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5.阿達家V
関谷篤志はその後、阿達家に出入りするようになった。
横浜在住で高校生ということだが、週末になると決まって顔を出す。篤志が家に出入りすることは阿達のおじさんも許可したらしい。その理由を和成さん経由で聞いた。関谷篤志は「阿達夫婦の旧友の息子」というだけでなく、実は阿達家の遠縁に当たるのだそうだ。なんでも篤志の父親と阿達のおじさんが従兄同士という関係らしい。
「親戚?」
桜は不審気な声を隠さない。
「よろしく」
その櫻にまったく臆さない篤志。
並んで声を聴くと分かる、2人とも背が高い。ほとんど同じくらいだろう。
年齢は櫻のほうがふたつ上で、櫻は19歳、篤志は17歳だ。
「一条、本当なのか」
櫻は篤志を無視して、僕の隣に立つ和成さんに言った。
「おじさんはそうだと言ってる」
「へーえ、それはそれはハジメマシテ」
櫻が篤志を歓迎してないのは明白だった。
「で? 今頃現れてどういうつもり? 財産目当て?」
「さぁ」
「否定しないのか」せせら笑う。
「挑発にマジになってもね」篤志はさらりと言い返した。
「───」
櫻は何も言い返さなかった。
多分この時点で、櫻は篤志のことをからかうオモチャにはならないと判断したのだろう。
「まぁ、七瀬の遊び相手には丁度いいんじゃない?」
と言い放ち部屋へ戻って行った。
「よろしく。司───でいい?」
「いいよ」
人懐こいと馴れ馴れしいは紙一重だ。篤志の言動がどちらなのかの判断は保留。
「なんで阿達家に来たの?」
「まぁ、本音言うと、俺、一人っ子だから。年の近い親戚って興味あるんだ」
櫻のときとは違い、篤志はすんなりと答えた。
「ここん家の兄妹の話はよく聞いてたから」
「誰に?」
「俺の母親。葬式の日、司も会ったろ」
「あぁ、咲子さんと友達だって言う…」
「そう。母さんもここの兄妹のことは咲子さんから“耳タコで聞かされた”って」
「篤志は、咲子さんと会ったことあるの?」
「話はよく聞いてたけど、実際に会ったことは無いな」
咲子が篤志の母親に、自分の子供達のことをどう話していたかは興味ある。あの人のことだから親バカぶりな発言をしただろうけど、櫻や史緒について、果たしてどのように友人に語ったのか、想像は難しい。
なんとなく僕は関谷篤志と連むことになった。
篤志は頻繁に阿達家に訪れたけど、櫻や史緒は部屋から出てこなかったので必然的に僕が対応するはめなっただけのこと、とも言える。
話してみると篤志は驚くほどの物知りで、飽きさせないくらい話題が豊富。でも煩いと思うことは無く、年齢の割に落ち着いた性格だった。
人見知りしない性格で誰にでも気兼ねなく話掛けた。それこそ、櫻も例外でなく。
どんどんどん!
篤志は乱暴なくらいにノックをする。櫻の部屋だ。最初は無視している櫻もしつこく続くノックに、怒気を込めてドアを開ける。
「どういうつもりだ」
「挨拶くらいさせろよ」
「おまえ、もう来ンな。邪魔」
声は荒げなかったものの、櫻の苛つきが伝わってきた。
まぁ、その気持ちは分からなくもない。僕から見ても、篤志は櫻に干渉しすぎているように見える。煩がられても仕方ない。
篤志が櫻と史緒の部屋を回るのはいつものことで(本当に毎回のことで)、櫻が苛立つのも無理はなかった。
「おまえに似た奴を知ってるよ」
吐き捨てるように櫻が言った。
興味深そうに篤志が相づちを打つ。「へぇ」
「俺が殺したけど」
バンッと大きな音がした。どうやら櫻に閉め出しをくらったらしい。
何事もなかったように戻ってくる篤志に、
「いい加減、懲りたら?」
「本人は楽しんでやってる」
「悪趣味だよ、それ」
「否定できないな」と苦笑した。
例に漏れず篤志も、櫻に相当酷いことを言われていたのを耳にしたことがあったが、篤志は全く気にしていないようだった。
嫌われてる相手にちょっかいを出すのは少なからず好意があるからなんだろうけど、その好意が櫻のどこに寄せられるものなのかさっぱりわからない。
そんなことを思っていたところで、
「櫻のことは嫌いじゃないよ」
と篤志は言った。
「───」
何故か僕はその言葉に疑問を持った。
あまり良くない意味の、胸騒ぎ。
櫻のことを「嫌いじゃない」なんて奇特だと思ったわけじゃない。
篤志は、嫌いとは言わなかった。気に入ったとも言ってない。
嫌いじゃない、と。
櫻と出会って1週間足らずの篤志が口にするには不似合いな表現だった。
一度生まれた疑心は染みついた匂いのように、簡単には消えそうもなかった。
篤志が訪れるようになって、家の中で一番の変化があったのは、櫻でも僕でも無く、史緒だ。
最初、史緒は篤志のことをあまり歓迎してないようだった。彼女の場合は単に、家の中が騒々しくなるのが煩わしかったのだろう。
しかし櫻の例と同じく、篤志は史緒の部屋へも押しかけており、そこで色々あったらしい。(その経緯は、僕はあまり詳しくない)結果、なんとひと月後には、篤志は史緒を外へ連れ出していた。それはかなり強引で、史緒本人は迷惑そうにしていたけれど。
史緒と話す機会があって、どこへ行ったのか訊くと「図書館とか、コンビニとか」と小さく答えた。図書館とコンビニを同列にするあたり(篤志のセンスにも)笑ってしまうが、長い間、部屋に篭もっていた史緒にとっては全く知らない世界のはずだった。
僕自身、大きな変化を歓迎できる性格ではないけれど、第三者のそれを静観するのは意外と楽しく、いい暇つぶしになっていた。
*
夜、隣の部屋で大声が破裂した。
「もういらない、早く出ていって! 顔を見せないで、二度と来ないで!」
さらに、いくつかの暴言が続く。壁一枚越しに、僕はそれを聞いた。
(誰?)この高い声は一人しかいない。
史緒だ。
でもにわかには信じられない、こんな耳が痛くなるほどの大声を史緒が口にするなんて。
多分、一緒にいるのは和成だ。(史緒の部屋に出入りするのは彼しかいない)
喧嘩? まさか。すぐに打ち消せるほど、おかしなシチュエーション。
その史緒の部屋から和成が出てきた。廊下を通り過ぎる足音を聞いて、僕は部屋を出て和成を追った。
「僕はこの家を出ることになると思う。アダチに就職するんだ」
一階まで降りたとき、和成が言った。
「え…?」
「最初から、おじさんとはそういう約束だったし」
アダチに就職? …確かに考えられないことじゃないけど。
僕が聞き返したいのは、前半の台詞だ。
この家を出る?
「史緒は? どうするの?」
「元々、ここにいるのは僕が大学を卒業するまでって言われてたから。それに、最近は篤志くんや司がいるから大丈夫かなって」
(全然、大丈夫じゃないよ)
このとき僕は本気で心配した。史緒の心配じゃない。和成が着いてない史緒の動向と、そんな史緒を含んだこの家の均衡が崩れることに。
和成にとっては、子供を親離れさせるような心境なんだろうか? 肩の荷が降りたとでも思っているのだろうか。まさか清々したとでも?
ああ、でも、それなら分かる。さっきの史緒の大声も。
史緒にとって裏切り行為と同じだろうから。
ガラリと居間の引き戸が開いて、
「よぉ、一条。痴話喧嘩なんかしてると、篤志に取られるぜ」
と、櫻が言った。史緒の声が聞こえたのだろう。
「篤志くんなら安心だよ」
ひやかしにも和成は淀みなく答える。櫻は鼻で笑った。
「どーだか」
それだけ言うと櫻は戸を閉めて、そのまま玄関から外へ出て行っていまった。単に通りがかりだったようだ。
和成がそっと溜め息をついた。
その直後、1995年6月付けで、和成はアダチに入社した。阿達家を出て、都内のマンションで一人暮らしを始めた。
一方、どうなることかと思っていた史緒は、閉じ篭もることも塞ぎ込むこともなく、意外なことに毎日外出するようになった。最初は、篤志が連れ出してるのかと思ったけど、どうやら違うらしい。
櫻を避けているのは相変わらずで、朝は櫻と時間をずらして出かけ、夕方に帰ってくる。史緒がいないので、僕はネコの面倒を見ることが多くなった。夜は以前と同じように自室に篭もっているが、以前と違うのは何やら物音をさせて歩き回っているところだ。
そういえば史緒の足音が変わった。
まず速度が違う。それに、以前は重い体を引きずるように足を引きずっていたのに、今は何を急いでるのと言いたくなるような、話しかける隙を与えないような雰囲気がある。
精力的になったことは確かだ。
和成がいなくなったことをきっかけに、良い方向へ変わったのだろうか。
───と、思ったのは楽観しすぎだったかもしれない。
「私、留学するから」
すっぱりと史緒は言った。「は?」意味を噛み砕く前に、反射的に聞き返してしまった。
「ちょうど時期が合うし9月から。そのための準備も進めてるの」
こんなにハキハキと喋る人間だっただろうか。耳を疑った。
篤志が来るようになってから、史緒は変わったと思う。そしてまた、和成が離れたことで変化があった。
(でも)
それは感心するような変化ではなく。
史緒の言葉や態度には、和成の「裏切り」に対する怒気が強く感じられる。自分から離れ、嫌悪している父親の会社へ入ったこと、史緒はうまく納得できてないようだ。
(自棄になってるなぁ)
指摘してやるほど、史緒の留学を止める理由もなく。
それに今はまだ浮き足立っているような勢いがあるけど、そのうち熱が冷め和成とも和解するだろう。
それから留学を選んだのはもしかしたら櫻から離れる意味もあるのかもしれない。和成が隣にいない状態で櫻と同じ家に住むのは怖かったのかもしれない。和成がいないこの家にいるのは怖かったのかもしれない。それくらい、史緒にとって和成の存在は大きな盾だった。
和成はアダチに入社するために、この家で暮らしていたんだろうか。
そういう下心があったとは、僕は思えないんだけど。
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