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 和成は店のエントランス横にある公衆電話のコーナーで携帯電話での通話を終え、胸ポケットに電話を滑り込ませた。
 相手は一応上司というべき人物、アダチ社長の第一秘書・梶正樹。内容は午後の会議用資料の確認だった。和成はそれにそつなく答え、ついでに帰社予定時刻と現在地を伝えた。
 秘書課は業務部にして業務部にあらず。和成が配属されている秘書課はそう言われるくらい特殊な部署で、それ故に所属する11人全員が本社の社員ほぼ全員に名前と顔を覚えられていた。総会の役員より実質的に社長に近い場所にいる。下手な噂話など聞かれたら自分の立場が危うい。暗黙のうちに社内に伝わる「顔を覚えなければならない要人ランキング」上位に全員が名を連ねていた。
 もうひとつ特殊な点として、秘書課には課長という役職は無い。強いて言うなら第一秘書である梶が課長にあたるのだろうが、課内ではもっぱら「さん」付けで呼称する。そして「社長秘書」という呼称はこの梶を差す。「第2」が付加されると和成のことになる。

(顔が割れすぎてるのも問題あるな)
 と、最近よく実感する。
 この役職に惹かれてか、別部署の女性社員にアプローチされることが実はよくあった。エレベーターホールで話しかけられたり、わざとらしく偶然を装ったり、あからさまに誘ってきたり。実際、交際を申し込んできた女性社員は3人いた。
 はっきり言うと邪魔なのだが、彼女らにしてみればこの役職は恰好のブランドなのだろう。
 大抵は、和成に脈無しと判ると離れていくのだが、ひとり、しつこく粘ってくる女性社員に最近和成は悩まされていた。
 しつこい、と言うと言葉は悪いが、天然というか未熟というか、あまり空気を読まないタイプの女性。
 ───その女性社員が昼食にこの店をよく利用することを、和成は調べていた。
 その問題の女性社員が史緒のテーブルから離れるのを見計らって、和成は席に戻った。


「お待たせしました」
 史緒の向かいに座った途端、じとっと睨め付けられた。
「…一条さん」
「はい」
 さらりと笑って返事をする。ごまかすつもりはないが、自ら白状する必要はない。
 史緒の表情が一瞬ぴくりと歪んだ後、にこりと笑った。
「もしかして、厄介払いに私のこと利用しました?」
 その笑顔は演技だが、怒っていることが伝わってくる凄みのある表情だった。
「すみません」
 和成はすぐに折れる。
 はぁ、と史緒は溜息を吐いた。
「…おかしいと思った。食事に誘っておいて社員御用達の店でランチなんて、あなたらしくないもの」
「実は僕もここで食事することは滅多にありません」
「ちょっと気分悪いわ。ここ、奢ってくださいね」
「今まで僕が史緒さんに払わせたことありましたっけ」
「ないけど」
 史緒が立ち上がるのを見て、和成もそれに倣う。
「駅まで送ります」
「すぐ近くですから。それにさっきの電話、梶さんに呼び出されたんでしょう?」
「まだ昼休みです」
「秘書課に昼休みなんて無いくせに」
 と、史緒は苦笑した。それでも和成の意図は分かっているらしく、
「背中の視線が気になる?」「少しは」「じゃあ、お願いします」
 レシートは和成が持ち、その後ろを史緒が付いていく。史緒は和成に気付かれないよう、こちらを見ている先ほどの女性社員の方へ躊躇いがちに頭を下げた。
 それもこれも「社員では無い社長秘書の連れ」という演技だ。


「一条さんとどういう関係なんですか、ですって」
 2人、駅に向かう途中、史緒が言った。
「あぁ、…さっきの」
「そんな台詞、よく言えるわね」
 悪意は無い。史緒は素直に感心している。和成は苦笑した。
「史緒さんは言いませんね」
「ええ、言わないわ。自分の優位性が崩れるもの」
(かわいくないなぁ…)
「で、何て答えたんです?」
 苦々しく思いつつ、先を促す。和成にとってはその返答のほうが重要だ。
「“私の口からでは、はっきりと申し上げることができません”」
「はっきり言ってくれてよかったのに」
「どっちの意味ではっきり言うの?」
「…」
「でもその答え方で、一条さんの期待する勘違いをしてくれるでしょ」
「ありがとうございます」
 恋愛の駆け引きができるなら史緒もずいぶん成長したもんだ、と一瞬感心したが、この娘がまともな恋愛をできるとはまだ思えない。史緒が言ったことはそのままビジネスにも転用できるし、多分、そっち方面の知識だろうな、と和成は考え直した。
「お礼に…三高さんへの伝言の件。嫌なら他のことでもいいですけど」
「そちらにさせてください」
 あまりの即答に和成は苦笑する。
「そんな…別にいいじゃないですか、史緒さんのお爺様なんだし」
「私が事務所を構えた途端にビジネスだ、って無理難題吹っかけてきたのはあの人のほうよ? いまさら祥子に仕事以外の関係を教える義理無いわ」
「無理難題…って、単に孫の仕事振りを見ていたい爺馬鹿の言い訳に聞こえなくもない…」
「……否定しないけど」
 照れた顔を隠すようにそっぽを向く。
 その横顔と、史緒の感情を乱してしまうことを覚悟して和成は訊いた。
「どうして櫻を恨んでいたんですか?」
 意外にも史緒は冷静さを崩さなかった。
「───次はそれ? 祥子への伝言の代わり?」
「ええ」
「忘れちゃった」
「史緒さん?」
「忘れました。…でも思い出そうとは思わない。私は復讐をして、思いを晴したわけだから。もう忘れたんです」
「復讐って…それの?」
 和成は史緒の首筋を指さす。
 史緒は一瞬目を丸くして、次にくすくすと笑い出した。
「やだ、私はこんなの気にしてないです。……って、一条さんには何度も言ってる気がするんですけど?」
「…そうですね」
「誘導尋問は効きませんよ?」そこでふと遠い目をする。「…本当に、忘れたんです」

(櫻が死んで───、…殺して)
(私は傲慢な達成感を得た)
(復讐を果たしたから。それは忘れるための正当な理由になる)
(私はもう、櫻に怯えていた理由を覚えてない)

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