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 無理矢理に史緒が藤子を連れて外へ出て行ったあと、事務所内では、強烈な印象を残して去っていった藤子の余韻が残った。
「史緒の友達というには、意外なタイプだな」
 篤志は意外そうな表情で窓の下を歩く2人を見た。
「どうかな」
「なんだ?」
 司の硬い声に篤志は視線を室内に戻す。
「あの子、足音が無かった」
 あれだけ勢いよくやってきたのにそれまでの足跡が少しもなかった。ドアを開けられたとき本当に前触れがなかったので司は驚いた。
「えっと、あたしも」
 それに便乗するように蘭がおずおずと口を挟む。
「さっきの方、訓練してると思います。隙が無いっていうか…なんか恐い。ごめんなさい、史緒さんのお友達なのに失礼ですけど」
「あ、俺からもひとつ」
 雑誌を読んでいた健太郎が手を高くあげた。
「他は知らないけど、付けてた腕時計、100万するよ。まっとうな女子高生ではないと思うな」
 室内に微妙な空気が流れた。篤志と三佳はとくに感じるものはなかったようだが、次々に挙げられる見解に戸惑いが生じる。そして自然と、全員の目が本命の祥子に集まっていた。
 突然注目を受けて祥子は挙動不審になる。けれどそれぞれの目に訊かれていることはわかっていた。
「……うーん」
「どうした?」
「ちょっと、よくわからないんだけど」
 藤子がドアを開ける前、異質な人間が近づいて来るのが判った。他の人間と同様、いくつかの感情が混じっていたが、それでもこんな極端な偏りを、祥子は感じたことがない。
「……なにがそんなに楽しいんだろう、あの子」

* * *

 楽しくない日なんてあるだろうか。
 藤子は空を仰いだ。
 いつもどおり、空は手が届かないほど遠く、手の届く位置には愛すべき人たちがいる。それだけで充分、なにを憂うことがあるだろう。
 天上は雲一つ無い青が広がっている。
 この空を飛びたいと願ったことは無い。一度も無い。羽根を欲したことも無い。空は望むものじゃ無い、仰ぐものだ。
 ただ、藤子は足が欲しかった。
 この径を最後まで歩いていけるしなやかな足が。
 径の終わりを目指していつも歩いている。どうやって終わるかも、この径を歩き始めたときから知っている。行き着く先はわかっているのだから、あとは道程を楽しめばいい。
 でも。
 うしろから付いてくる友人は、そんな風には考えられないだろう。終わりなど想像すらできず、居心地の良い現在(いま)を維持させることに精一杯。その姿は端から見ていると可哀想なくらい必死だ。しかし自分のエゴを貫き通そうと努力する人間は愛おしくもある。

「事務所(ここ)には来ないでって言ってあったでしょう?」
 史緒は恨めしそうな表情で言う。
「あたしが人殺しだから?」
「…うちは、勘がいい人間がいるのよ」史緒は口ごもった。「で? 今日は何の用なの?」
「さっき言ったじゃん。史緒の顔を見に」
「……なにか、あった?」
「ううん。ほんとにそれだけ」
「どこか入る?」
「あ、いいの。今日はこれから由眞さんのとこ行くから」
「じゃ、駅まで送る」
「──史緒」
「なあに?」
「……」
 藤子は確認せずにはいられなかった。潔癖で、藤子が知らない多くのものを抱えているこの友人が、まさか馬鹿なことするはずない。解っているのに、それでも確認せずにはいられなかった。
「だいじょうぶだよね? らしくないこと、しないよね?」
 遠まわしな言い方に史緒は軽く笑う。
「なんのこと?」
「自分が守らなきゃいけないもの、ちゃんとわかってるよね?」
「……なに?」
 不審を感じたのか史緒は視線を向ける。しかしそれには応えない。
 藤子は手を伸ばす。
 史緒の首に両手を回して、そのまま抱き寄せた。
「…っ」
 細い肩は藤子の力でも折れそうだった。
「と…、藤子?」
 身を捩る史緒を屈させるように、構わず力を込める。
 好きな人と抱き合うと感動する───史緒を抱きしめたのはこれが初めてだった。その愛しい存在の温かさに込み上げるものがあって息が震えた。
 藤子はゆっくりと息を吸う。
「幸せになってね」



「──」
 史緒は不吉な既視感に襲われた。
 ぞわりと背筋を伝わる不安に泣きそうになる。
 目の前が霞んだ、その言葉を耳にして。
(そんな台詞、聞きたくない)
(その言葉には、なんの意味もない)
 かつて同じ言葉を聞いたときの記憶をまさぐり始めたとき、両肩を引き剥がすように藤子は離れ、豪快に笑った。
「ここまででいいよ。じゃあね! よい御年を!」
 そのまま踵を返し歩道を走っていく。
 抱きしめられていたぬくもりが消えて喪失感が残った。
「……藤子?」
 思わず呟いた。聞こえなかったのだろうか、藤子は振り返らなかった。
「藤子ッ!」
 冷たい冬の風が吹いた。氷の欠片が髪を漉いていくような、痛いくらいの寒冷。
 結局、藤子は立ち止まらずに行ってしまった。
 嫌な予感がした。
 史緒は確かに、それを感じ取っていた。

end.

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