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≪12/13≫
■5.
蘭と「彼」の、それは挨拶代わりだった。
お互い、燻(くす)ぼって、苛ついて、ときには自嘲して、自棄気味のときもあって。
期待しているわけでもないのに、それでも訊かないわけにはいかず。
≪捜し物は───≫
「見つかった?」
「…っ!?」
すぐ近くからの問いかけに蘭は飛び上がった。見えない氷が肌を伝ってヒヤリとする。
放課後の教室。人気(ひとけ)の無い空間に、この時間でも陰影が濃く落ちている。それを背景に仲の良いクラスメイトの顔が目の前にあった。
「───…」蘭は大きな目を瞬(しばだた)いて、あたりを見回す。「…えと、なんだっけ?」
笑顔を作ることも失念して、蘭はうまく回らない舌を動かした。友人は呆れたようにわざとらしい溜め息を吐いた。
「なんだっけじゃないでしょーが。定期忘れたって戻って、何分掛かってるの?」
「あ…、うん。そうだったよね」
「他のコ、先に帰ったよ」
「わ、ごめん。待たせちゃって」
「伝言。“定期は忘れても夏休みの遊ぶ約束は忘れるな”って」
「そっちこそ〜って、メール打っておかなきゃ」
「時間に遅れたら、課題のノート写させるとかね」
「あはは、そうそう」
「ところで定期は見つかったんだよね? じゃ、帰ろ。駅まで送るよ」
「え? 反対方向じゃない? 嬉しいけど、どうして」
「蘭、最近、ぼーっとしたから」
「……ありがとう」
蘭は駅という場所が好きだった。
これだけ多種多様な人間が集まる場所はめったにない。街中にもたくさんのヒトがいるけど、そこには少なからず「その街に集まる」という特色が表れるものだ。雑多で一辺倒ではなく、数多のカテゴリが交錯する空間、それが駅という場所。蘭はその空気にひたることが好きだった。
たくさんの人がいる。そのなかで時折思う。
これだけたくさんのヒトのなかで、大切な人を捜して、捜して、捜して、見つけられたヒトはそう多くないだろう。
あたしは幸運だ。
──あたし、篤志さんに惚れました!!
嬉しい、ちゃんと見つけられた。神様ありがとう。
もしまだ見つけられてないなら、あたしはここにはいなかった。日本中、世界中を探し回ってた。おばあちゃんになっても、きっと捜し続けてた。
だっていることは解っていたから。だいじょうぶ、まだ欠けていない。あたしの世界からなにも失われていないって。まだ、彼はいるって。
蘭は夏の日射しに焼けるレールを見下ろしながら思う。
(同じように、櫻さんも感じてたんだ)
(同じように、櫻さんも捜して)
(同じように、櫻さんも追い続けてた)
(でも同じじゃない。櫻さんは見つけられなかった)
──見つけたら教えて。あたしも、そうしますから
最初に言い出したのはあたしのほうだった。
それなのに。
──探しものするの、やめます
≪どうやら、おまえのことを過大評価していたようだ≫
(あたしも)
(櫻さんに期待しすぎていたみたいです)
ちくん、と胸が痛む。
捜し続ける途方もなさはあたしが一番よくわかってる。あたしはひとりで楽になった。櫻さんを置き去りにして。嘘を吐いてまで。
ごめんなさい───
祈るような気持ち。
同じ手がかりを持っていたのに、ね。
史緒さんの近くにいれば捜しものはいつか帰ってくる。それはいつか史緒さんのもとへ戻ると。
だから史緒さんを見張っていたんでしょう?
あたしと同じように、史緒さんのそばでそれを待っていたんでしょう?
(あたしはズルい)
(史緒さんを利用した)
(櫻さんに嘘を吐いた)
(やっと見つけられた人がそれを望んだからじゃない。独り占めしたかったから、だから櫻さんに嘘を吐いたの)
それを解(ほど)けないまま、櫻さんは海に消えた。
どうしてこの嘘を見抜いてくれなかったの?
どうしてこの嘘を信じたまま、いなくなってしまったの?
あたしに、この嘘を吐かせたまま…───
「!」
駅のホームに強い風が抜けた。
風は汗ばんだ額を掠めて、暗鬱と考え込んでいた蘭の頭に爽快感を与えた。
顔を上げると駅の風景はいつもと変わらない。そこにいる大勢の人にいとおしさが込み上げて唇に笑みが浮かぶ。けれどその環境は過酷。日射しが線路を焼き、その熱がホームを蒸す。立ち上る熱気は光の屈折により目に見えるほどだ。人の行き交いは霞んで現実感を薄れさせている。
こんな日は幻覚でも見てしまいそう。
───そして蘭は見た。
耳の奥で雷が鳴る。
その音は振動となり、寒気となって全身に伝わった。
夏の太陽に灼かれた風景のなか、それは蘭の願望が見せた蜃気楼だったのかもしれない。
向かいのホーム。5メートル離れた場所。
背の高い人影があった。痩(や)せ肉(じし)の青年が立ったまま本を読んでいた。
電車待ちの暇つぶしなのか、さしも面白く無さそうな表情でページをめくっている。
この暑さのなか、青年は長袖の白いシャツを着ていた。服の上からでも見て判るほど手足が細く、けれどすっきり伸びた背筋がひ弱さを感じさせない。黒い髪は少し長めで、縁なしの眼鏡を掛けた顔を隠した。
顔がよく見えない。
でも本のページをめくる指使い、立ち姿、眼鏡を押し上げる仕草。
蘭は彼を知っている。
蘭は叫んでいた。
「───櫻さんッ!」
青年は顔を上げた。
眼鏡の奥の眼がこちらを向き、目が合うと唇が薄く笑った。皮肉を湛えた笑みも懐かしく、蘭は込み上げるものを我慢できなかった。
「ごめんなさい!」
周囲の喧噪に負けないくらいの声で叫ぶ。
「あたし…! あたし、嘘吐いての!!」
せつな。
青年の笑みが止(や)む。
「……ぇ」
ぞくっ、と。背筋が粟立った。
青年の目は蘭の目より大きくひらかれ、次に獲物を見つけたように火が灯る。
「…ぁ、ぇ───?」
蘭は自分が取り返しのつかない失言をしたことにようやく気がついた。
向かいホームの青年は鋭い動作で本を閉じ、視線を走らせる。そして階段に向かって走った。
(来る───)
本能にも近い危険を察知し、頭の中で赤ランプが点滅する。
けれど蘭は動けなかった。脳は走れと命令している。それなのに蘭の両足は震えて、命令を実行できない。金縛りに遭ったように、足が地面を離れなかった。
「あ…、うそ…、あたし、今」
なにを驚いている。
他でもない、あの占い師が言っていたではないか。「嘘吐きの罪を謝罪する日がくる」と。
運命の人と再会するという卦体(けたい)は信じて、こちらは信じなかったのか。
(ど…どうしよう)
無意味に惑うあいだにそれは来た。
「蘭っ!」
阿達櫻に名前を呼ばれたのは2度目。
向かいのホームにいた青年が階段を駆け上がってきた。本を片手に掴んだ肩が大きく上下し、息を切っている。その呼吸のあいだに発せられた低い声が矢のように突き刺さる。
「今のは───どういう意味だ」
「……ひ」
そこで金縛りは解け、自由になった両足でコンクリートを蹴った。
人波の間を抜け、逆側の階段を飛ぶように駆け下りる。人にぶつかっても謝っていられなかった。追いかけてくる声は小さくなり、やがて聞こえなくなったが安心できない。そのまま走って改札を抜けて、街中に出ても蘭は足を止めなかった。
複雑に入り乱れる感情に押しやられ涙があふれ出る。
(篤志さん───!)
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