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 史緒が初めて頭を下げた。もう2年も前のことだ。
「いいよ。行くよ」
 と、篤志は二つ返事だった。司は篤志の返答に別に驚かなかった。篤志ならそうするだろうと───史緒に付いて彼女を助けるだろうと、容易に想像できた。そのときの史緒の「家を出て自活する」という無茶な宣言にも(何せ、史緒は当時15歳だった)、「一緒に来て欲しい」という一方的な懇願もすべて受け止めて。
 でも司は違う。史緒を助ける義理も無いし、阿達の恩恵を棄ててなお危ない橋を渡るのもごめんだ。
 それでも最終的に2人に付いて阿達家を出たのは、咲子さんも和成さんも櫻もネコも居なくなったあの家に独り残ることは気が引けたからだ。
 史緒と篤志にすべてを任せられるような信頼があったわけじゃない。

「おい、何考えてる?」
 タクシーの後部席、何やら思索に耽っている司の顔を、篤志は覗き込んだ。
「ん? …あぁ、───どうしてやろうかなぁって」
 平然と司は口にする。これがにっこり笑って答えていたらまだ苦笑のし甲斐があったが、あまりにも何気なく司が答えたので篤志は笑えなかった。寒気さえした。
「腹立ててる?」
「そりゃもちろん、激怒中」
「…」
 篤志は今更ながら、史緒が「一緒に行け」と言った意味を理解できた気がした。
 司は感情を荒げないように訓練してきている。感情の起伏が感覚を鈍らせるからだ。それ故に普段はおっとりとさえしているように見える。篤志は司とは4年の付き合いになり、司の喜怒哀楽はそれなりに見てきているつもりだが、やっかいなのは司の場合、本当にぶち切れるまでわからないということだ。
 今回の誘拐犯が危害を加えようとしたら篤志は応戦できるが、どちらかというと司が何をやらかすかというほうが心配だった。
 篤志は司が誘拐犯に対して「どう」できるかは知らない。まさか盲目の身で殴り飛ばすことはできないだろう。どちらかというと、史緒や司は社会的制裁を下すことで相手を痛めつけるような気はするのだが。
 司の平静ぶりに篤志は青ざめた。
「…あんまり、やりすぎるなよ」
「どうして? 向こうは犯罪者だし、遠慮することない」
「いいから、おまえまで捕まるようなマネはやめろ」
「相手による」
 と言い捨てると、司は胸ポケットからサングラスを取り出して慣れた手付きで鼻に掛けた。司がサングラスを掛けるのは、自分が障害者であることを周囲に主張するときだ。それが意外に思えて篤志はおやと首を傾げる。
 司はサングラス越しに、見えないはずの窓の外へ顔を向けていた。
「…初めて会った頃のこと、覚えてるか?」
「なに? 突然」
「あの頃、俺らよく連んでたけど、司は俺のことやたら警戒してたよな」
 そこで初めて司は表情を崩した。苦笑したのだ。
「…なんだ、気付いてたの」
「警戒が取れたのは結構後になってから。まぁ、しょーがねーかとは思ってたけど」
「ははは。篤志、不審人物だって自覚あったんだ?」
「おまえが懐疑的すぎるだけだろ」
「あぁ、それは仕方ないよね」
 さも当然だと言わんばかりに頷く。そんな司の横顔を見て篤志は溜息を吐く。
「だから三佳が来たとき、俺と史緒は驚いたんだよ」
 司に自覚があるか知らないが、篤志が見てきた中でそれは三佳だけだった。
 あのとき、『三佳のこと気に入ったから』と。
 そんなこと、辞令や気まぐれで言う人間じゃないことくらいは、史緒も篤志も解っているのだった。


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