/wam/02
3/12

 6月25日水曜日。

 ばったり、としか言いようが無い。
 昇降口で靴を履きかえた後、階上への階段を昇っている途中、上から降りてくる三高祥子と
対面した。
「おっはよー、三高。いつも早いじゃん」
 ほとんど条件反射的に笑顔で手を振る。手を振ってから、
 昨日ケンカした(ような雰囲気になってた)んだっけ。
 と気付いた。
 祥子はというと、一瞬驚いたように目を見開く。次に下目づかいでふっと不敵な笑みを見せると、そのまま結歌の横を何も言わずに通り過ぎていった。
「・・・・」
 祥子の人を小馬鹿にしたような態度に上げた手の行き場と笑顔の始末に困り、しばらく動け
なかった。
 ぎゅっとその手を強く握り、ふるふるとそれが震える。
「なんだその態度は───!!」



「もー、朝から気分わるー」
 先程の祥子の事をぶちぶち言いながら2年3組のドアを力まかせに開ける。ほとんどの生徒は遅刻間際に登校してくるので、教室内の人間は半数にも満たなかった。
「おはよ、結歌」
 萌子と郁実はすでに登校していた。結歌の姿に気づき挨拶をする。
「ちょっとー、きーてよー」
 二人に泣き付こうとして駆け寄ったその時。
「おーっす、中村。おまえ、三高祥子と仲良かったよな、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 ぴく。
「ど───して、どいつもこいつもっ。いつどこで私が三高と仲良くしたっていうのよっ」
 新聞部の部長である大河原太郎は間が悪かったとしか言えない。結歌は後からの罪のない言葉に怒鳴り返してしまった。
「なに怒ってんだ?」
「別に。何? 太郎ちゃん」
 取り乱したところを見られたからといって、取り繕う相手でもない。結歌は自分の席について、話を聞く体勢に入った。萌子と郁実もやってきて4人で机を囲む。
「我が新聞部で“この人のデータが知りたい!”のコーナーのアンケートをとったんだが」
 いつもながら妙な口調で太郎は話し始める。
「あ、それ知ってる。この間はバスケ部の高草木先輩だった」
「そう、それっ!」
 郁実が自分のところの新聞を呼んでいるのが嬉しかったのか、太郎は指さして自慢気な表情で何度も頷いた。
「・・・けっこう詳しく書いてあったけど、あれ本人の了承を得てるの? ファンを無駄にあおってる気がするけど」
「何を言う松尾っ。我々は購買層を広げ発行部数をあげる為には個人の人権など眼中にない」
「───太郎くん、プライバシーって言葉、知ってる?」
 確かに、校則には基本的人権の尊重という文字は記されていない。
 萌子は呆れて溜め息をついた。さらに太郎はじゃじゃーんと効果音が付きそうな声で続ける。
「そして驚くなかれ。そのアンケートの集計2位には三高祥子の名が挙がっているのだっ」
 間。
 結歌、そして萌子と郁実の悲鳴にも似た叫び声が響いたのは言うまでもない。馬鹿っ声がでかい、と太郎は一番声の大きかった郁実の頭を押さえ付けて、祥子本人が教室にいないことを確かめてから安堵の溜め息をついた。
「うわー、一体誰よ、シュミわるー」
「でもわかるよ、美人だもん、あの人」
 萌子と郁実の感じ方はそれぞれ違うようだ。結歌は少し考えてからこう結論づけた。
「人気はあるんじゃない? ただし、他のクラスにね」
 三高祥子の見目の良さは、まあ7割の人間が認めるところであろう。だが同じクラスの者であればその性格のキツさは身に染みて分かっているのだった。故に新聞部のアンケートの結果は三高祥子の外見しか知らない生徒たちの所業ということになる。
「まあそのとおりかな。集計結果の8割は男で3年生が多い」
「で、太郎ちゃんは三高のデータなるものを私に尋ねに来たというわけか。でも何で私の所に来るわけ? 同じ中学の卒業生とかのほうがいいんじゃないの?」
「それなんだ。中村は三高祥子の出身中学知ってるか?」
「知らん」
「私も」
「同じく」
 結歌たち3人は顔を見合わせた。相手が相手とはいえ、クラスメイトの出身中学を3人とも知らないなんて。
「先生に調べてもらったところ判明した。なんとK区の二中なんだ」
「K区っ!? やたらと遠いじゃない」
 郁実が思わず大声をあげた。
 ここから電車で40分はかかる。この学校も地元ではレベルが高いと言われているが、単に自由な校風というだけで、辺りの地区も含めて考えたら比べるものでもないのに。
「そう。何故こんな遠い学校に来たのか、それも謎」
「本人が素直に言うわけないしねー」
「だろー? このままじゃ記事書けないんだよ。さすがに三高祥子と同じ中学だった奴がどの高校にいるかなんて調べられないしな」
 結歌は先程から一人黙り込んでいた。
(なんでそんな遠くから来る必要があるの?)
 祥子に対する謎がまた一つ増えた気がする。校内に一人も友人がいないのはあの排他的な性格のせいだろうが、それどころか校内に三高祥子の過去を知る者さえ一人もいないということだ。
 好奇心がうずかないと言えば嘘になるが、本人に聞けるわけもない。
「あーそれから、新聞部が超常現象研究会と組んだ7月特別号がテスト後に出るけど、一部百円でどうです? おじょーさん方」
「何、あんたあんな怪しい連中とつるんでんの?」
 超常現象研究会は通称オカルト研究会(略してオカ研)で超能力やら誰ぞの予言やら、一部カルト的に研究を続ける集団である。人数がそれなりにいるのに部として認められないのは、思想的に偏っている為だとかなんだとか噂が絶えない。
「まあまあ、ビジネスというか。将来の新聞記者としては、色々なところに情報源を置いておきたいわけだ。付き合いは広いほうがなおよろしい」
「で? オカ研とは何やるわけ?」
 さほど興味が無さそうに萌子が聞いた。
「ずばり、“1999年地球はどうなる?”」
 冷たい沈黙があった。大河原太郎は3人の白けた視線を浴びることになる。
「・・・あほらしー、高校生の話題じゃないよ、それ」
「えーと、どっかの預言者が地球が滅びるようなこと言ったとか? だっけ?」
 萌子は相変わらず手厳しい言葉を返す。結歌はこういう事にうといようで、詳しくは知らない。
「あ、それは間違い。別に地球が滅びるわけじゃないんだ。ノストラダムスは西暦3000年の予言もしているから。問題は何が起こるかってこと」
「へえ、詳しいのねー」
 郁実が感嘆の声をあげると、
「オカ研の受け売り」
 太郎は簡単に白状した。なーんだ、とせせら笑うと丁度1現目が始まるチャイムが鳴った。
それと同時に遅刻間際の登校者たちがそろって教室に滑り込んでくる。
 三高祥子も今教室に戻ってきたらしく、自分の席につくところだった。4人の会話は聞かれていないらしい。
「じゃ、7月特別号3部予約ってことで、毎度っ!」
 太郎はそう言うと逃げるように自分の席へと戻って行った。
「あ、こらっ」
 すでに手遅れ。つまりうまく押し売りされたというわけだ。
「・・・商魂たくましー」
「将来の夢は新聞記者より、営業マンのほうが向いてるんじゃないの?」
(──────)
 結歌は自分が神経過敏になっているのだと思わざるをえない。
 この季節、初夏には毎年のことだから仕様がないとは思うのだが。
 2人が離れて一人自分の席に残された結歌はぽりぽりと頭をかいて、萌子の言葉を繰り返した。
(・・・・夢、か)







 ────眩しい、光と影。

 人に誉められるということは、眩しいということだ。
 と、小さい頃は真剣にそう思っていた。
 舞台でピアノを弾くようになったころ、写真を撮られる回数は増えていった。

 カメラのフラッシュは嫌い。
 あの光で目が眩む。周りの景色が見えなくなる。なのに。
 人が集まっている、その少し離れた所にいるあの人だけが、何故かはっきりと見えるから。
 目が合う。
 するといつも、目を逸らし、うつむいてしまう。
 あの人は喜ばない。私が周りの人に誉められても。
 嫌な顔をする。
 それがとても嫌い。
 だからあの人のことも、苦手に感じていた。
(───お父さん)


 まだ何も終わっていない。
 まだ追われている。
 使いに見つかるわけがない。────だって。

 唯一の手がかりである「音」さえ、私は手放したのだから。
 手放してまで、生きているのだから。



3/12
/wam/02