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11.篤志と司と史緒

 朝、和成に送ってもらい家に帰ると篤志がいた。どうやら昨夜はそのまま泊まったらしい。
 玄関で鉢合わせした。
「朝帰りとはいい度胸だ」
 と、わざとらしく軽口を叩かれる。こんなときどう返せばいいか判らず史緒は固まってしまう。とりあえず、ただいま、と返した。
「一条さんは?」
「…会社」
「そっか」
 篤志は少し迷うような仕草でうつむいた。そして改まった表情で顔を上げ、
「ネコのこと、残念だったな…」
 と、言った。
(心配、してくれてたんだ)
 その一言に篤志の心遣いを感じた。
「…うん」
 それだけしか返せなかったけれど。
「じゃ、あとで司の部屋にも顔出せよ。あいつも心配してたから」
「うん───あっ、ねぇ、篤志」
 背中を向けた篤志を呼び止める。
「ん?」
「お父さんから、聞いてるんでしょ?」
 階段に足を掛ける手前で篤志が振り返る。確認しておかなければならないことがあった。
「本気で私と結婚する気? ───阿達を継ぐの?」
 史緒としては阿達家の問題に篤志を巻き込みたくない。けれど篤志にとってアダチの仕事が魅力的に思えるのなら話は別だ。
 ふーっと息を吐く音が聞こえた。
「おまえと結婚するってのはないな」と苦笑する。「それは絶対ない」
「…じゃあ」
「いいじゃないか」
 史緒の台詞を打ち消すように篤志がさらに続けた。
「2人でおじさんを謀(たばか)ってやろう」
「謀る…?」
「おじさんの話は、他人の俺から見ても少し強引だと思う。だからってわけじゃないけど、少しくらいのいたずらは罪じゃないだろ」
 いたずら、と史緒が呟くと篤志は大きく頷く。
「逆らえない振りしてさ、不承不承で従うような素振りで、期待させておいて。最後には拒否してやろう」
「…」
「史緒はアダチに入りたいのか?」
「まさか」
「じゃあ、やりたいことをやればいい。心配すんな。最後はすべて丸く収まるから。───絶対」
 その言い切りに史緒は半ば呆れる。
「…すごい自信ね」
「根拠は無いけどな」
 と、舌を出して笑った。
「大丈夫だ」
「───」
「いざとなったら俺がどうにかする。おまえは好きにやればいい」
 通り過ぎざまにぽんと肩を軽く叩かれた。篤志はそのまま2階へ上がり、司の部屋へ入って行った。
(……)
 史緒は何も言えずその場に立ちつくした。
 誰もいない冷たい廊下。
 胸が騒ぐ音をひとり聞いていた。
 触れられた肩が熱い。
 嬉しくて泣きそうになる。
 状況は何も変わってないのに、篤志が味方だとわかっただけでこんなにも肩が軽い。
 父親に気を張るのもひとりで踏ん張ることない。
 ひとりじゃない。
(だいじょうぶだ)
 根拠も無くそう思う。思わず笑ってしまった。
 理由も挙げてないのに、そう思えるなんて。
「…」
 ぐいっと史緒は階段の上に目を向けた。
 ───味方でも、一緒に来てくれるとは限らない。
 でもひとりじゃ動けなくなる。
 断られるのが怖い。
 この覚悟を嗤われるのは辛い。
「…っ」
 史緒は駆け出した。ネコを持たないその身体で。




「篤志!!」
 ノックも忘れて司の部屋のドアを開け放つ。篤志は反応が早い、何かトラブルかと素早く腰を浮かせかけた。司は想像の範疇外の出来事に机の上のカップを倒した。
「…七瀬くん」
 史緒は緊張した面持ちで2人を交互に眺めた。
「聞いてもらいたいことがあるの」
 そして史緒は、桐生院由眞に関わった今までの経緯を話した。
 史緒はドアの横で立ったまま話した。すぐ傍の柱に掛けた手は膝から先が大きく震えて止めることができない。きっとその揺れは喋る声にも派生していたことだろう。
 篤志はベッドを背に座って両腕を組んでじっと動かない。司は机の椅子に座って史緒には背を向けていた。
「私、家を出るわ。…それで、ね…、あの──」
 2人の顔を見るのが恐い。史緒は目を床に逸らした。
「…ぁ、私は、まだ、年齢的に認められないところもあるし、世間知らずなとこあるし……」
 知らず、両手を胸の前で組んでしまう。
「自分で思ってる以上に子供だし、何もかもうまくいくなんて嘘でも言えないし、保証なんてできないし、1年後どころか一ヶ月後のことも見えてないし、明日のことも判らないんだけど、でも私はやりたいの!」
 涙が滲む。
 史緒は大きく息を吸い、気力で震えを止めた。
「一緒に来て」

 顔を上げると篤志と目があった。
 嗤うでもなく叱るでもなく、表情の読めない、でも強い視線とぶつかる。その強さに、一瞬、怯みそうになるが、史緒は負けるもんかと篤志を睨み返した。
 しばしの対峙の後、先に目を逸らしたのは篤志のほうだった。
「……くっ、あははは」
「え?」
 篤志は額に手のひらを当てて笑っていた。どっと緊張が崩れて、史緒はその場に膝を落としてしまった。
「篤志…」
 篤志はまだ笑いが残る声で言う。
「もう少し素直に言えないのかとは思ったけど」
「…え?」
 もう一度目を合わせると、今度は笑っていなかった。
「いいよ。おまえと行く」
「篤志」
「いいかげん、親からも独立しろって言われてるし。───司は?」
 司は自分の机に片肘をついて、篤志と史緒のやりとりを黙って聞いていた。
「う〜ん、…史緒がそんなこと考えてたっていうのは、正直、驚いた」
 と、さして驚いてないと思われる口調で言う。
「篤志は、もう確定なんだ?」
「確定」
「あっそ。僕もとくに異論は無いよ。史緒のやりたいようにしたら? ───あぁ、僕の場合はおじさんの許可がいるのか」
 などと、あまり深く考えてないように、司までが了解してしまった。
 史緒は一気に気が抜けて呆然とする。
 篤志と司は笑っていた。その表情がとても暖かく感じられて、史緒も半泣きの顔でどうにか笑ってみせた。
「ありがと」
 消え入りそうな声で、それだけ返すことができた。
 ───この責任はとても重いものだけど、背負うことを辛いとは思わない。
 大丈夫だと、そう思うことができた。

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