとは、あまり期待していなかったらしい。
「じゃあやっぱり櫻が…」と独り言のように呟いた声は小さく、酷く歪んでいた。
「櫻?」
「あ……、たまに、あるの。こういう、こと」
「ふぅん」
(櫻にしては子供っぽいイタズラだな)
「あの…煩くしてごめんなさい。もう、部屋に戻るから」
そんなこと言われても、事情を聞いておいて放っておくわけにはいかないし。(めんどくさ…)
「探さないの?」
「…夜になれば、戻ると思うし」
「櫻はいつもネコをどこへ?」
「…外、とか。ベランダとか」
語尾が震えていた。(この程度のイタズラに何を怖がってるんだろう)
(そうか)
単に、史緒はネコを手元に置いておかないと落ち着かないだけなのかも。
(…)ふと、史緒とは違うほうへ意識が向いた。(あれ?)
「───…ちょっと待って」
「え?」
人差し指を鼻先に立てて(こういうジェスチャも流花に叩き込まれた)史緒を黙らせると、僕は足音を立てないようにゆっくりと階段を降りる。踊り場で一度立ち止まって確認。また階段を降りる。
階段下には物置があった。脚立や工具など入っていて危険だからと、僕は入らないよう言われていた。その物置の扉の前に立ち、神経を集中させる。「……」そんなに気を張らなくても、それは聞こえた。
史緒は踊り場まで降りてきていた。こちらの様子を窺っているようだ。
「いるよ、ここに」
その史緒に向かって、奥の部屋の櫻に聞こえないように小さな声で言う。「え…?」史緒は意味が分からなかったようだ。
「ネコ」
史緒は全く気付かなかったようだけど、微かに聞こえていた、鳴き声。
「…ほんと!?」
史緒はすぐさま降りてきて、物置の扉を開けた。そして中へ入る。物置といっても結構広いみたい、史緒はどんどん奥へ足を踏み入れていた。「ネコ」史緒の声がする。次いで、ガチャガチャと金属が触れる音がする。物を動かしているのだろうか。
「ネコ?」
にー、と鳴き声がした。
史緒が息を吸った。
「ネコ…っ」
心から安堵したような声で「よかった…」史緒は呟く。
まるで排水溝に落とした鍵を拾い上げたときのような声だった。
「よかった…」
何度も繰り返す。
「───」
どうもその辺の心理はよく解らない。
(まさか櫻がイタズラでネコを傷つけると思ってるわけじゃないだろ)
家内の監禁ならかわいいもんじゃないか。
(解らないなぁ)
史緒は何をそんなに恐れているんだろう。
ようやく物置から出てきた。ネコを抱いているらしい。史緒はそのまま小走りで2階へと逃げる。その後を追う。
櫻には見つからなかったし、一段落というわけだ。
「!」
史緒は部屋へ帰る途中、僕の部屋の前で止まった。そして振り返る。
「……あの」息を飲む。
「あ、ありがと!」
「───」
僕は一瞬遅れて「…え!?」大きく聞き返してしまった。
でもこれは疑問じゃない。自分の耳を疑っただけで。
史緒はそのまま奥の部屋へ。ぱたん、とドアが閉じた。
僕はしばらくその場に立ちつくしていた。
お礼を言われただけでこんなに照れたのは初めてだった。お礼を言われるとは思ってなかった。
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