キ/GM/お題068 前4/5次
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史緒が無駄に抵抗を続けるものだから、「すぐ近く」にあるはずのバーに着くまで、いくらか時間が必要だった。
紫苑は史緒の腕を掴んでひきずるように歩く。史緒は抵抗するも、元から体力が無いのか息を切らせていた。そんな2人が行く歩道は、夜中とはいえ人通りは少なくない。周囲から奇異の目で見られるのは紫苑だって本意ではないのに。
「ちょっとぉ」
その紫苑はさも史緒が悪いと言わんばかりに文句を口にする。
「大人しくしてよ。俺が女の子に乱暴してるみたいじゃん。通報されたらどうすんの」
「その手を離してくれれば大人しくしますっ」
「そうしたら逃げるくせに」
「逃げませんから」
「大体、写真を見せてやるって言ったのはそっちでしょ。呼び出しておいて、行きたくないってどういう了見?」
「私は、後日にって言ったんです! 紫苑さんが今夜行くって駄々こねたんじゃないですかっ」
お互いの性質が解ってきたのか、紫苑は貼り付けたような笑顔はやめているし、史緒は遠慮が無くなってきている。既に店の前に着いているというのに2人の睨み合いは続いていた。
「……ほんと、強引なところがそっくり」
視線を逸らした史緒の小さな呟きが聞こえて、紫苑は顔を寄せる。
「え? なんだって?」
「なんでもありません」
「あ、そう」
紫苑にとっては、桐生院由眞以外の人間の事情や心境など、どうでもいいことだ。だから、今日、この状況における史緒の独り言に耳を傾けるつもりは毛頭無い。
紫苑は顔を上げて店の看板を確認する。黒に銀色の文字で“RITE”。“ダーツバー”とある。その看板の横に下へ降りる階段があり、店の入り口は地下にあるらしい。2人がここで足を止めている間、数組の客が階段を下りたり、上がってきたりしている。その客層からも、とくに怪しい店でもなさそうだ。
「じゃ、行くよ」
「……っ」
史緒の腕を放し、階段へ足を進める。ここまで来た目的は明確だ。にもかかわらず、史緒の足は動かない。
「どうしたの、この店でいいんでしょ?」
「……はい」
いい加減観念したのか、史緒は後ろからついてきた。紫苑は振り返らない。史緒が階段の途中で何度か足を止めたのがその気配から判る。紫苑は気にせず階段を下り、、そのまま店の扉を開けた。
「いらっしゃいませーっ」
元気なウエイターの声が響く。紫苑は店内を見渡しながら「どーもー」と返しておいた。
紫苑はぐるりと店内を見渡した。
店の中は少し照明を抑えているが足りないと感じるほどでもない。奥にはダーツの が並んでおり、10代のパーティが声をあげて楽しんでいた。2次会かなにかだろうか、人数が多い。吹き抜けの二階席(ここは地下だから正確には1階だが)では、若いのから年配まで料理を食べたりのんびり飲んだりしている。若い連中もいるが、店内はそう派手でもない。年季の入ったカウンターテーブルなどから、そこそこ長くやっている店なのだろう。
「お一人様ですか?」
愛想のよいウエイターが訊いてくる。
「いや…」
振り返ると、やはりドアの近くで挙動不審だった史緒。紫苑の視線に呼ばれると、早足で寄って紫苑の背中に隠れてあたりを伺った。
「なにやってんだ?」
「…」
どうやら隠れたいらしい。店の中に知り合いでもいるのか?
「まぁ、いいや。…これ、ツレね」
「はい。お席どうします? ダーツは今埋まってますけど、そろそろ空きますよ。お食事でしたら上の階と、カウンターも空いてますけど」
「えーと…、おい、史緒、どーするの?」
ここにくれば写真が見られるというが、肝心の案内役が後ろにいては話にならない。
「…」
意を決したように史緒は顔をあげる。ウエイターに向かって言った。
「すみません、リテさん、いますか?」
「あれえぇっ?」
「えっ?」
応答の素早さと意外さに史緒は驚いてウエイターの顔を見る。紫苑も。ウエイターの顔は目と口を開き、驚きを表していた。
「阿達さんっ!?」
「……え?」
思いっきり名指しされて史緒は面食らったようだ。
「…、──…あ。…サクマくん?」
「そう! うわぁあああ、超久しぶりじゃん」
「えっ? サクマくん、その格好…」
「俺、ここで働いてんの。もう1年以上やってるよ。あ、そだ おーい! リテさーん! 阿達さんが来たよー」
どうやら史緒の馴染みの店だったようだ。でも久しぶり、とは? サクマとやらが店の中を振り返りリテさんとやらを呼ぶ。史緒は自分が呼んでもらったにもかかわらず、まだこの場から逃げたいようだった。
「史緒っ」
青いドレスの年配女性が小走りでやってきた。
史緒はその声に方が揺れて、恐る恐る向き直る。
青いドレスは派手ではなくどちらかというと地味で、同じ色の髪飾りと胸元の紫色の花がよく似合っていた。彼女が店員だと判ったのは、「STAFF」と書かれた無粋なプレートも付けていたからだ。
「…リテさん」
叱られることを恐れる子供のような表情で史緒は呟いた。
「まったく、この子は」
リテさんと呼ばれた女性はつかつかと歩み寄る。史緒は肩をすくめた。リテは史緒の前まで来ると遠慮なく乱暴に史緒を抱きしめた。史緒は小さな悲鳴をあげた。
「突然来なくなったとおもったら、ほんと突然やってきて」
「……ご無沙汰してました」
「藤子のことはあの後、人伝に聞いた」
「っ!!」
史緒だけでなく、紫苑も驚いた。まさかこの人からその名前が出てくるとは思わなかったので。
「心配したよ。でも良かった。あんたは元気でやってるんだね」
「…はい。連絡しなくて、すみませんでした」
「本当だよね〜」
リテは腕に力を入れて、史緒は先ほどとは違う悲鳴をあげた。
なるほど、と紫苑は理解した。
この店はかつて藤子と史緒がよく利用していたのだろう。しかし、藤子が死んで史緒も足を運ばなくなった。いや、避けていた。長らく避けていた店、懐かしい面々に会うのが怖くて、史緒は来辛かったのだろう。
それに、もしリテやサクマが藤子の死を知らなかったら、今日、史緒は自分の口から言わなければならなかった。本当はそれを、一番、恐れていたのかもしれない。
しかし。
いつまでも感動の再会をやられては困る。
史緒の肩をトンと叩く。それだけで理解したようで、史緒は気を取り直して言った。
「そうだ、リテさん」
「なぁに?」
史緒は腕を上げて肘を伸ばし、奥の壁を指した。
「あれ、まだ残ってます?」
(“あれ”…?)
店内の照度は低い。史緒がなにを指しているのか、紫苑にはすぐには判らなかった。
「あぁ、そういえば。史緒のときに…」
「ええ。藤子はキリ無かったし」
「あるわよ。見てきたら? たぶん正面の…、右あたりのはずよ。日付が書いてあるから、そこから捜して」
「ありがとう。…紫苑さん」
「うん。…なにがあるわけ?」
「写真です」
「いや、そうなんだけど」
テーブルが並ぶ客席の端、狭い通路を通って店の奥へ進む。
「ここはダーツバーです」
「見ればわかるよ」
「COUNTUPで500点以上を出すと、記録として写真を撮るんです。…ほら」
近づけばわかった。壁一面に無数のポラロイド写真。ぎっしりと壁が埋め尽くされていた。
「…」
壁の前に立つ。ポラがピンで止められている。1000枚はくだらない。ともかくすごい量だ。
友人と。恋人と。一人でも。Vサイン、ガッツポーズ、スコアボードを指差して自慢げに、パーティでフォーメーションを組んで。
共通なのはまぶしいほどの笑顔。
それらに感銘を受ける紫苑ではないが、その数に少しばかり驚いていた。壮観である。一体、何年分、貼られているのだろう。
「私も一度だけ、撮ったことがあったんです」
そういうことか、と紫苑は理解した。
藤子の写真に心当たりがあると言ってこんな店に連れてきたから、てっきりここの店員あたりが持っているのかと推測していたのだが。
「おす、どうしたの?」
サクマが空いたトレイを持ったまま寄ってきた。席に収まろうとしない2人を妙に感じたのだろう。
「私たちの写真があったと思うんだけど……」
「あ。それは知ってる。たまに見るから」
サクマは3歩ほど移動して、
「これだよ」
いとも簡単に、紫苑の視線より少し低い位置を指す。壁に貼られた無数のポラ。そのうちの一枚。
紫苑はその一枚に目をやった。
まず目に入ったのは白い余白に書かれた黒いペン字。
<祝☆500点!!!>
その下に小さく、
<あたしのおかげだよねっ♪>
写真には2人の女が写っている。名前は書いてない。
ひとりは、黒く長い髪、はにかむような笑顔。史緒だ。今より若い。
そして史緒の肩にじゃれるようにかぶさる、もう一人。
年齢は史緒と同じくらい。少し茶色い髪、ブレスレットにごついシルバーの指輪でカメラに向かってVサイン。
仲の良さそうな2人。どこにでもいそうな10代の女の子たち。紫苑はこの写真が示すものが何なのか、再確認しなければならなかった。
面影なんか無い。記憶とは何一つ一致しない。でも。
写真に写っているのは2人。
手紙を書いた藤子。手紙に書かれていた史緒。
部屋の隅で佇んでいた痩せこけた子供が藤子。写真より若干年をとった、今、すぐ隣にいる史緒。
壁に貼られた写真はどれも同じ、みんな楽しそうに笑っている。その中にあって違和感のない、埋もれてしまいそうな一枚。
「あいつ…笑ってたのか」
紫苑が思わず呟いた声に、史緒とサクマが目を合わせる。そこになんかしらの意思疎通があったのか。なかったのか。
史緒は不思議そうに首をかしげた。
「どうも、昼間から話が合わないなぁと思ってたんですけど…」
「あいつが笑ってないときなんてないよ」
まるで本人に向けるように、うんざりした表情でサクマは肩を落とす。
「──」
紫苑は写真から目を離し2人を見る。
「…そう、なんだ」
紫苑が最後に見たのは、部屋の隅で丸くなる獣だった。こちらを警戒するだけで、威嚇し、人間らしい表情を見せることもなかった。
それが、この写真の女と同一人物だと言われても信じられるはずがない。
(…あの日)
「なんでもいいから笑え。明るく馬鹿みたい笑ってろ。大抵の人間はそれで騙せる。笑うことで由眞さんを安心させられるなら安いもんだろう?」
そう言ったこと、あいつは覚えていただろうか。
− 紫苑くん、ごめんね───
− 約束を守れなかった
由眞のために、笑っていてくれたのだろうか。
幼い頃に別れ、その後あの日一日だけの邂逅。
会話は無かった。紫苑が一方的にいくつかの言葉を押し付けただけ。それを、藤子は覚えていたのだろうか。
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