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 國枝藤子(くにえだ-とうこ)は夜の街を疾走していた。
 平日の夜中だというのに街には人が溢れている。その間を巧みに縫って走るピンヒールの踵に危うさは無い。
(あちゃ〜、これは怒られるな)
 フランクミュラーのクロノグラフに視線を落とすと、約束の時間から17分経過。もう苦笑するしかなかった。
 バラ模様の淡いピンクの肩紐ワンピースに白いボアレザーのハンドバッグ。お気に入りの服なので汗を掻きたくないけどしょうがない。藤子はさらにスピードをあげた。待ち合わせの店まであと2ブロック。


「ごめん、遅れたぁ」
 息を削りながら謝ってるというのに、
「悪いと思ってないでしょ」
 と、阿達史緒(あだち-しお)は冷めた視線を寄こした。この蒸し暑い夜の街中で20分も待たせたのだから怒るのは当然。しかしだからといって反省してないと思われるのは心外だ。
 その史緒はジップアップの白いワンピースを首まできっちりしめて、しかも長い髪を下ろしているのに暑苦しさを感じさせない。つくづく不思議な女だ。
「走ってきて頭下げてるのにそれ?」
「4回連続遅刻。仏の顔も3度まで」
「仕事が長引いたんだよ〜」
「それは無能さをアピールしてるのかしら?」
「ちょっと! それは聞き捨てならないよ!」
 声を強めても史緒はつーんと端を向いて不愉快を隠そうとしない。けれどその膠着は長くは続かなかった。
 第三者が藤子の腕を掴んだからだ。
「やぁ、お姉サン達、ちょっとイイ?」
「今、ヒマ? どっかその辺で一緒しない?」
 藤子の背後には、服のサイズが合ってないことを指摘したくなるようなファッションの男が3人立っていた。ダボっとしたTシャツとズボン、軽い音がするアクセサリーを付けている。
「どお? 奢るよ?」
 藤子はにこりと笑った。
「こんなピチピチの若い娘つかまえて、お姉さんはどうかと思うよ? おっさん」
「おっさんは酷いなァ」
「…」
 ビシッと鋭い音を立てて、藤子は男の手を払った。予想外に痛かったのか男は息を詰まらせた。
「あたし達、超多忙だから。また今度ね」
 ひらひらと手を振って、藤子と史緒は男達の前を悠然と通り過ぎた。
 ちっ、と男が舌を打つ音が聞こえた。

「もうちょっと穏便にいかなかったの?」
 2人は並んで歩きながら喋る。夜の街、通り過ぎるのは10〜20代の若者が多く、賑やかで明るい。
 史緒は息を吐く。藤子と一緒にいるときにナンパされたのは初めてではないが、もっと穏やかな言い方を藤子はできるのに。
「だぁって、このあたしの右手を掴むんだもん。ムカついちゃった」
「あれは根に持つタイプね」
「大丈夫、次に来たらコテンパンだから。───それより、待ってる間、暑かったでしょ? 中で待っててくれても良かったのに」
「あの店、禁煙席無いの。そんな場所でひとりでいるなんて我慢できないわ」
 史緒は煙草の匂いが嫌いなのだという。藤子はその横顔を一瞥してさらりと言った。
「そういう風に、嫌いなものを口にして周囲に気を遣わせるの、どうかと思うよ?」
 史緒は少しの間、口をつぐんだ。
「…そうね」穏やかな表情を見せる。「ありがと、正すようにするわ」
 うん、と藤子はにっこり笑って返す。
「あたし、あんたのそーいう聡いトコ好きよ」
「私も、藤子のズケズケと他人を諫めるところ、嫌いじゃないわ」
「素直に好きって言え」
「やーだ」
 2人、笑い合う。
「どこ行く?」
「特に希望は無し」
「じゃ、あたしダーツやりたい」「リテさんのとこ?」「いいね」
「サービスしてもらえるしね」
「それもあるけど、今日はサクマが来そうだから」
「あはは。佐久間くん、かわいそー」


*     *     *


 薄暗い狭い階段を降りると、そこにはダーツバーがある。
 重い扉を押し開けると、ゆったりとした洋楽が聴こえてきた。店内にいる客が少ないせいか人の声はうるさくは聞こえない。
 右側はカウンターになっていて色とりどりのお酒やグラスが並んでいる。カウンターの中のバーテンダーが黙って頭を下げた。2人の顔を覚えているのだ。
「がら空きだね」
 店の左奥はダーツボードが6台並んでいる。その一番奥で独りでゲームをしていた男がふと振り返り、顔を歪ませた。
「げっ、國枝」
 その男───佐久間と目が合うと藤子はにやりと笑い、史緒は同情の溜め息を漏らした。
「やっほー、サクマぁ! 勝負しよ、勝負」
「おまえ…またタカる気かぁ?」
「売られた勝負は買うって言ったのそっちでしょ? ついでに負けたら一杯奢るって」
「んな、半年も前の口上、いつまで引きずるんだよ!」
「あたしが負けるまでよ。決まってるでしょ」
「おまえが強いのはもー分かったって!」
「じゃあ、今日あたしが勝ったら、あたしと史緒に一杯ずつ奢って。そうしたら金輪際、賭け勝負は挑まないから」
「なんで阿達さん?」
「実は今日は史緒に借りがあるのよね」
 ちょっと、と史緒が口を挟む。
「藤子が払ってくれなきゃ意味ないでしょう。佐久間くんに奢ってもらってもチャラにはしないからね」
「そうだそうだ」
 と、佐久間が合いの手を入れる。
「うるさい! サクマは仮にもこの店のタイトルホルダーなんだから、簡単に弱さを認めるな。史緒もケチなこと言わない」
「おまえがケチなんだよ…」
 と、佐久間が呟く。
「じゃあ、こうしよう? 501で、あたしは史緒と組んで、1スロー交替で投げる」
 1スローは3投のことで、通常、チームは1スローずつ同じ的に投げる。
「え? 私?」
「ハンデってこと?」
「そ。あたし一人で投げたらストレートで終了させるもん。史緒はほとんど素人だし。ちょうどいいでしょ」
 501(ファイブ・オー・ワン)というゲームを少しだけ説明する。最初に各自501点が与えられており、それを0点にするまでのゲームだ。勿論、ダーツで得た点数をそのまま引いていく。
 説明すると一文で済むが、やっかいな点が二つある。ゲームの始まりと終わり、ダブルスタートとダブルフィニッシュである。ダーツのボード(的)のダブルリングに当てるまでゲームは始まらないし、最後は必ず0点で終わらせなければならない。
 ダーツをあまり知らない人は意外に思うかもしれないが、ダーツの1射による最高得点はインナーブル(的の中央)の50点ではない。トリプルリングに当てると獲得点数が3倍になりその最高点は60点である。
「よっしゃ!」
「相変わらず怪物じみたコントロールだな…」
 藤子は難なくトリプルリングに当てに行く。ダブルスタートとダブルフィニッシュの寄せを除いてすべて同じ場所に当てた。

 そして。
「詐欺だ…」
 と、佐久間が膝を落とすまで20分かからなかった。
「人聞きの悪い」
 と、涼しい顔の藤子。史緒はその隣で最後の一矢を投げたところだった。ちょうど、0点だ。
「阿達さんも強いじゃん!」
 藤子はあっはっはと高笑いしてみせる。
「そりゃ、あたしの直伝だもん」
「な…っ」
「ごめんね、佐久間くん」
 史緒の合掌も佐久間には慰めにはならない。
「詐欺だーっ!」
 店中に響く声で叫ぶ佐久間を少々気の毒に思う史緒と、まったく気にしてない藤子は手を鳴らし合った。

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