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4. 悪魔の証明
蘭は、亨の墓石の前で目を瞑(つむ)ったりなんかしなかった。手を合わせることもしなかった。これは意地だ。
亨はここにはいない。だからぜったい、手を合わせたりしない。
蘭は両手を握りしめて胸を張った。気を抜いたら目を瞑ってしまいそうだった。
(だめ。亨さんはここにいない。別の場所にいるの)
目を閉じて彼を想ってしまったら、彼が死んだことを認めることになってしまう。
父と兄と姉は墓石の前に膝を付き手を合わせて追悼している。
蘭は一歩退がって、必死でそれを拒否した。
そのときのことだ。
(───…?)
視線を感じて顔を上げると、蘭たちをここへ案内してくれた人物と目が合う。
阿達櫻。その顔は見る間に険しくなった。「おまえ…ッ」酷い力で腕を掴まれる。余裕の無い表情を隠そうともせずに。
それは一瞬だった。にもかかわらず、とても長い時間に思えた。なぜなら強い風が吹いたことも、櫻が息を呑んだことも、確かに感じられたから。
(…あ!)
蘭は目を細め咄嗟に口元を隠した。解ってしまった。櫻と目が合う、その一瞬で。
(読まれた)
そして、蘭も読めた。
(櫻さんも───)
掴む腕をそのままに、驚愕を見せて唇を空振りさせる。
「おまえもか…ッ、蘭!」
はじめて、櫻に名前を呼ばれた。
このとき、あたしは安心したんだ。
あたしだけじゃないという心強さに。
櫻という強い目利きを手に入れた───満足感に。
* * *
直感だ、と櫻は言った。
「例えば、俺が行方不明になったとしても、あいつには俺の生死が判るだろう。それと同じことだ」
蘭は、占い師の話を櫻にした。
すると、櫻は嗤う。
「嘘吐け。そんなもん、信じてないくせに」
と、頭から否定する。
「どうしてですか」
「前から思ってたけど、おまえって、大概、自己陶酔型だよな」
「え?」
「おまえは、亨に生きていて欲しいわけじゃない。自分が信じたものが失くなるわけないと、自分に自信を持ってるだけだ」
「!」
ずきんと胸が痛んだ。
「ち、違います、あたしは…」
櫻の言葉に思い当たるものがある。満足な反論はできなかった。
(あたしは───…)
だって。
ずっと探してたの。
家族から愛されて育ったあたしが、この愛をそそげる対象を。
同じ気持ちを返されなくてもいい。だけど、あたしのすべてをあげよう。
あたしのすべてを賭けて守ろうと。
「まぁ、おまえの目は多少は見所あるよ。価値あるうちは利用させてもらうさ」
「じゃあ、櫻さん。約束しましょう?」
「…約束?」
「亨さんを見つけたら教えて。あたしも、そうしますから」
櫻は訝しげに目を細めた。蘭はまっすぐにその視線を受けとめて言った。
「あたしは絶対見つけます。見つけられないなんて、少しも思ってません。亨さんがいないことより、いることを証明するほうがずっと簡単ですもの」
ふ、と櫻が笑った。
「“悪魔の証明”、か」
「え?」
「───いいだろう」
櫻は颯爽と腰を上げ、蘭の目の前に立つ。見下ろされる角度だったが、蘭は負けじと視線を逸らさなかった。
「亨を見つけたら必ず報告しろ」
「櫻さんも」
その約束を言い出したのは、蘭のほうだった。
そして運命の再会の日。
「あたしっ、篤志さんに惚れましたっ!」
信じていた。占いのおばあちゃんの預言より、櫻さんの予感より。何より、この思いを。
信じていたから、いつかこんな瞬間が来ることは解っていた。
解っていたはずなのに、今、全身が震えるほど嬉しい。
嬉しい。行き場の無かったこの思いを胸にやっと歩き出せる。
やっと、あなたのために生きられる。
「あの…、櫻さん」
1階のダイニングに降りると、櫻はソファに寝ころんで本を読んでいた。櫻は読書を邪魔されると途端に機嫌が悪くなる。なので蘭はおそるおそる声をかけた。
「今、よろしいですか?」
「ああ、さっきは面白いこと聞かせてくれたな。久しぶりに馬鹿笑いしちまった」
篤志への告白が聞こえたらしい。可笑しそうに肩を奮わせた。
蘭はそれを冷めた目で見る。
(───そうか)
「櫻さん」
(櫻さんは)
(見つけられなかったんだ)
息を吸い、わざとゆっくりと口にした。
「あたし、探しものするの、やめます」
「───」
櫻は真顔に戻って低い声で言った。
「諦めたのか?」
眼鏡の奥から睨んでくる視線を、蘭は柔らかく受けとめた。
少し悲しくなった。捜しものを見つけた喜びを櫻と分かち合えないことに。
悲しい気持ちのまま蘭は微笑んだ。
「…やめるんです」
「篤志に鞍替えしたからか?」
「そうです」
「…どうやら、おまえのことを過大評価していたようだ」
「すみません」
蘭は眉尻を下げて笑う。
(あたしも)
(櫻さんに期待しすぎていたみたいです)
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