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1. 6月の誕生日

 6月の半ば。
 その日、大きな花束を両手に抱えた少女が街中を駆け抜けた。色とりどりの季節の花は少女の両腕からあふれこぼれそうに揺れる。行き交う人々は、その花束の鮮やかさに思わず振り返った。それから少女の表情、息を削りながらも喜びを隠せない無邪気な笑顔にも見入ってしまう。そしてつられて口が緩む己に苦笑しながらも、つい少女を見送ってしまうのだった。

「おっはよーございまーす!!」
 川口蘭(かわぐちらん)はノックも忘れてA.Co.の事務所に駆け込んだ。そのとき事務所にはメンバー全員が揃っていて、花束に隠れて顔も見えない蘭にそれぞれ驚きの反応をした。
「わっ」
「なんだぁ?」
「おはよう、蘭」
 など。
 蘭は背筋をのばしまっすぐ歩を進める。ソファに座っていた関(せき)谷(や)篤(あつ)志(し)の目の前に立つと花束を差し出して笑った。
「篤志さん、お誕生日おめでとうございます」
「…」
 突然、生花の香りを間近にした篤志は数秒の間、固まった。さらに数秒の後、はぁ、と息を漏らした。蘭の突飛な行動にはいつになっても慣れない。それでも笑って「ありがとう、蘭」と返し、花束を受け取った。
「えー、篤志、今日、誕生日なんだ?」
「おめでとう」
「つか、篤志に花束ってビジュアル的にどーよ」
 など。
「……ありがとう」
 こちらにも、苦笑しながら返す。
「でね、篤志さん」
「ん?」
 蘭はにっこりと笑った。
「デートしましょう」

*   *   *

「デートしましょう」
 あたしがそう言うと、いつも、篤志さんは困ったように苦笑する。
 理由は、なんとなくわかる。
 結局は付き合ってくれるし、あたしのこと嫌いなわけじゃないって自惚れたい。そう。
 ただ、篤志さんは、あたしと2人きりになることが、ちょっとだけ怖いんだ。


 駅の人だかりの中で、篤志は突然足を止めた。
「篤志さん?」
 どうしたのかと見上げると、篤志は目を見開き、呆けたように改札の向こう側をまっすぐ見ていた。蘭はその視線を追った。
 すると、ちょうど、前から歩いてくる40歳前後のスーツ姿の女性が顔を上げたところだった。
「あら」
 と、 含み笑いの声。
「お久しぶりです」
 篤志は軽く笑いながら言った。
「え? …お知り合いの方?」
 眼鏡をかけてきっちりスーツを着ている中年の女性。大きな封筒を持っていた。蘭は仕事繋がりの知人かと思った。しかしそれは違うらしい。
「珍しいね、こっちに出てくるなんて」
 気安い調子で篤志が言うと、
「お父さんのおつかいよ」
 女性は手にしていた封筒をひらひらと振って見せた。
(お父さん…?)
 蘭が首を傾げていると、篤志は相手の女性に蘭を紹介した。
「川口蘭。史緒の事務所のメンバーの一人」
「まぁ」
「で、蘭、こっちは俺の母親」
「え」
 思ってもみなかったその正体に、
「ええぇぇ〜! 篤志さんのお母様ぁ!?」
 場所もはばからず大声を出してしまった。何人かが振り返って行った。幸い、目の前の女性はそれを気にはしないでくれたらしく、蘭に向かって微笑み、深々と頭を下げた。
「はじめまして。関谷和代です」
 蘭も慌てておじぎした。
「川口蘭です! こちらこそ、はじめまして」
 頭上から、 くす、と笑う声がした。窺うように頭を上げると、和代は指を口元に当てて小さく笑っている。その仕草はとても上品で、なぜだか小さな感動をおぼえた。
 とても落ち着いた女性だ。
(この人が、篤志さんのお母様)
 想像もしなかった、と言えば嘘になる。篤志の実家は横浜で、小説家の父親と専業主婦の母親がいるということは聞いていた。会いたいと思っていたけど、今までその機会に恵まれなかった。
「あなたが蘭ちゃんね。噂は聞いてるわ」
「えっ。篤志さん、あたしのこと噂してくれてるんですか?」
「ううん。篤志じゃなくて、咲子よ」
「…咲子さん!?」
 思ってもみなかった名前が出た。
「ええ。私は咲子とは古い友人なの。蘭ちゃんのことも、聞いたことあるわ。元気で明るくて可愛い子だって」
 阿達咲子は史緒の母親だ。すでに病死しているが、蘭も幼い頃に面識があった。その柔らかいあたたかな笑顔を思い出して、目頭が熱くなった。
(…ぁ)
「咲子さん…。…ぁ、なんか、…嬉しいです」
「そう、お会いできて良かった」
「はい!」
 和代はふと顔をあげて、今度は篤志に声をかける。
「そうだ。篤志」
「はい?」
「誕生日おめでとう」
「…ありがとうございます」
「近いうちに顔を出しなさいな。お父さんもお祝いしたいそうよ」
「あの人の場合、適当に理由付けて騒ぎたいだけ、って気もするけど」
「それはそうね」
 息子の的確な評価に和代も苦笑した。それはさっきまでよりくだけた表情だった。そして、
「そのときは是非、蘭ちゃんもいらしてね」
 と、蘭に笑いかけて、それから次に、冗談とも取れない雰囲気で言った。
「できれば史緒と司も連れてきてくれると嬉しいわ。久しぶりにいじめたいから」

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