/海還日/一章
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〇二.

 自立型思考人形のことをHu(ヒュー)という。その定義はあいまいだが、つまり、ヒトを模した人工物のことだ。昨今では、生体部品や人工知能を用いた精巧な造り物を指し、“ロボット”と区別することが多い。古くは空想上で語られる存在だったが、今では生体学や電気工学の分野で研究が進められ、“Hu工学”という新たな言葉も生まれた。
 Hu工学の第一人者として、D.アルティマーの名前を挙げない者はいない。彼はVOID以前、あるシステムモジュールを開発したことで世界的権威と呼ばれた。QwertySystem(クワーティシステム)(=QS)と名付けられたそれは、ロボティクス百年の課題、最大の難関といわれた「デネットのフレーム問題」をクリアしているという。仕様が明らかにされていないのにその功績が称えられているのは、QSは、インターネットによるチューリングテスト二千回で49.95%というほぼ完璧な結果を出しているからだ。
 QSを搭載した機体こそが、世界最初の、万人が認めるHuになるだろうと言われていた。
 Huの完成を実現すべく動き出したアルティマーと和泉康生(いずみこうせい)、しかしそれを阻止するかのようにVOIDが襲う。───VOIDは「世界が止まった」。経済、産業、教育、もちろん、アルティマーの研究も例外ではなく。
 奇跡的にVOIDの死病を乗り切った2人は、混乱の世から遠ざかるように辺境の地へ逃れた。ユーラシア大陸の最東端、南北にのびる列島ジャポニカ。その島の東部の町で過ごしたというがその詳細を知る者はいない。しかし8年経った頃、2人は町にHuの研究施設を立ち上げた。後にHu工学の最高峰と呼ばれGE公認になった「AILA(Altimer & Izumi LAboratory)」───今から約30年前のことである。


* * *


「AILAの研究目的は完璧なHuを完成させることだ」
 目の前の男は、まず最初にそう言った。
「AILAは和泉重工の出資とはいえ、今はGE(ゲー)から多額の援助も受けている。公的資金を適用されながら思わしい結果を出せないでいるAILAに世間の目は厳しい。社会的信用を得るためにもHuの完成は急務だ。当然だが子供の遊びではない。解るかい? カートライト君」
 管理1部1課のR.メイコウと名乗った男はリンの前でかれこれ30分は喋り続けている。長机が並ぶ会議室のような部屋に案内され、一対一で座らせられてからずっとだ。その内容の趣旨はAILAの研究理念についてだが言葉の端々がいちいち嫌みったらしい。リンはブチ切れたい衝動を我慢するのに必死だった。
 メイコウは葬式帰りのような黒スーツに黒ネクタイ、(まさか、これがAILAの制服か!?)しかも難題を相続してしまったようなしかめっ面。リンのなにがそんなに不満なのだろう。(いろいろあるんだろうけど)しかし彼の左胸にかかるID(身分証明証)の写真も同じようにしかめっ面をしているので、どうやらそれが地顔のようだ。
(それにしたって、愛想ってもんがあるじゃない?)
 AILAに来て最初に対面した人間がこうでは先が思いやられる。
 世間の風評では、AILAは天才集団。もしメイコウのように堅物の嫌味な人間ばかりだったらどうしよう。
「AILAの入所規定には“実務経験3年以上”の条件がある。その規定を外れて入所したきた特例は君で3人目だ。そしてその中で君の成績は最低だ」
(ぐさ)
 それなりの成績で大学を卒業したと自負していたが、当然、世界は広い。優秀な人間はたくさんいる。AILAという場所では、リンは下の下なのだろう。ついでに、リンは21歳、AILA史上、2番目に若い新人だという。
「一体どんなコネを使ったか知らんが、AILAに入った以上は重責を噛みしめてもらおう」
「───はい」
「配属先は技術1部1課だ。君の専門ということで便宜を図ったが不満はあるか」
「いえ、ありがとうございます」
「音を上げるなら早々に申し出てくれたまえ。1週間以内なら退所手続きも楽だ」
 かちん、ときて、
「お気遣い無用です。そんなヤワな覚悟でここまで来てません」
 思わず言い返してしまった。しかしすぐに我に返る。(ま、またやってしまった。しかも就職先で)
 メイコウは態度を崩さず興ざめしたような表情を見せた。
「覚悟や努力は能力の無い人間が遣う言葉だ。ここは君が夏まで通っていた学校ではない。結果がすべてだということを認識するように」
(は、腹立つ〜)
 リンがさらに言い返そうとしたとき、ドアをノックする音が割り込んだ。
「メイコウ、技術部の新人をあんまりいじめないでもらえる?」
 ドアから顔を見せたのはたすらりとした女性だった。黒髪をアップにまとめ、眼鏡をかけている。IDを首から提げていた。「不要に脅したら使える新人も使えなくなるのよ」
 リンは少し驚いた。現れた眼鏡美人はメイコウよりずっと若い。それなのにメイコウに対等な口を利く。
 メイコウは白けた目を眼鏡美人に向ける。
「おまえは新人の面倒みてる余裕など無いだろう」
「いびられている新人を助けるくらいの余裕がなければ、仕事なんてやってられないわ」
 軽い調子で笑って眼鏡美人はリンに手招きをした。「行きましょう、私が案内してあげる」
「旭(あさひ)」
「この子、村田(むらた)さんのところに入るんでしょう? G2に行くついでよ」
「…勝手にしろ」
 メイコウは盛大な溜息をつくと、ばんばんと乱暴に書類を揃えて席を立った。
「あ、あの…?」
 リンを見ようともせずに部屋を出て行く。ドアのそばにいた眼鏡美人をも無視して廊下を歩いて行ってしまった。まったく気にしない様子の眼鏡美人はリンに優しく笑いかける。
「さ、行きましょ」
「え、あ、…はい」
「気にしなくていいわ。メイコウはあれで仕事熱心なだけだから」
「はぁ」
「K1(ケーイチ)は警備担当なの。所内のセキュリティ。彼は誰にでもああなのよ。まったく、疑ってかかるのが仕事だと思ってるんだもの。困っちゃうわよね」
 それを聞いてリンもやっと笑えた。メイコウのような堅物だけでなく、どうやら普通の人もいるらしい。
「旭(あさひ) 美沙緒(みさお)よ」
「リン・カートライトです」
 求められて握手をした。少しだけ緊張が和らいだ。


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