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▲8.桜
夜に、電話が鳴った。
それが何を告げるかは、皆、分かっていた。
「……やだ」
「史緒」
「いや! 行きたくない!」
頑なに拒む史緒に和成は声を荒げた。
「今、行かなきゃもう会えないんだぞ?」
「行ったって会えない!!」
「───」
腹の底から吐き出す声。史緒のこんな大声を初めて聞いた。
本人も、慣れない声を出したせいか、すぐに咳き込んだ。そのままベッドに倒れ込む。
「───史緒…」
腕を取ると、史緒はそれを振り払おうと暴れた。
「はなして…っ、行きたくない行きたくない行きたくない…絶対いや!」
史緒は毛布にくるまってベッドから離れない。
ひとりにするわけにもいかないので和成も家に残り、櫻、司、マキが病院へ向かった。
マキは車の免許を持っていたが見るからに動転していたので櫻がタクシーを呼んだ。その櫻はマキを宥めるように穏やかに話しかけていた。
病院からの電話を切った直後、
「最期までクチ割らなかったな」
という櫻の低い呟きを、和成は聞いた。
櫻と司とマキが出かけてしまうと、家の中はしんと静まり返った。
和成はタクシーを見送った後、深い溜息を吐く。なま暖かかったはずの夜風が一瞬だけ震えるほど冷たく感じた。その冷たさに身体の芯が震えた。
(阿達咲子が死んだ───)
それは血の繋がらない他人である和成であっても、容易く受け入れられることではない。
覚悟はしていた。咲子の容体は解っていた。
「…」
込み上げてきた感情は悔しさに似ていた。声を漏らしそうになって、咄嗟に唇を噛み締めた。
今は、それだけで堪えることができた。
「───はぁ」
深呼吸は数回。和成は自分を落ち着かせた。
(泣くなぁ、これは)
でも今は取り乱して泣くわけにはいかない。
彼女が残したものが、ここにはある。
「史緒? 入るよ?」
ベッドの上ではまだ毛布が丸くなっていた。照明は無く、外からの薄明かりが部屋の中を寂しく照らす。静かで、痛いくらい音が無かった。
足を踏み入れて和成はベッドの端に座る。丸まった毛布を、ぽんぽんと軽く叩いた。
「……和くん」
毛布の中からか細い声が返った。どうやら少しは落ち着いたらしい。
「ん?」
「外、桜が咲いてる?」
史緒はそんなことを口にした。
「桜? そうだね、もう春だ」
そう答えると、史緒は身体にぎゅっと毛布を巻き込んだ。
「……また」
「え?」
「…っ」
史緒の呼吸が悲鳴をあげた。
「また……桜が咲いてる…っ」
小さな千切れた声は憎しみを表していた。
「史緒?」
「───桜の花は嫌い」
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