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9.藤子と史緒
図書館司書の谷口葉子は慎重な面持ちで副業の顧客と向き合っていた。
貸し出し用カウンターの向こう側で、客は葉子が手渡した資料を封筒を覗き込むように確認している。鼻歌を唄いそうな陽気な調子で、客は器用に指先で資料をめくっていた。
葉子はこの客とはできれば付き合いたくなかった。私情だけで挙げるなら、この客は葉子のブラックリストのトップにいる。
ブラックリストと言っても、金払いにだらしないとか極度に性格が悪いとか意味も無く腹立つとか、そういうことではない。どんな人間であろうと客は客、葉子は一様に対応しなければならない。そう、客を選んではいられないのだ。───例えば、犯罪を生業にしているような相手でも。
(例え話ならよかったけど)
葉子は自分の副業───情報屋としてのネタの信頼性を自負している。だからこそ、目の前の客の「仕事」を疑うことはしない。
故に、それは解っていることなのだ。
この客に情報を売るということは、必ず犯罪に繋がるということを。
もちろん、売った情報の使途は葉子には与り知らぬこと。それでも葉子は、売った情報が犯罪に使われていることに、後味の悪さを味合わずにはいられなかった。
「いつもありがとう、葉子さん」
と、犯罪者にはとても見えない少女───國枝藤子は笑う。
「お礼は金銭で結構。さっさと帰んな」
「つれないなー」
藤子はくすくすと屈託なく笑う。葉子はその笑顔を微笑ましいとは思えなかった。その破綻した人格に寒々しさを感じるだけだ。仕事でもなければ付き合いたく無い。早く帰れと追い払おうとしたとき、
「あ、阿達史緒だ」
「───は?」
ぽつりと発せられた藤子の言葉に葉子は目を丸くした。
顔を上げると、図書館のエントランスから、本業のほうの馴染みの客が入ってくるところだった。藤子が口にした通り、阿達史緒である。
「おい…」
と、葉子は呟く。藤子は大声で大きく手を振った。
「阿達さーん、こっちこっちー」
その声が聞こえたのか、史緒は足を止めた。軽く首を傾げ、迷ったようだが結局こちらに足を向けてきた。
「…國枝、藤子さん?」
「そっ。この間はどーも。ね、阿達さん、すぐ帰る? 駅まで?」
「え? ええ、…うん。本を借りてからだけど」
「じゃあさ、待ってるから、一緒に帰ろう? あたし、駅前からバスだし」
馴れ馴れしい藤子の調子に史緒は困ったような表情をした。押し切られたかたちで頷くと、葉子にも目礼をして、史緒は奥の本棚へ消えた。
「───おい」
強い声で言うとやっと藤子はこちらを向いた。
「やぁだ、葉子さん、コワイ目向けないで」
「なんでおまえがあの子と知り合いなんだ」
「さぁ、なんででしょう? 心配しないで、とりあえずまだヒミツだから」
「とりあえず、ってなんだ。真面目に答えるんだ。カタギと関わらないのはおまえらのルールだろう」
本気で諫めてみても藤子は涼しい顔だ。
「うわぁ、そんなに阿達さんのこと心配なんだ? あたしのことより? 妬けちゃうなー」
「ふざけるな。私みたいなどっちにも関わってる人間には、双方を干渉させない義務があるんだよ」
「───でも、阿達さんをこっち側に来させたのは葉子さんでしょ?」
「!」息を詰めた。藤子は穏やかに笑っていた。「…國枝」
「なにー?」
「まさか、おまえの後ろにいるのは…」
「あらやだ。あたしったらバラしちゃったぁ、あははは」
わざとらしく笑う様は毎回鼻についていたが、このときばかりはそんなこと気にしていられなかった。葉子はとても危険な情報を得てしまったことを自覚した。
國枝藤子の名前が知れ渡るようになったのはここ半年のことだ。葉子が持つ資料の中では、2年前に初めて登場している。異様に若い女だということ、単独で行動していること、いわゆるフリークではなくビジネス───請負屋(始末屋、と呼ぶ)だということはすぐに聞こえてきた。その受注率と成功率の高さが騒がれ始めるのにそう時間はかからなかった。
始末屋のあいだでは「同業には手を出さない」という暗黙のルールがある。同業者の仕事を妬んで実力行使という短慮は許されないのだ。しかしそれでも一触即発のいざこざはは多々ある。
もし、葉子がたった今得た情報が流れたらどうなるか。己の牙だけでなく虎の威を後ろに持つ藤子を狙うことは危険だ。そして恐らく大半の始末屋は桐生院由眞にも手が出せなくなるだろう。國枝藤子からの報復を恐れて。
「売ってもいいよ、由眞さんも気にしない。でもね、あたしは由眞さんに迷惑かけるのはイヤなの。扱いには気をつけてよね」
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