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■6.
「元気そうだったか?」
「え? …え、えぇ、…はい」
 見当違いな質問をした篤志に、電話口の向こうで蘭は呆れたようだった。
(それならよかった)
 昨日、夜になって携帯電話の着信履歴を確認したら14件あった。すべて蘭からだ。何事かと急いで掛け直すと、繋がった途端、
「ごめんなさい!」
 鼓膜を刺す謝罪。
 堰を切ったように要領を得ない喋り方をする蘭の訴えはなかなか話が見えてこない。けれどある名前が出たとき篤志は瞠(みは)り、ようやく内容が見えてきた頃、無意識に微笑んでいた。もしかしたら声を出して笑っていたかもしれない。
「篤志さん?」
「ああ。───いいよ、気にしなくて」
「よくないです! あたし、もぉ、篤志さんに顔向けできません! …今までずっと隠してたのに、阿達のおじさまにも、史緒さんにも! なのに……あたしが口を滑らせたからッ」
 篤志の内心とは裏腹に、蘭は彼女らしくもなく取り乱し、涙声で大声を出した。それを宥めるでもなく、篤志は穏やかな声で言う。
「本当にいいんだ。───…隠してたわけじゃないから」
「は?」
「隠してたわけじゃない。俺の家族もそう」
「え…、だって」
 蘭から見れば、ずっと秘密を抱えているように見えただろう。結果的にはそのとおりだ。
「ただ俺は、明かすのが怖かっただけだ」


 篤志はアダチの仕事もA.CO.の仕事も休んで、朝から駅構内のベンチに座っていた。
 蘭が二度目撃したと言っても、この駅が彼の行動範囲であるとは限らない。今日、ここを通る保証はない。例え通ったとしても会えるとは限らない。
 それでも見つけられないはずない、という、他の人間が聞いたら乱暴で無謀な直感が篤志にはあった。
 目の前を数え切れないくらいの人が通り過ぎていく。そんな自分さえ埋もれてしまいそうな景色の中でも。
 自分の半身にも似た存在を。


 ───「彼女」が遺(のこ)したもの。
 それは物だったり、言葉だったり、いたずらだったりする。
 阿達政徳に、阿達史緒に。そして「彼女」が最期まで案じていた、阿達櫻に。
 それらを繋げるために関谷篤志がある。
 その役目を自覚していたので、いずれ阿達家に戻ること、櫻とやりあうことになることは、ずっと前から解っていた。必然だった。
 渡すべき物、伝えるべき言葉、関谷篤志の役目について。それを明かすために阿達家へ戻った。───けれど櫻の失踪により目的の半分は意味がなくなってしまう。
 なにも伝えられず、なにも救えなかったのは残念。
 でも悲観はしてない。

 まだいる、という予感はあったから。

 篤志は人波のあいだを走って、その肩を掴んだ。
「櫻!」
 顔を確認する前に篤志は名指しする。間違うはずがない。振り返ったのはそのとおり阿達櫻。不機嫌な顔が篤志を睨む。視線はちょうど同じくらいの高さだった。
 険しい表情の櫻とは対照的に、篤志は肩で息をしながらも、懐かしい友達に会ったかのように笑う。
「ようやく出てきたな」
「………関谷か」
 うるさいやつに捕まった、と表情が語る。
「七瀬…は、喋らないな。蓮家の末っ子か」
「あぁ」
 肯定の意か感嘆詞なのか判別しかねる声調で篤志は息を吐く。切っていた息を区切るように深呼吸して、汗を掻いた顔で、篤志はおおらかに笑った。
「よかった。───元気そうで」
「…」
 嫌悪の対象を見て櫻の眼が大きく歪む。
 けれどそれはすぐに驚愕の色に変わった。
 篤志の表情に、別の人影が重なったからだった。
 けれどそれは一瞬で、すぐに視線を外す。眼鏡を外し、大きく広げた手のひらでおそるおそる両眼を覆う。その手は微かに震えていたが、顔に強く押し付けている。その下に見える口元は歯を食いしばっていた。
 少しのあと、櫻は空を仰ぐ。真夏の濃い青に、なにかを確認するように。
「櫻…?」
 篤志は訝しげに名を呼んだ。櫻の一連の動作の意味がわからない。
 3秒もしないで櫻は手のひらに視線を戻す。どこか安堵したような、嫌悪したような表情で軽く頭を振ると眼鏡を掛け直した。
「…櫻」
「なんでもねぇよ。気安く呼ぶな」
 篤志の手を払う。
「まさか、……今でも目がおかしいのか?」
「うるさい」
 心配するような問いかけが気に障ったのか櫻の声に苛立ちが混じった。
 篤志はさらに問いつめる。
「あの頃からずっと?」
「…───」
 糸で吊られたように櫻は顔をあげた。わずかな動作で眉をしかめて、掠れた声を押し出す。純粋な疑問をもって。
「───なんだって?」
「だから」
 目が、と言いかけて、声と口と、そして思考が停まる。縫い付けられるように櫻の視線に捕まったからだった。
 眼鏡の奥の目には珍しく表情が無い。彼がいつも自分以外のすべてに向ける厭悪も、見下すような薄笑いも、そのほかの色も無い。すべての感情を取り払った白い顔が篤志のほうに向いている。目を離せなかった。
 最初に危機感だけが訪れた。失言をした───篤志はそう直感する。
 自分はなにを言いかけた? 櫻はなにを気に止めた? その理由は?
「…!」
 危機感のあと、遅れてやってきた記憶に篤志の顔が歪む。
(しまった…ッ)
 それは表情に出てしまった。櫻は寸分の狂いもない正確さでそれを読み取った。
 読まれた、と篤志が解ったのと同じように。
 ──あの頃からずっと?
 それは10年以上前の記憶だ。
「…あぁ」
 息に乗せた微かな声は意外なほど明晰に篤志の耳に届く。
「───そういうことか」
 なにもなかった表情に色が浮かぶ。
 怖ろしいほどにゆっくりと、櫻は目を見開いた。





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