/ノエル/お題180
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 ハルが戻ってきたとき、ノエルと別れた場所には数人の人だかりができていた。
 騒ぎが起きているわけではないようだが、あきらかに目的を持つ視線がその場に集まっている。
(…まさか)
 嫌な予感を覚えてハルは人だかりの中へ分け入った。予感は的中して、そこにノエルの後ろ姿があった。なにかやらかしたのかとハルは眉を顰めたが、そこに特に注目されるような様子はなかった。
「ノエル?」
 呼びかけると、ぱっと花開いた顔が振り返る。
「ハルっ!」
 いつものように駆け寄って、ハルの腕を取った。その感触を確認するようにノエルは力を込める。まるで縋るように、守るように、失わないように。
「どうした?」
「もう帰ろ?」
「え?」
 ノエルはハルの腕を持って歩き出し、ハルはそれに引きずられた。
「早く行こ!」
「おい…、ちょっと待て」
「あたしはもぉ帰りたいの! ハルだって、こんなトコ来たくないって言ってたじゃん! バスでも電車でも歩きでもいいから帰る。ここから出たいの」
「なにがあった」
「マーサは? 先に帰るって言ってくるね。ハルは先に行って。早く行って!」
「ノエル?」

「やぁ、ハルくん! ずいぶん久しぶりだっ」

 背後からクラッカーを当てられたのかとハルは思った。それくらいの衝撃を背中に浴びて、その声について考えるより先に振り返ってしまった。
「ハル! だめっ!」
 ノエルの悲鳴を背中に聞く。
「……?」
 そして振り返った先には声の衝撃波を放った当人と思われる人物、白いスーツの男が立ち、細い目でにこにこと笑っていた。左手には食べかけのケーキ皿、右手はハルに向けて子供のようにひらひらと振っている。
「それとも“はじめまして”、かなぁ」
 顎に指を当て、眉根を寄せて、考え込む仕草。わざとらしいまでに大袈裟な素振り。
「───ぁ」
 思い当たるものがあってハルは短い声をあげた。
「あんたは」
「だめっ、ジンと話しちゃやだ! 早く行こっ?」
 ノエルが手を引いてくる。
「ジンなんか放っておいて! 一緒に帰ろ? ね?」
 懇願するようなノエルの言葉にも、ハルは応じられなかった。すぐそこに立つ男───ジンから目を離せなかった。
 そのジンは眉尻を下げて苦笑する。
「う〜ん、どうやら僕は嫌われたみたいだなぁ」
「嫌いだよっ。最初からハルのこと聞き出すつもりであたしに近づいたんだっ」
「そうだとも! ノエルが評したとおり、仏頂面で愛想無しかつ毒舌家で自分と他人と社会に容赦なくケンカを売る大人げない性格のハルくんがどんな娘と付き合ってるか見てみたかったからさっ」
 ジンはハルに向き直ってさらりと。
「あ。これは僕からの評価じゃないよ。ノエルが言ったんだから」
「……」
「ちがっ…、あたしそんなこと言ってない! しかも一番重要なトコが抜けてる!」
 何とも言えないハルからの視線にノエルは必死で言い訳をする。真っ赤になってジンを睨みつけた。
「ジンは誰なの!? ハルをどうするつもり? ───……ハルのこと、…知ってるの?」
 息巻いていた声が小さくなって、ノエルはうつむき、ハルにしがみついた。
 ジンは肩をすくめる。
「僕はジンだってば。ハルくんをどうこうするつもりはないよ。懐かしい顔を見かけたから声をかけたくなっただけさっ。でも驚いたよ。ねぇ、ハルくん?」
『君、死んだんじゃなかったの?』



 ノエルはぎょっとしてジンを、そしてハルを見た。
 その意味に驚いたわけじゃない。ノエルには意味のある音として聞き取れなかった。だけど同じ音を聞いたハルの表情で、それがジンとハルのあいだでは確かに通じた言語であることが解る。
「……っ」
 両肩を押しのけられるような疎外感があって、ノエルはハルを庇うように立つ。まるでオモチャを取られないように威嚇する子供のようだった。
 ジンはその様子を面白そうに眺めて、よく回る舌でさらに言葉を続けた。同じ、ノエルには理解できない言語で。
『僕は先週からこのシティに来ていてね。誤解のないよう言っておくけど遊び(バカンス)じゃないよ? 仕事(ビジネス)だよ? それはそれは大きな仕事(ヤマ)だったけど、もちろんそつもむだも無くこちらに有利に終えてきたよ、あぁ内容は企業秘密だけど。というより、今は関係ないか。ともかく! その大きな仕事を終わらせてさぁ帰ろうと思った矢先になんだか知らんがパーティの招待状が届いたわけだよ。僕が滞在していることを知った主催者(ホスト)が、是非、顔を出してくれというんだ。と言ってもハルくんも知っているとおり、この場合要求されているのは僕の顔ではなく姓(なまえ)だ。まぁ、それもいつものことだから、今はどうでもいい。しかしこの招待、タイミングが悪すぎる。せっかく出張を終えて最愛の家族が待つ国(ホーム)へいざ帰りなんというときにだよ? 信じられるかい? 何のために僕がスケジュール通りに働いたと思っているんだ、無粋もいいとこだ! だけれども、この姓を名乗る以上、やることはやらなきゃいけない。しぶしぶ姓だか顔だかを出しに来てみたところで、羨ましいことにかわいい娘さんと仲良く喋っている幽霊を見かけたというわけだ、ハルくん』
「……」
 ハルは小さく溜め息を吐いた。
 呆れたのだ。
 意味が解らないはずのノエルもジンの熱心な切れ目ない科白にぽかんとしていた。
 そのとき、
「2人とも、なにやってるのっ」
 と、尖った声でやってきたのはマーサだった。パーティ会場の片隅で大声を出しているノエルを叱りにきたのだろう。
「ハル、あんたが付いていながら…」
 と言いかける。しかしその場にいるもう一人の人物の顔を見るとマーサは飛び上がった。
「え、ちょっと、やだ、その人、香港の…」
「───マーサ、ノエルを連れて行け」
 ハルは腕からノエルは引き剥がし、マーサに引き渡した。
「え?」
「ハル…っ」
 不満を言い掛けるノエルを宥めるように、
「帰るんだろ? すぐ行くから、ロビーで待ってるんだ」
「やだ…っ」
 マーサに手を握られながら暴れだす。
「離れていかないで、おねがいっ。 …マーサ、離して、わぁあん、ジンのばかっ!」
「ちょっと、ノエルっ。…一体なんなの?」
 マーサは訳が分からないままでもノエルの手を離さない。これ以上、この場を荒らさないためにはハルの言うとおりにすべきと判断したのだろう。
「心配しないで。僕はハルを奪ったりしないよ」
「そんなの、アテにできないよっ。ジンなんか嫌いだっ」
「それは残念だなっ」
「マーサ、早く連れて行け」
 ハルはもう視線も合わさずにジンのほうを見ていた。ノエルは唇を噛む。
 声も届かないくらい離れたあとに、ハルも嫌いだ、と呟いた。


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