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▲4.招集

 3月の18日だった。
 暦の上で春は終わろうとしているのに、冬の名残を思わせる冷たい風が吹く。史緒は身を縮めて両肘を抱き寄せた。
 夕方、定時前であるが人通りは多い。歩道の人波に流されるように、史緒はそこへ辿り着いた。辿り着いてしまった。
 指定されていたのは都内のあるマンションの一室。いくら谷口葉子が身元は保証すると言っても、いきなり自宅に招くのは怪しくないだろうか、と史緒は訝る。
 しかしすぐにそれは勘違いだと気付く。
 このマンションにはいくつも企業が入っているらしく、途中、企業名が書かれた表札をいくつも見かけた。
 そして指定された部屋も同様、ドアの中央に「YK」と書かれた看板が貼られていた。自宅ではなく、事務所のようだ。
 史緒は少しの逡巡の後、チャイムを押した。壁の向こうでそれが響く。
 ややあって玄関が開かれた。20代半ばの、美人というよりは可愛いという表現が似合う女性が出てくる。スーツ姿で眼鏡をかけていた。史緒より背が低いために下から覗き込まれる恰好になった。
 女性はドアを片手で開けた体勢のまま無表情で史緒を凝視する。そのまま不自然な間があった。
「あの…?」
 そのとき初めて史緒は訪問者である自分が挨拶もしていないことに気付く。
「こ、こんにちは。阿達史緒、です」
 慌てて一礼すると、まるでそれがスイッチだったかのように女性は眼鏡の奥でにっこりと、機械的に完璧に微笑む。
「こんにちは。ようこそいらっしゃいました。どうぞお入りになってください」
 外から見ると普通のマンションだったけど、玄関の中はシート床で土足。8畳ほどの広さの部屋は右側にひとつデスク、その上にはパソコンモニタ、周囲は書類が詰められた本棚。FAXと電話など。左側には取って付けたような給湯所。史緒はマンションの中がこんな風になっていることに驚く。
「奥へどうぞ」
 さらに奥があるのか正面に扉があった。部屋を横断し、その扉を軽くノックする。
「どうぞ」
 と、女性の声が返った。



 阿達史緒は入室した途端、目を細めて右手をかざさなければならなかった。窓からの西日がまともに目に入り眩しかったからだ。
「ようこそ。阿達史緒さんね?」
 老年女性の落ち着いた声が響く。その部屋の中には3人の人間がいた。老女と、若い男2人。
 老女は60歳…70歳? もう少し上だろうか。ほっそりとした、というよりは弱々しい体型、薄手半袖の赤いセーターと、黒いロングスカートという洋装。タイトなおかっぱは真っ白で派手な服装のはずなのにどこか上品に見える。顔のしわはくっきりと見えていたがきりっとした姿勢やはっきり口調から若々しい印象を受けた。
 2人の男は多分10代後半だろう。史緒よりは上だ。2人ともスーツを着ており訝しげな視線を史緒に向けている。
 大きな窓からは駅近くの高いビルが見えた。それを照らす西日。こちらの部屋は書類棚ではなく本棚が壁を埋めている。生花や絵画が飾られて、前の部屋には無い、主の趣味が表れていた。史緒の素人目利きでもかなり高価な物だと判る。
「桐生院由眞です。はじめまして」
 この部屋に他人を座らせる椅子は無かった。示されるまま2人の男の隣に史緒は並んで立つ。その際、会釈をすると2人も視線で返してきた。
「あなた達3人を呼び出したのはわたしよ」
 と、桐生院は微笑む。
「まずは…そうね。お互い馴れ合う必要は無いけど、名前くらい知っておくべきかしら。どうぞ」
「御園真琴です」
「的場文隆」
「阿達史緒です」
 名乗る3人の声はどこか戸惑っているように響いた。
「わたしが用意した起業試験を受けてくれてありがとう、あなたたち3人が合格者というわけよ。倍率はきっかり4倍…大した難関じゃ無いわね」
 桐生院由眞がネットで公開した試験には12人の応募があった。これは勿論、驚くほど少ない。それには理由がある。由眞は応募資格に「20歳未満」という条件を付けていたのである。
「もうひとりいるんだけど、どうやら遅刻みたい。後で紹介するわ」
 と、付け足した後、
「単刀直入に言います」
 よく響く声で言い放つ。
「ネットに掲示した通り、あなたたちの可能性に1年間出資します」
 三ヶ月前、インターネット上の星の数ほどあるサイトのひとつに、ある掲示が出された。起業意欲ある人間に出資する、と。資格は20歳未満の若者に限る、試験として知能テストと経済・社会に関する50程の設問。それを仕掛けたのが桐生院由眞だった。
「これは、無利子無担保無返済よ。ただし、2年目以降はペイメントを払っていただくわ。業種は通知していたとおり情報産業───組合に入ってもらいます。
 初めてのことで何から始めればいいか解らないでしょう? 無駄な時間は割きたくないし、闇雲な仕事も見苦しいわ、だから最初の半年は研修として同業者のアドバイザーを斡旋します。支度金、登記、事務所、その他すべて協力は惜しみません。何か質問は?」
 淀みなく発せられた由眞の台詞にすぐに対応できた者はいなかった。まるで反応速度を測るかのように、由眞は3人をじっと見つめて質問を待つ。最初に声を出したのは、的場文隆だった。
「飲み込めてない部分はいくつもありますが……開業に漕ぎ着けたとして、信用も経験も無い会社に仕事が来るとは思えない。その点についてどうお考えですか」
 その言い回しは微妙で、由眞の計画の無謀さを揶揄するようにも聞こえた。しかし由眞はけろりと文隆の態度を無視し、台詞にだけ答えた。
「需要はあるのよ。最初のうちはわたしが仲介して仕事を回すわ。心おきなく信用や経験を積み重ねていってちょうだい」
 次に御園真琴が尋ねる。
「従業員は増やして構いませんか」
「それはもちろん、あなたたちの都合の良いようにどうぞ」
「20歳以下に限定した理由は?」
 文隆の2度目の質問に、由眞は興ざめしたような息を漏らす。
「その質問は無意味だわ。今後のことに対する質問は促したけれど、わたしの意図を訊いてそれが何になるの?」
 と、切って捨てた。文隆は反論しかけるがうまくいかない。由眞は5秒しか待たなかった。
「まぁ、いいわ」と表情を改める。「例えば、25歳が起業したいと思ってそれなりの行動を起こせば出資者はいくらでも現れるでしょう。昨今はベンチャーも流行ってるし、将来有望な人材を押さえバックアップすることをステータスとする階級層もいる。わたしもその例に漏れず。───10代がベンチャービジネスを興すことは、海外では決して珍しくない。わたしが先陣を切って国内で始めてみただけの話よ。ご理解いただけたかしら」
 文隆は大きく眉をひそめさせた。由眞の口上はもっともな理由に聞こえなくもなかったが、それ以上にもっともな建前に聞こえたからだ。由眞は笑顔でかわして視線を隣の人物に向けた。
「阿達さんは、質問は無いの?」
 指名されたことに驚き、史緒は不安そうにわずかに視線を泳がせる。迷うような仕草を見せたので、由眞は優しく促した。「どうぞ?」
 史緒は姿勢を正すと「では」と口を開く。
「あなたはさっき出資と言ったけれど、通例それは利殖を目的とする行為です。けれどお話を聞いていると、こちらに都合が良すぎて、あなたにメリットがあるとは到底思えません。ここで話し合っていることを実現することは、あなたにとってどんな価値があるんですか」
 文隆と真琴はぎょっとした。言葉少なく、臆していたように見えた史緒が、由眞に食いつくように喋り始めたからだ。史緒は視線を逸らさずにさらに続けた。
「確かに海外では10代の起業は珍しくありません。ですが、それらベンチャービジネスの出資者はハイリスクを覚悟し、なによりハイリターンを見込んでいます。ベンチャーの多くが研究開発や時代の先駆的商業なのは、それらが後に多くの利益を生む可能性が高く、その還元を期待する出資者が多いからです。今回のお話はグローバルな観点ではローリスク・ローリターンに見えます。あなたがどこにメリットを見出しているのか解りません」
 一気に畳みかけると、室内がしんと静まった。史緒に特に表情は無く、無感動に由眞を見つめていた。
「ばかね」
 と、その由眞は白けたように呟く。デスクから立ち上がると、ゆっくりと足を運び3人の目の前に立った。
「同じ事を二度も言わせないで。先の質問と同じよ、わたしの意図を訊いてそれが何になるの?」
 そして史緒を睨む。
「あなたたちに都合が良すぎて、胡散臭いというわけ? それはそうでしょうよ。───勘違いしないでね。わたし達は信頼のおける仲間になるわけじゃない。お互い利用しようとしていることは解っているでしょう。そんな相手に本心を言えだなんて、幼子でも通用しないわ。わたしを利用するかしないかはあなた達の自由。それを判断する材料は各自勝手に探してちょうだい。わたしが見せるカードはこれ以上無い。…わたしはわたしの利益を考えている。それを見なきゃ判断できないというなら結構、今すぐお帰り願うわ」
 由眞は怒りを見せて切り捨て、それぞれ3人を見据えた。その厳しい表情に文隆、真琴、史緒の3人はたじろぎを隠せなかった。
 そのとき、ドアの向こうから微かな話し声が聞こえてきた。
 あちらの部屋にいた女性と、もうひとり。
 由眞はふと微笑む。それは今までの対外的な笑顔ではなく、少しくだけた笑い方だった。そして言う。
「最後のひとりが来たみたい」
 3人がその意味を理解するより早く、どかん、と破壊的な音を立ててドアは開かれた。
「由眞さん、遅れてごめん!」
 雰囲気をぶちこわす高い声が飛び込んでくる。息を削って、肩を上下に動かして、汗を掻いていた。入ってきたのは史緒と同年代の少女、柔らかそうな茶色い髪、ファー付きの白いダッフルコート、そしてピンクのロングブーツを履いている。どう見ても場にそぐわない恰好の人物の登場に3人は面食らった。
 あれ、と史緒は首を傾げた。恐らく走ってきたであろう少女の、玄関からの足音が聞こえなかったことに。
「相変わらず、時間通りに現れない子ね」
 と、由眞は少女をからかう。
「急な仕事があったの」
「まぁ、いいわ。───この子が4人目よ」
 少女に向けて、挨拶するよう由眞が視線で促すと、少女は歯を見せて豪快に笑った。
「國枝藤子でっす。よろしく!」
「───…え? “國枝”?」
 真琴が呟いた。その声は小さく、本人には聞こえなかったようだ。
「すでに何か仕事を?」
 文隆が訊く。
「あ、うん。あたしは」
「藤子」
 答えようとした藤子の台詞を由眞が遮った。
「その質問には契約後に答えるわ」
 そう3人に言った由眞の横で、國枝藤子は軽く舌を出して肩をすくめていた。
 パン、と一打ちが響き、室内はしんと静まる。
「さて、わたしも暇じゃないの。そろそろ散会しましょ。十日後、了解のサインをする人だけ来てちょうだい。やる気の無い人間は断りの挨拶も時間の無駄、但し、ここでのことは他言無用よ」

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