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(まさかこんなことする馬鹿がいるとはね)
 司は苛立ちで歪みそうになる表情を正すのに必死だった。三佳は後ろから付いてきていたけどその足を待てなかったのはこの顔を見られたくなかったからだ。
 昔のことを掘り返されるのは今も苦手だ。精算済みのはずの記憶も、時折、暴れ出すことがある。だからと言ってそれに自分以外の誰かを巻き込むことを、司は許してない。
 無関係な人間の安い同情は滑稽なだけだが、蔵波のような関係者がそれをするのは純粋な怒りを覚える。実際その気持ちに従い、素直にはり倒してきたわけだからこれ以上尾を引きたくない。司はそろそろ気持ちを抑えるよう、自分に暗示をかけた。
「ねぇ、三佳」
「…え! なに?」
 突然話しかけられて驚いたのか三佳の高い声が返る。
「どこか座れるところない? ちょっと疲れた」
 辺りは団地が並ぶ住宅街で、通りの中に入ると小さな公園が点在していた。そのうちのひとつに入り、司はベンチに腰を降ろした。
 遠くに子供のはしゃぎ声が聞こえる。休日ということもあって、かなり賑やかだった。日差しが熱く、でも気持ちよい風が吹いていて司はやっといつもの自分になりつつあることを実感していた。
「三佳?」
 隣に座ろうとせず、司の前に立ち動かないでいる。そのことを訝しみ名前を呼ぶと、かすれた呼吸があって、その後にやっと声が返った。
「………ごめんなさい」
「は?」
 突然の謝罪よりもその声に驚いた。重く消え入りそうな、今にも泣き出しそうな声に司は慌てた。
「え…三佳? どうして謝るの?」
「私のせいであの男と顔合わせることになって…ごめん…っ」
「───」
 司は目を見開いた。その言い分は思いもしないことだった。
 三佳のせいじゃない、司はそう言いかけたがそれでは三佳の謝罪が無駄になる。
「気にしてないよ」
「でも…」「こっちこそ、不愉快な思いさせてごめん」
 どう考えても今回の件で謝らなければならないのは司のほうだ。三佳はただ巻き込まれたに過ぎない。普段はそんな自虐的な思考展開しない性格のはずなのに、三佳はずっとそのことを気にしていたらしい。
 呼吸が震えている三佳を前に、司はもう一度、ごめんと謝った。

「あのね」
 三佳が落ち着くのを待って司は話しかけた。
「はっきり言ってなかったと思うけど、僕の両親は8年前から行方不明なんだ」
「行方、不明…?」
 現実ではあまり耳慣れない単語に三佳は眉を顰める。
「うん、見えなくなってから一度も会ってない」
「…どうして」
「事故の責任を取るのが怖くなって逃げたんだろう、っていうのが、関係者の中では一番有力な説かな」
「そんな」
「うん…」そこで司は笑った。「でもそれに近い事情はあったと思うんだ」
 アダチの中でたかが一研究員だった父母が、工場の存続を危うくさせるような事故の責任を問われてどんな心境だったか。勿論、事故の直接の原因とは関係無い、それは当人も関係者も阿達政徳も解っていることだ。ただ、唯一の負傷者が彼らの子供で、職場に子供を連れてきていたことを酷く糾弾されたであろうことは想像に難くない。
 それに耐えられなかったことを責める権利は、一応、司にはある。
「最初はずいぶん恨んだ。意地でも探し出して殴ろうとも思ったし」
「なぐ…」
「それが人生の目的だったこともあった」
 真顔でごまかしもせずまっすぐに言う。
「今も…?」
「勿論、殴るよ」躊躇はない。「でも…」
 司はその両手を握り合わせ、力を込めた。深く息を吐いてしまう前にゆっくりと口にした。
「会いたいとは思ってないんだ」
 穏やかな笑顔を三佳に向けた。
(───多分、会うことは無い)
 両親のことについて、阿達や蓮家が調べなかったはずがない。なのに蓮大人や流花はその話題に触れたことはない。阿達政徳も口を閉ざしている。司が問いつめたとき、阿達は両親の行方を「知っている」と答えた、でも具体的なことは何も教えてくれない。
 その意味を考えたとき、苦しくはなかった。
 むしろほっとした。締め付けられていた身体が急に軽くなった、そんな気分だった。楽になり、喜びのあまり指先が震えるほどに。
 諦めていいんだ、と。



「三佳、手」
「ん?」
 促されるまま、差し出された手のひらに三佳は手を重ねると、その手を司がぎゅっと掴んだ。
「はぁ〜…」
 と盛大な溜息を吐く。
「え? …え?」
 頭を抱える司にどう返していいか分からず三佳は慌てる。司はもう一度大きな溜息を吐いて、疲れた声で言った。
「今回はほんと、どうしようかと思った…」
 三佳は目を丸くした。
「何もなくて良かった」
「…心配してたのか?」
「さぁ、どうかな」
 心配されて喜ぶような人間じゃないことは解っている。
 あからさま不服そうな口調の三佳に、司はごまかすように笑った。しかしそれはすぐに収まった。
 ぎゅ、と三佳の手を包む司の指に力が入る。「司?」
 すると突然、三佳の手に柔らかい髪が触れた。
 握った手の上に司は額を落とした。ベンチに座ったまま屈んだ姿勢に、三佳は普段見ることがない司の頭の上を見て照れ臭く思った。
「今日みたいなことで確認するのは情けないけど、………三佳に何かあったら困るよ」
 うつむいたまま低い声で言う。
「困る…って。それ、史緒並の語彙センス」
「うん、でも。そう思うから」
 そう言って、司はさらに手に力を込めた。
「同感」
 浅く息を吸って三佳は短く答えた。声が詰まって、短くしか答えられなかった。

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