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≪16/16≫
■12
3年ぶりの東京は真夏、皮膚が焼ける暑さだった。
暑い土地なら世界中いくらでもあるが、どこか人工的な暑さ。土の匂いがしない。アスファルトの匂いと、ひといきれ。昔は感じなかったそんなことが、妙に新鮮に感じる。
東京での予定はなかったが、やはりひとつだけ。亨が現れていないかを確認するために家族の周辺を洗う。
住んでいた家に、今は誰もいないらしい。父は相変わらず。そして驚いたことに史緒はよく判らない職種で働いているらしい。七瀬と関谷を引き連れて。
でも、亨はいない。
誰にも会うつもりはなかったのに、七瀬の鼻に気付かれた。懐かしい自分の名前を呼ばれる。奇妙な違和感があった。
そしてもう一人。
その懐かしい名を大声で呼んだ人間がいた。ホームの向かい側から。
「あたし、嘘ついてました!」
と、叫んだのは、無意識のうちに「嘘を吐かない」と信じていた人間だった。
嘘を吐かれるような約束事は、ひとつしかなかった。
* * *
変わってしまうのが怖いと言った櫻に、亨は笑った。
──どうして? 一緒にいれば、変わっても分かり合える。例え離れても、僕は櫻を見つけられる。心配しなくていいよ
「……」
亨を見つけられると思っていた。
疑いもしなかったと言えば嘘になる。
けれど、見つけられないはず無い、見逃すはずが無いと思っていた。
同じように、亨が櫻を見つける可能性も、当然、無いわけ無い。
(蓮家の末娘…)
(“嘘を吐いていた”?)(どういう意味?)
(あいつの眼は信用していた。だからあんな約束を)(まさか)
(亨を捜すのはあきらめる───いや、やめると言った)
(まさか)
(蘭)
(まさか───)
「櫻!」
急に背後から肩を掴まれて歩行を妨げられた。過去の名を呼ばれるのはやはり違和感があった。
振り返ると、息を切っている長身の男。肩で息をしながらも、込み上げてくる感情を隠せないというように笑って、
「ようやく出てきたな」
と、妙な言い回しをした。
櫻のほうも顔が歪むのを隠せなかった。
「───」
うるさい奴に捕まってしまった。
関谷篤志だ。
櫻が東京にいることを漏らしたのは誰か、答えは消去法で蓮家の末娘。七瀬はできれば面倒を持ち帰りたくないと考えたはずなので。
関谷は息を整えるために深呼吸して、汗を掻いた顔で破顔する。
「よかった。───元気そうで」
「…」
鬱陶しい、と思う。こういう奴だということは知っていたが、改めてそう思う。
そのとき、
「───」
ぐらり、と眩暈がした。
関谷の鬱陶しさに、なにかを思い出した気がして。
「…ッ」
眼鏡を外して手のひらで両眼を覆う。
櫻の場合、頭痛や眩暈を引き起こす原因の大半は眼からの色情報による。だから一度それを抑えるために目隠しをした。
そしてそっと眼を開けて空を仰ぐ。
幼い頃からずっと、そうやって確認してきたように。
この眼に映る、空と空の色を確認するために。
「櫻…?」
近くから発せられた声に現状を思い出してはっとする。
櫻は眼鏡を掛け直す前に手のひらを見た。色を確認するためだ。もちろん、長年そうだった通り、赤い。
「なんでもねぇよ。気安く呼ぶな」
「まさか、……今でも目がおかしいのか?」
「うるさい」
心配するような問いかけが気に障る。おざなりではなく本心だからこそ余計に。
どんなに突き放しても馴れ馴れしく声を掛けてくる。
「あの頃からずっと?」
そうだ、あの頃から。
…あの頃から?
「───」
顔を上げると関谷の心配そうな表情があった。
今、なんと言った?
───あの頃から?
「…なんだって?」
「だから目が」
と、そこまで口にして関谷の言葉が止まる。
表情も視線も体の動きまで、止まった。
今。
おかしなことを言った。
──今でも目がおかしいのか? あの頃からずっと?
この眼のことを自分から話した相手は一人。でも関谷じゃない。
──あの頃からずっと?
話してはいないけど、目ざとく気付いた人間はいた。櫻が空ばかり見ることを指摘した人間が。
ずっと。ずっと昔。あれは───。
「…!」
関谷が瞠った。一歩退いて、その顔が歪む。その表情は言う。
しまった、と。
脳裏に閃くものを疑うことはできなかった。
「…あぁ」
完全には掴めていない。でもやがてはこの手に収まる予感。
(この眼に気付いたのは一人)
(一人だけ)(目ざとい)
(もう一人の自分)
(ずっと昔)(殺した)(でもどこかにいる)
(捜しもの)(見つかった?)
(───蓮家の末娘!)(そうだ)(侮っていた)(あいつは…!)
さっきの眩暈とは別の原因で頭痛が始まる。でも不快ではない。頭が働きすぎたときの疲労だ。
「…───そういうことか」
すべてが繋がり始める。
でも、まだだ。組み合わさるまでにはもう少し時間がいる。
(咲子)(親友)(関谷和代)
(関谷篤志)
(鬱陶しい)(馴れ馴れしくて───)
(史緒のところへ戻った?)
(咲子が、遺したもの)
「櫻…」
関谷が言葉に迷い、言いにくそうに呼びかけてくる。
その顔を見る。知ってる。解っている。関谷篤志だ。
どうして。
「言うな。自分の思考が及ばなかったものを、結果だけ知らされるのは面白くない」
頭が動き始めている。喋るのも億劫なほど。
「櫻、話があるんだ」
「喋るなよ。調べる時間くらい、くれてもいいだろ」
関谷に背を向ける。居場所は分かっている。ここで捕まえなくても、見つけなくてもいい。
「その話とやらは次のときに聞いてやるよ。───じゃあな」
「櫻…っ!」
人混みを利用して駆け出す。
関谷は追いかけてこない。
きっと関谷自身、どう話すべきか迷いがあるからだ。
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