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 レクイエムニ短調 K.626/REQUIEM
 大きく黒板にそう書くと、音楽教諭の小川良美はチョークを置く。パンパンと手を叩いて指に付いた粉を落した。
『えー、ご存じの通り1791年、35歳の若さでモーツァルトは病死。音楽史上最大の天才と謡われた彼の名・アマデウスは“神の子”という意味さえ持つようになりました。そして未完ではありますが、これが最後の作品です』
 6月17日火曜日。2年3組の1現目の授業も終わりに近付いた頃。
 ぺらぺらと懇親丁寧な説明を始めるがいったいどれだけの人数が聞いていたことだろう。すでに3分の1の生徒は居眠りをしていた。教科書の下で週刊誌を読んでいる者もいる。
『ねぇ』
 一応授業中という状況に気を使って、北川萌子は小声で後ろの席のクラスメイトに話し掛けた。
『後ろに座ってるおばさん、・・・いったい何者?』
 音楽室の壁ぎわで年配の女性がパイプ椅子に座って授業を見学していることは、居眠りでもしていなければ全員の分かるところである。
 見たところ先生っぽくはあるのだが、全く見覚えの無い人物だった。
『うーん・・・あの歳で教育実習ってこともないだろうし・・・』
 二人でこそこそ後ろを眺めていたら小川教諭から声がかかった。
『そこっ、うるさいわよ。・・・っと、もう時間か。じゃあ次の時間、3組はバッハの小フーガをやります。えーと今日の欠席はいつもの中村さん、と三高さん・・?』
 明らかに不機嫌な表情を覗かせると、出席簿に印を付けた。 
『あ、巳取先生。お願いします』
 口調を改めて小川良美は後部に座っていた人物を名指しする。するとその女性は椅子から立ち上がり教室全体を見渡した。
『2学期から産休の小川先生の代理として皆さんの音楽を教えることになりました、巳取あかねです。今この話を聞いてる人が半数もいないようだけど、私の授業は厳しいから。よろしく』
 にこやかな笑顔でそんな紹介をした巳取あかねは一礼して腰を下ろす。この話を聞いていた半数弱の生徒たちは心のなかでうめき声をあげたのは言うまでもない。
『それではカルロ・マリア・ジュリーニの指揮で、聞いてみましょう。モーツァルトのレクイエムです』
 さらに生徒たちの気持ちを暗くさせるような、のろく低い音楽がスピーカーから流れ始めた。

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