キ/wam/01
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「──────」
祥子は目をひそめた。
意外だったのだ。人当たりが良くて、クラスの誰とでも仲良く喋る結歌が、こんなにもはっきりと真剣な顔で言うほど嫌うものがあったとは。それも他愛無い会話で話題にあがりそうなものを。
いやしかし、とそれを打ち消す考えが浮かぶ。
嫌いなのは「音楽」ではなく、「音楽の授業」かもしれない。でも。
(それも違う気がするのよね・・・)
結歌の表情から察したわけでもなく、祥子はそう思った。
「そうだ、確か三高、今日当たるでしょ? 私のカンペキなノートを見せてあげてもいいわよ」
「・・・無料なら遠慮なく借りるけど」
「・・・・・私をどういう人間だと思ってるんだ」
たはは、と笑った結歌の声はそこで途切れた。
音。
曲が、流れ始めた。
「───」
結歌は息を止める。顔が強ばる。
それとほぼ同時に三高祥子の、景色を見ていた視線が止まった。
何も言わなかった。
音源は真下の音楽室。曲はクラシックであまり知られているものではない。
「鑑賞が始まったってことは、あと10分?」
音楽の授業では、毎回ラスト10分は観賞用のCDを流すことになっている。祥子は立ち上がり、教室に帰るしたくをした。相変わらず、祥子は人の表情を見ようとはしない。
「・・・だね」
結歌はそのことに感謝しながら、つられて立ち上がった。ポーカーフェイスを気取っているつもりでも、他の人にどう映っているかは自分ではわからない。
あまり興味が無さそうに、祥子は流れてくる音楽に耳を傾けた。
「この曲、何だっけ?」
祥子はすでに歩き始めている。その姿を追い掛ける足を止めて、結歌は力無く、呟いた。
「レクイエム。・・・モーツァルトよ」
* * *
「あーっ、結歌っ」
階段を降りる途中、階下から声がかかった。
「何やってたの? 小川さん、怒ってたよ」
たった今音楽の授業を終えてきたのであろう、同じクラスの松尾郁実と北川萌子がそこにはいた。校舎本館の四階には実習室が多いので、休み時間になると移動する生徒たちでごった返しになる。教科書を持った生徒たちでいっぱいのその人波を、結歌はどうにか潜り抜け、二人と合流した。
「もえ、いく、おっはよー」
「おはよーじゃないよ、もお。音楽のせいで留年したくないでしょ」
「あ。いく、その服かわいい」
郁実は実に彼女の趣味らしい、フリルのついた夏らしいブラウスを着ている。結歌はそれを見やり正直な感想を述べたのだが、郁実にはごまかすな、と頭を小突かれた。
「だいじょうぶよ、成績優良者は粗雑な扱い受けないもん」
「でたよ、この自信家」
三編みにりぼんがトレードマークの萌子があきれ顔で肩をすくめる。厳しい物言いはいつものことだ。
天然ボケの松尾郁実。熱血懸命な北川萌子。二人は中村結歌の親友であり、いつも一緒にいる仲間だった。高校に入ってからの付き合いである。
とん、と結歌の肩を叩いたものがあった。
振り返ると、三高祥子が背を向けて階段を降りていく。
祥子が先に行く合図として結歌の肩を叩いたのか、それとも単に通り過ぎる時にぶつかったのかはわからない。去った理由としては結歌たち3人の会話を邪魔しないよう気を使ったか、多くを語らない祥子が挨拶をするのも面倒臭く思ったのか。
・・・どちらも後者だな。
祥子の背中を見送りながら、結歌は内心で容赦のない結論をつけた。
「今の三高さん? そーいえば最近、結歌ちゃん仲いいね」
目ざとく結歌の視線を追った郁実が問う。
「仲いいって言うのかなー、これも」
うーん、と結歌は複雑な気持ちで考え込んでしまう。不本意とまでは言わないが、周りの人達に祥子と仲が良いと思われているのは心外だ。結歌が受ける印象としても、逆に嫌われているのではと思う時が多少ある。
「私は嫌いだな。なんかすましてるし」
「あははー、言えてる。でもねぇ、なかなかおもしろいヤツだよ」
「おもしろいっ? あの、三高さんがっ!?」
「そう」
二人は3歩ほどあとずさり、結歌の全身を凝視する。5秒後、萌子は一言、呟いた。
「あんたって大物だわ、結歌」
2現目開始まであと3分。遅刻するわけにもいかないので、3人は数分前に祥子が消えた階段を降りていった。
「そーいえば今日、新しい音楽の先生が見学に来てたよ」
「新しい? どういうこと?」
「ほら、小川さん産休とるから。その代理。正確には2学期から教えるらしいけど」
「へぇ・・・」
全く無関心に、結歌は99%義務的な言葉を返す。理由は興味が無いからである。
音楽教諭・小川良美が子供産もうがなんだろうが関係ない。何より危うく自分を留年に追い
込むところだった教師を恨みこそすれ、良い印象など持てるわけがない。
授業をサボっていることなどなどの、根本的な理由は自分にあることなどさておいて、結歌は無茶苦茶な論理を展開させていた。
代理とやらの音楽教師のことにしても、深く追求する気にもならなかった。
「四十過ぎのおばさん。なんて言ったっけなー、なんか面白い名前だったんだけど」
「それより次の世界史よ。松尾郁実くん、三高が当たるってことはあんたも当たるんじゃない?」
郁実の悲鳴と同時に、結歌は笑いながら2年3組の扉を開いた。
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