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■5月

 調査・仲介・相談を手掛けるA.CO.──。
 一時期に比べ活動を縮小したと言っても、設立から7年、現在も精力的に営業中である。その月日の移り変わりと共に、手がける仕事の分野にも多少の変化があった。取り扱いをやめた仕事があり、そのせいで離れていった客もある。けれど、一方で、新しく開拓した仕事と、そこに食いついた顧客も取り入れて、小規模ながら安定した活動を続けていた。


 その事務所を支えているうちの一人、所長である阿達史緒、23歳。
 日当たりの良い室内に、彼女は今ひとりだった。
「桐生院さん…、そういう面倒なものばかり、こちらに回すのやめて貰えませんか」
 受話器に向かって苦い声を出す。
 ショートの髪から覗く赤いイヤリング、首にスカーフを巻くのが史緒のいつものスタイルだった。
 今は他に誰もいないので、繕うことなく不満を口にすることができた。
「仕事を選べるようになったなんて、あなたも出世したわね」
「真琴くんや文隆さんのところも、この時期なら動ける人いるじゃないですか」
「私に文句を言う前に、あの2人に泣きついてもいいのよ? 自惚れないで欲しいのだけど、あなたにばかり面倒なのを回してるわけじゃないわ。適正を見て依頼しているんですからね」
「……それは、解ってます、けど」
 A.CO.が受ける依頼のうち、桐生院由眞を通してくるのは今でも3割は越す。しかも安定した重要な受け口だ。それをないがしろにはできない。
 史緒は電話を切ってから頭を抱えたが事態は変わらない。そのうち依頼書が送られてくるだろう。
 A.CO.での史緒の仕事は、事務全般と外部機関との交渉、営業がメインとなる。人手が無いので自ら現場に出ることもよくある。A.CO.そのものは業界の端の端、本当に小さな事務所であるが、警察や裏の組織に顔が利く阿達史緒の名は少しばかり有名だった。それを自覚することもひけらかすこともなく、史緒は着実に、ときに大胆に、毎日仕事をこなしている。


 こんこん
 ドアが鳴って、すぐに開いた。三高祥子が顔を出す。
「こっち終わりましたー」
 その声に史緒は顔を上げて応えた。
「おつかれさま。もう帰られたの?」
「うん、下まで送ってきたところ」
「さっきの方はもう5回目くらい? 状況はどう?」
「悪くはなってない、と思う。最初の頃よりずいぶん喋ってくれるようになったし」
 と、小さく笑う祥子は分厚いファイルを抱えて室内に入ってきた。
 祥子はさっきまで奥の部屋で客と話をしていた。
 はっきりと謳ってはいないけれど、A.CO.の仕事のひとつ──「相談、承ります」。
 これは祥子の専任、単独で行っている仕事だった。
 “はっきり謳っていない”理由は「相談」の種類を示せないから──祥子の能力で対応できるか一概には決められないからだ。
 最初は、仕事ではなく、単に客との雑談から始まった。それがどういうわけか口コミで少しずつ、祥子を指名する客が増えていった。評判と同時にどういう種類の相談が効いたかも伝わっているので、おのずと集まるのは祥子の能力を必要としている客だ。
 祥子は具体的な己の能力を隠しつつ、依頼人の話を聞く。意見したり、遠回しに助言したりもする。依頼人の自覚が無い悩みを指摘することもあった。問題が複雑になったときは直接出向いて、依頼人とその問題に取り組むこともあった。
 この仕事に関しては史緒はノータッチで、データは祥子に管理させているし、依頼内容も尋ねない。
 祥子は資格を持っているわけではないので、この仕事に関しては、たまに足を使うときに経費だけもらって、あとは志程度の相談料を受け取っている。それも全部史緒が吸い上げて、祥子の給料に加味してるという具合だった。
 他にも、史緒が懇意にしてる警察に協力したり、調査のため外に出ることもあり、史緒の仕事を手伝うこともある。それが祥子の仕事だった。
「後でパソコン使わせて。30分くらいで済むから」
「こっちはすぐ出掛けるから、ちょっと待ってて。ついでに留守番もお願い」
「はいはい」


 こんこん
「史緒っ!」
 ノックの後、勢いよくドアを開けたのは木崎健太郎、本分は勉学の大学院生。バイクで来たのだろう、ヘルメットを片手に掴んでいた。
「桟宮さんに言ってくれよ。あんたの仕事にオレを貸す気は無いって!」
 怒っているのか疲れているのか判らない様子で訴える健太郎に史緒は気のない返事をした。
「はぁ…。また手伝いに行ってたの?」
「脅されてんだよ! 下っ端の自覚が足りないとか、断ったら史緒の立場が悪くなるとか、大学に置いてる俺のデータ壊すとか──あのおっさんじゃ冗談にならねぇ…」
「立場云々はともかく…。私は桟宮さんからはなにも聞いてないわよ? 仕事としても請けてないし」
「えっ! あのヤロ…っ、やっぱ吹かしかっ」
「まぁまぁ。桟宮さんも上から無理難題押し付けられて大変なのよ」
「おっさんの肩持つのか?」
「そういうわけじゃ…。まりえさんも巻き込まれてるの?」
「あの人が御園さんのため以外に動くわけないだろ」
「…そうね」
「待て、史緒を通してないってことは金出ないの? オレ、ただ働き?」
「そのへんは桟宮さんに聞いて、交渉してみるから、落ち着いて。──それに、ケンが今日までお金のことを口にしなかったのは、それなりの対価があったからでしょ? 桟宮さん、ケンに怪しいこと教え込んで楽しんでるようだし?」
「うっ」


「こんちゃーっす!」
 大きなカバンでドアを押さえるように入ってきたのは川口蘭。21歳でこちらも大学生。ジャマにならないよう、カバンを端に置いて、みんな集まっている史緒のほうへ歩み寄る。
「あれ、ケンさん、はやーい。あたしのほうがぜったい先だと思ってたのに。さっきメールしたとき、まだ新宿だって」
「もうこっちに向かってるとこだったんだよ。道も空いてたし」
「ちぇー」
 ふくれっ面を隠さず、蘭はわざとらしく肩で息を付き腕を組んだ。でもすぐにその腕を外し、ぽんと手を叩く。
「そうだ、史緒さん。さっき宗さんのトコ行ってきたんです」
「うん?」
「このあいだの依頼の件、相談してきたんですけど、裁判になっても手間の割に旨みは無いだろうって」
「──そう」
「詳しい資料を渡せば弁護士を捜してくれるって仰ってましたけど、どうかなーって思って、保留にしてます」
「そうね」
「…あっ」
 何か思い出したように蘭は自分の荷物に駆け寄り、分厚いファイルを取り出した。それを持って戻ってきて史緒に差し出す。
「あのね、過去の事例にこんなのがあるの。学校でコピーしてきたから、後で読んで貰えます?」
「ありがとう。3日以内にまた話ができると思うわ」
「はーい」
 そこで、いつのまにか奥に引っ込んでいた祥子が人数分のお茶を淹れて戻ってきた。すぐに出掛けると言った史緒に気を遣ったのか、史緒の前に置かれたのは小さめのグラスだ。健太郎と蘭もそれぞれ礼を言って受け取り、口に付ける。
「わーい、喉乾いてたの。ありがとうございまーす」
「どういたしまして」
「そ−だっ、祥子さん」
「ん?」
「来月の」
「うん」
「篤志さんと、あと、和くんも来られるって」
「あ、ほんと?」
「蘭、篤志と会ったのか?」
「いいえ、昨夜、電話で。和くんのも、篤志さん経由で聞きました」
「ありがとね。これで、大体、まとまったかな」
「楽しみですね」
 手を叩いてはしゃぐ蘭に、祥子は素直に笑顔を返した。次にふと思いついてにやりと笑う。
「良かったじゃない、史緒。最近、会ってなかったんでしょ?」
 祥子からの冷やかしに史緒はとくに表情を変えず、
「来月に控えながらも同じ科白を返さなきゃいけない祥子に同情するわ」
 と、わざとらしく息を吐く。
「……っ、ちが…、明後日、帰ってくるし」
 結局、やり返されたのは祥子のほうだった。
 そのとき電話が鳴った。
 いつものように手を伸ばして、史緒は受話器を取り、声を改める。
「はい、A.CO.です。…───あら、お久しぶり。───えぇ、今は学校。O駅の……すぐ近くだから、行けば判ると思うわ。時間もちょうどいいし。うん、じゃあ、また」
 わずか20秒ほどで通話は終了。けれど、その間の史緒の表情の小さな変化、そして、それとは比べようもなく大きな何かを感じ取って祥子は訊ねる。
「誰から?」
 史緒はくすぐったそうに笑って、
「みんな、今日、時間ある? できれば夜は空けておいて欲しいの。私はこれから出かけるけど、6時までには戻るから」
 そう言って席を立った。


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