/薬姫/弐
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■ 1.

 地下研究施設に住まう医王・矢矧義経(やはぎよしつね)。彼には2人の姫がいた。
 一人は、わずか9歳の少女「薫(かおる)」。
「だから、それはパターンHだって言っただろう! もう一週間も前じゃないか」
 窓が無く狭い部屋に高い声が響き渡った。
 7名の部下を前にして薫は怒鳴りつける。部下は全員20代〜30代、それでも気後れなどせずに睨みつけた。
 この研究施設は13の班で構成される。そのうちの3班の班長が薫だった。幼い少女が班長というのも可笑しな話だが、この施設内において薫を子供扱いすることは許されていない。薬品類の取り扱いおよびその知識に関して、薫は周囲の研究員を凌ぐ能力を持つ。それから矢矧義経がこの研究施設を興したときに外界から連れてきた少女で、職員最古参のひとりであるからだ。
 薫に怒鳴られた班員は言い返した。
「でも」
「言い訳するな」
「矢矧さんは1600番の結果を待ったがいいと言ってました。だから、そのパターンは止めるべきだと思って」
 ───またか、と薫は舌打ちする。
 班員にとって班長の薫は直接の上司。薫にとって所長の矢矧義経は一応の上司だ。
 最近、何かというと矢矧の名を出して薫の言い分を跳ね返す動きが班の中で見られた。勘ぐりすぎかもしれないが反抗めいたものを感じる。仕事が思い通りに動かず、薫は苛立っていた。
 薫は矢矧の名を出されても怯むことは無い。しかし、組織としての最低限の上下関係を守らなければ秩序が乱れる。無理に我を通して班員の不興を買ってもあとが遣りにくくなるだけ。不本意だがここは退くべきところだ。
「どこ行くんですか?」
 こっそり抜けだそうとしたところを見つかってしまった。
「気分が悪い、医務室にいる」
 そう言い残して部屋を出た。



 薫は前ほど仕事熱心ではなくなっていた。
 以前は少しの不満を漏らしつつも、3班の班長、延いては一研究員として、純粋に仕事を楽しみ、遣り甲斐を持って仕事をこなしていた。それなのに、今は少し違う。
(仕事が嫌なわけじゃないんだ)
 仕事は変わらず面白い。ただ、部下が思うように動かなかったり、そのせいで自分の仕事の進捗が上がらなかったりする。それが少しだけ、いとわしい。
(こういう仕事でチームワークが必要とはあまり思わないけど、遣りづらいと思うのは足並みが揃ってないせいなんだろうな)
 地下施設ゆえに窓が無い長い廊下を乱暴に歩く。ずっと先まで続く蛍光灯にさえ苛立ってくる。
 窮屈なのだ。
 昔、3班の人事権は、実質、薫にあった。当時、部下だった大人達は、口が悪かったり、喧嘩もしたりしたけど、薫と本気で向き合う人間が集まっていた。思い返すと居心地は決して悪くなかった。けれどいつからか、少しずつ何かが変わっていった。薫が気付かないうちに、水面下で大きなものが動いていたようで。
 ここ1年で、班員は総入れ替えされた。
 1年前、3班にいた人間は少しずつ一人ずつ異動していった。矢矧が薫に言うには、研究所(ここ)から出て行った者もいるようだ。
 薫はそれを聞いて少しだけ胸が痛んだ。元班員の離別と、胸の痛みの因果関係を結ぶことができなかったけれど。


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