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 病院の帰り道、鉄道の最寄り駅から阿達家へ向かうバスの中で櫻と一緒になった。
「よぉ、珍しいな」
 珍しい、というのは、道すがら会ったことを指していた。
 声をかけられるまで櫻だと気付かなかった。ディーゼルのエンジン音が煩いせいだ。
「おい、杖、邪魔」
 邪魔にならないように持つ習慣は身に付いているので、これは櫻のフェイクだと思う。無視するのも気まずいので杖を持ち替える、どかっと隣に櫻が座った。通常無い接近に緊張した。
「混んでるのにな。障害者の隣は座りにくいもんかね」
「───」
 本気で心臓にナイフが刺さったのかと思った。
(どうしてこう、一番痛いところを突いてくるんだろう)
 自分を罵倒されたほうがマシだった。周囲の人間が気を遣っていると指摘されることに比べれば。
「…学校の帰り?」
「ああ」
 つまらなそうに返事をする。さっき僕に言ったことも気に留めてない。
「忙しそうだね」
 何か話しかけていないと沈黙に押し潰されそうだ。
「まー、そりゃあ、…部屋に閉じ篭もっているだけのお嬢さんに比べれば誰でもな」
 途端に毒が注がれる。薄く笑った。
「悪意はあれど攻撃せず。…アレは馬鹿だな」



 2人してバスを降りた。できれば遠慮したかったけど、帰る家は同じなので自然と並んで歩くことになる。
 バス停から阿達家までは5分ほど歩かなければならなかった。
 もうこの辺りは住宅街で、バスが遠ざかると車通りも無く人通りも少ない。無言で並んで歩いているのが気まずかった。
「知ってるんだね、史緒が櫻のこと嫌ってるって」
 口にしてしまって、(…やだな)後悔した。櫻がまともに返事するとは思えない。逆にどんな毒舌を返されるかと身構える。
 予想していた見下すような言葉は返ってこなかった。
 櫻はさらりと短く言った。
「それは俺のほう」
 興味無さそうに言う。まるで、片耳の話題に適当に返事をするように。
「え?」
 意味が解らず聞き返すと、口調はそのままにゆっくりと続けた。
「史緒は単に怯えてるだけ。そして俺は史緒のこと嫌い。ああいう弱い人間は侮蔑の対象」
「…え?」
 聞き返したけど、意味は伝わっていた。
 「嫌い」、と。僕に合わせたんだろうけど、櫻にはそぐわない語彙で。
 あまりにもあっさりと言う。それでも僕は立ち眩みするような衝撃を受けていた。
 櫻はいつも他人を見下しているような物言いをするから、好きとか嫌いとか、周囲の人間に対してそういう感情を持ってるとは思わなかった。
 櫻が気持ちを口にしたのも初めて聞いた。もしかしたら本心じゃないかもしれない、からかわれてるのかも。でも「侮蔑の対象」って。そこまで言うか? それに、
(史緒は櫻に対して怯えている…?)
 そう言われてみえば、確かにそうかもしれない。櫻から逃げるように生活して、部屋に篭もっている。
(どうして史緒は怯えてるんだろう?)
 訊いてみようとした矢先、クスリと笑う息が聞こえた。櫻だ。
「あいつは無能だよ」
「───」
 櫻はそう言い捨てて、笑みをしまい込んだ。
 阿達櫻、阿達史緒。この兄妹の関係が余計解らなくなってきた。和成は何か知ってるんだろうか。おじさんは?
 阿達咲子はこの兄妹をどう見てるんだろう。頻繁に見舞いに行っているという櫻、櫻と咲子はどんな風にどんな話をするんだろう。「七瀬さぁ」
「他人のことより自分の心配しろよ。お喋りに気を取られると現在地が判らなくなるんじゃないのか。俺が正しい場所へ向かっているとは限らないだろ」
 胸を射られてピタリと足を止めた。今まで考えていたことも拡散してしまった。
 3歩遅れて櫻も止まったようだ。
「…っ」
 その櫻に対して苛立ちを覚えた。もどかしかった。
(───どうしてわかるんだっ!?)
 いつかと同じ疑問。寒気を感じたのに、背中に汗を掻いていた。
 歩きながら会話をすると、頭の中に敷いてある地図座標の正確性が薄れる。それは櫻の言う通りだ。
(それだけじゃない!)
 その正確性を補うために、無意識で、同じ家へ帰る櫻を頼っていた───付いて行けば帰れると、地図トレースを甘くしていた───、櫻はすべて見抜いている。
 心臓がひやりとした。その想像力に。
 もし今、何気ない会話をしながら櫻が全く違う場所へ行っても、僕は気付かずにそのまま付いていってしまうだろう。自分の注意力の無さが恐ろしい。
「櫻」
「なに」
 寒気に我慢できなくなった。
「どうしてわかるの? 櫻は見えてるんでしょ? なのにどうして僕が見ているものが解るの? なんでいつもそんな…なんでも見抜いたような…」
 冷静さを失った。言葉をうまくまとめられない。
 櫻を怖いと感じるのは、彼の言葉が持つ刃だけが理由じゃない。もっと柔らかい、もっと浅いところでも。
 見抜かれている、と感じる。それが一番痛い。
 見抜いていて、それでも、酷い言葉を与えてくるのが痛い。
「ははは」いつもの薄ら笑いが聞こえた。「どうしてって聞かれてもな」
 櫻は、笑うのをやめた。
「見えないおまえには解らない。教えても無駄」
「!」
 そのセリフにさえ、深く不安になる。
 どんな努力をしても、見えないことが大きなハンデのような気がして。

 頭痛が酷くなった。
 櫻に言われたことに傷ついたからじゃない。だって気付いてしまった。
 櫻の言葉は、すべてが本心じゃない。
 櫻は単に、相手を傷つける為だけに言葉を選んだのだ。
 それだけなんだ。
 その人格と、さらにそれに気付いてしまった自分の思考回路に、気分が悪くなった。
 2年前は櫻の言動に素直に踊らされていた。けれど今は、わずかながら分析することができる。
 底が見えないのは相変わらずだけど。
 ───阿達櫻という人間は、他人に危機感を与えないと気が済まないのかもしれない。
(何故?)(わからない)
 からかうことが目的じゃない。かけてくる言葉はどれも本気じゃない。誰も目に止めてない。何を見てるんだろう。一点へ向かい歩いているのに、その途中の風景で見かける他人に、緊張や不安をちらつかせてその反応を見ないと気が済まない。まるでそんな風に思えた。

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