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 6月26日木曜日。

「よーしっ、一学期最後の進路調査だ。紙くばるぞー」
 6限目、ホームルームの時間。担任である高田先生の声が教室に響く。教室の所々からだるそうな声が聞こえたが、B5の紙は容赦なく一番後ろの席の中村結歌まで届いた。
「一生の事なんだからな。自分のやりたいことを選び、その為の大学を選ぶんだ。ハンパな現実主義者は後で泣きを見ることになるぞ」
 進路調査は初めての事ではない。ぶつくさ言っていた生徒たちも無駄話をやめ、用紙に向かいはじめる。
「中村、消しゴム貸して」
「いいよ」
「ウチの担任ってさー、熱血教師を絵に描いたようだよな」
 前の席の男子生徒の言葉に結歌は吹き出した。声を抑えて笑う。
「言えてる」
 結歌は自分の進路希望をすらすらすらと記入するとペンを置いた。ふと、三高祥子の姿が視界に入る。
 窓際の特等席を陣取る祥子は筆記具も出さず、窓の外を眺めている。ハナから進路調査など、眼中に無いようだ。
 この間呼び出しを受けたばかりだというのに。
(・・・あの度胸は見習いたいかもね)
 恐いもの知らずというか、自分のことを考えてないというか。
 しばらくしてボリュームがかなり大きい独り言で、担任が喋り始める。
「今の若者は夢が無いんだよなー」
(──────)

「・・・・っ」
 祥子は何かに反応し顔を上げた。ぞわっと肌を伝う、とある感覚。
「子供の頃、あーなりたいこーなりたいって色々あったろーが。歳とると言えなくなるっていうのは、良くない傾向だよな」
「せんせー、じゃあオレ、東大法学部出て首相になるー!」
「ロンドンに留学でケンブリッジー」
 その後、オックスフォードやらMITやらでてきて教室は笑いに包まれた。しかしそれでも悪ノリしているのはクラスの2分の1くらいで、あとの半分は冷めたものである。
 そのうちの一人である女生徒は頬杖をついて呟いた。
「夢だって。・・・高校の教師が吐くセリフじゃないわね」
「──────」
 がたんっ。
 突然、結歌は立ち上がった。
 その音は大きくもなかったが、教室中に響いた。少なくとも、騒いでいたクラスメイトを黙らせるほどの音だった。
 うつむいて机に両手をついたまま動かない。その手は震えていた。
 その時の結歌の表情を見た者はいたかもしれない。しかし、この時の結歌の心情を感知したのは、三高祥子、ただ一人だった。
「どうしたの? 結歌・・・」
 その声を合図に、結歌は顔をあげる。そして。
「・・・・っ!」
 物凄い勢いで走りだし、教室から出ていった。
 急な出来事に呆気にとられている一同、しかし彼らは次の出来事で我にかえることになる。
 妙、というより変に聞き慣れない声がはっきりとした口調で響いた。
「先生、私も気分が優れないので保健室に行きますっ」
 三高祥子はそれだけ言うと、小走りで自分の席から離れた。
 その言葉はまるで結歌の不可解な行動を正当化するようでもある。
 軽い音をたててドアが閉まった後、廊下を走る音を2年3組の生徒たちは聞いた。
「お・・・おい」
 中村結歌、そして三高祥子がいなくなった教室は異様な雰囲気に包まれていた。ざわざわと聞こえてくる話は十人十色だが、半数の者の意見はだいたい次のようであろう。
「私・・・三高さんの声はじめて聞いたかも」

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